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石井ゆかり「星占い的思考㊺近くて遠い人間」(群像)/オーウェル 『カタロニア讃歌』/リン・ハント『人権を創造する』/ジョン・ホロウェイ『希望なき時代の希望』

☆mediopos3279  2023.11.9

過去の歴史を振り返り
そこから教訓や知恵を少しでも得たならば
人が人を差別し暴力を揮い
傷つけ殺害しようとするなどということが
いまだに行われているということそのものが
まさに驚くべきことなのだが

現実の世界では
その「驚くべきこと」が
収まろうとする気配さえない

その大きな理由のひとつは
相手を「自分と同じような一個の人間」
少なくとも「共感」を持ち得る人間としては
とらえていないからだろう

同じ人間なのに
違う種類の人間としてとらえているということだ

社会学者であり哲学者のジョン・ホロウェイが
「豊かさとアイデンティティは
たやすく混同されがちですが、
この混同は悲劇的な結果を生みます」
と示唆しているように

価値観を共有している者どうしは
「自分と同じような一個の人間」とみなし
近しく感じることができるが
それをみずからのアイデンティティとすることで
それが共有されないとき
相手は容易に反感・攻撃の対象としての「他者」となる

石井ゆかり「星占い的思考㊺近くて遠い人間」の冒頭に
オーウェル『カタロニア讃歌』からの引用があるように
オーウェルはスペイン内戦で
「「ファシスト」を撃ちに来ていた」が
ずり落ちるズボンを両手でおさえているのを見て
彼を「ファシスト」ではないと感じる

「オーウェルのあの眼差しには、
アイデンティティの線引きがない」のである

ひとは「アイデンティティ」を得ることで
じぶんがじぶんであることに価値を見いだし得るが
その「アイデンティティ」が
「他者」との「線引き」を行うことによって
成立するものであるとき
その「他者」はどんなに身近にいても「遠い人間」となる

宗教や思想・価値観
国家や民族・血縁
組織や党派など
それらが「わたしたち」としての
「アイデンティティ」となっているとき
その「外」は「共感」の「内」には存在しなくなるのだ

「戦争」や「差別」「暴力」は
「わたし」の「わたしたち」の「線引き」ゆえに起こる

「線引き」された「外」にいる人間はすでに
「自分と同じような一個の人間」ではなくなっているからだ

それは内なる戦争・外なる戦争にかぎらず
また人間にかぎらず動物や植物などの環境に対しても
そこにどのような「線引き」がなされるかによって
「戦争」はさまざまな形で起こることになる

「戦争」の種を蒔かないようにするために
じぶんがどんな「線引き」をしているのかに
自覚的であることができますように

■石井ゆかり「星占い的思考㊺近くて遠い人間」(群像 2023年12月号)
■ジョージ・オーウェル(橋口稔訳) 『カタロニア讃歌』(ちくま学芸文庫 2002/12)
■リン・ハント(松浦義弘訳)『人権を創造する』(岩波書店 2011/10)
■ジョン・ホロウェイ(大窪一志訳・四茂野修訳)『希望なき時代の希望』(同時代社 2023/5)

(石井ゆかり「星占い的思考㊺近くて遠い人間」より)

「  〝しかし、それだけではなく、ぼくが撃たなかったのは、ひとつには、ずり落ちるズボンが両手でおさえらえていたからである。ぼくはどこへ「ファシスト」を撃ちに来ていた。しかし、ズボンをおさえている男は「ファシスト」ではない。それは見るからに、自分と同じような一個の人間であって、そういう人間を撃つ気にはなれないのだ。〟
 (ジョージ・オーウェル著 橋口稔訳『カタロニア讃歌』)筑摩書房)

 1936年、スペイン内戦で反ファシズム軍の塹壕の近くまで忍び寄り、彼らが出てくるところを襲撃しようと待ち伏せていた。そこに突如飛行機が飛来し、敵陣から兵隊が一人、慌てて飛び出してきた。彼はもちろんファシスト軍の兵士だったが、オーウェルは彼を「ファシスト」ではない、と感じた。ズボンをおさえていたからである。

 かつてこれを読ん頃、私にとって戦争はおおまかには「歴史的事実」でしかなかった。今は違う。昔の日々は無知で愚かだったから非合理で暴力的な戦争に熱狂したのだ、ということではないのを知っている。人間はいつでも戦争ができるのだ。「昔の人だからやった」のではないのだ。私が子供の頃、大人たちはいつも「戦争は悲惨でしかない、決して繰り返してはならない」と言った。ゆえに、戦士がしたい・見たい人など誰もいないのだと思っていた。しかし「そうでもない」のだということが、今は解る。

 私がこの稿を書いているのは2023年10月13日で、ほんの数日前、ハマスによるテロ攻撃、そしてイスラエルの報復が始まった。彼らは互いにごく近くにいる。私は遠く離れている。私たちは「何ゆえに遠くの人びとにたいする自分の感情にもとづいて行動するように促されるのかという問題と、何ゆえに共感がまったく無効になって、自分たちに近い人びとを拷問し、傷つけ、さらには殺害することさえできるようになるのだろうかという問題」(リン・ハント著 松浦義弘訳『人権を創造する』岩波書店)を抱えている。遠い国で苦しむ人々のために、募金をし、物資を送る人間がいる。一方で、身近な人々に虐待を加える人間がいる。どちらも自分と同じ人間である。

「豊かさとアイデンティティはたやすく混同されがちですが、この混同は悲劇的な結果を生みます」(ジョン・ホロウェイ著 大窪一志訳・四茂野修訳『希望なき時代の希望』(同時代社)。ホロウェイは「豊かさ(richness)」を、「富(wealth)」と区別する。ホロウェイの言う「
豊かさ」は「アイルランド音楽の豊かさ、メキシコ料理の豊かさ、社会的再生産過程におけり女性の交流の豊かさ、ホモセクシュアリティの地下の歴史の豊かさ、労働者階級の文化の豊かさ」などのことである。その一方で、こうした「豊かさ」はごく簡単に、アイデンティティへと変換される。「私たちは、英国のEU脱退に賛成投票することで、イギリス人であることを守ろうとします。私たちはイスラム教との侵入者に反対することで、私たちのフランス人らしさを守ろうとします。(中略)あまりにも簡単に、豊かさからアイデンティティ化へと流れが生じ、恐ろしい結果を招いています」。アイデンティティの恐ろしさは、人間同士のあいだにある様々な距離をたたひとつの意味で置き換える点だ。どんなに物理的に近くても、アイデンティティによって私たちは宇宙の彼方ほどにも隔たって、聖なる価値や疎外感への怒りのために、損得や利害を放棄して、「他者」を攻撃できる。その痛みへの共感が消し去られる。オーウェルがズボンをおさえて駆け出す兵士に向けた眼差しは、戦場ではきわめて危険であろう。また、両陣営に夥しい情報の炎で「煽られる」現代社会で、はなしてあの眼差しを持ちうるだおるか。オーウェルのあの眼差しには、アイデンティティの線引きがない。それは人間の希望で今は希望を持つこと自体が嗤われる時代なのだと思う。」

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