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伊藤龍平『ヌシ: 神か妖怪か』 ・漆原友紀『水域』

☆mediopos-2463  2021.8.14

ヌシ(主)とは
川や湖・池・沼
深山幽谷・古城廃屋などに
長い間棲み続けて巨大になり
霊力を持つようになった
龍・蛇・蜘蛛などの様々な生物のこと

ヌシについての本はこれまで
「ありそうでなかった」そうだ
ヌシは妖怪や幽霊ではないこともあり
それだけをとりあげて論じることが
少なかったからかもしれない

台湾在住だった著者は
かねてより書きたいと思っていたヌシ論を
コロナ禍で昨年夏の帰国ができなかったので
その時間を利用して書くことになったという

コロナ禍で人の移動が減り
自然環境への影響が好転しているところもあるが
自然環境とも深く関わっているヌシの本が
その影響で刊行されることになったのも
おそらくは偶然ではないだろう

ひょっとしたらウイルスという存在も
人間のなかなどで長く棲みつき
独特の霊力をもつようになった
存在ともいえるのかもしれない
従ってそのヌシとの関係は
自然と人の共生とも深く関わっているといえる

ヌシ(主)はもちろん日本語だが
他の言語への翻訳は難しいという

仏教が日本に伝わり
そこに森羅万象悉皆成仏のような
展開を見せているように
人と自然との日本独特の関係性が
ヌシが日本独特の言葉となっている理由かもしれない

森羅万象悉皆成仏ということでいえば
そこには人の救済・悟りだけではなく
森羅万象の救済・悟りという捉え方があるといえる
ヌシと人との関係も
その対立ではなく融和
さらには互いの救済・悟りをも見据えていく必要がある

著者は「ダム湖にヌシは棲むだろうか」と問いかけ
「自然環境の改変の度合いが、けた外れに大きい」がゆえに
「ダム湖にヌシは棲めないだろうと思っている」という

「ダム建設がヌシの棲みかもろとも、
人間の住みかをも破壊する」というテーマを扱った
漆原友紀の『水域』の話もでてきているので
久しぶりに読み返してみることにした
(漆原友紀といえば『蟲師』だがそこにもヌシの話はでてくる)

漫画・アニメの関連でいえば
宮崎駿の描く世界にもさまざまな形で
自然と人間との関係が描かれている

わたしたちはヌシとどのような関係を
つくっていかなければならないのだろうか

著者は「「ヌシ」の対義語は何だろうか」と問い
「「主(あるじ)」の意味ならば「客」」
「「主君」の意味とするなら「家臣」「従者」」だという
どちらにせよ自然の世界の「主」に対しては
それなりの謙虚な態度が必要であることは間違いない

またヌシには
「親しみを込めた「あなた」の意味もある」
なるほど
親しき隣人として
ともによき関係であることが
互いの救済・悟りのためには不可欠なのだ

ヌシは生物的であるとはいえ
四大が強く働きかけている存在として
とらえることができる
神秘学においては
人間はそうした四大存在を
解放(存在)する責任を負っているという
その責任を果たすどころか
現代ではその逆の方向が加速している

その意味でも
日本独特のヌシという存在について
読み解いていくことが重要課題であるといえる

■伊藤龍平『ヌシ: 神か妖怪か』
 (笠間書院  2021/8))
■漆原友紀『水域』(上・下)
 講談社  2011/1)

(伊藤龍平『ヌシ』より)

「ヌシとは、長いあいだ同じ所に棲み続けて、巨体になった生物のことである。例外はあるものの、ヌシ化の過程で死というプロセスを経ていない点に留意すべきだ。生物は死後、ヌシになるのではない。長い年月を生きつづけることによって、少しずつ少しずつ、ヌシ化していくのである。生物は、生きつづけることによって、べつの何かになる−−−−−−われわれの先祖はそう考えていた。
 しかし、ただ同じ場所にいて体が大きいだけではヌシとはいえない。『日本国語大辞典』には「山、川、池、家屋などにすみつき、劫(こう)を経た、なみはずれて大きい動物。その動物が霊力をもち、その場所を支配していると考えられる」とある。霊力をもっていること、特定の場所を支配していることも、ヌシの条件だ。
 もっとも、この辞典の記述にも少々訂正が必要だ。たしかに年を経た蛇や魚、亀などがヌシ化した例は多い(水生動物が多い)。しかし、龍や河童、狒狒など、現在は伝承上の存在とされている動物のヌシもいるし、人の姿のヌシもいる。(・・・)器物(鏡など)に由来するヌシもいるし、正体不明のヌシもいる。ヌシの伝承派なかなか捉えがたい。」

「いったい、この国の河川沼沢に、どれほどの数のヌシ(主)たちが身を潜めているのだろうかと考えると、気が遠くなる思いがする。国土交通省の調査によると、日本の河川の数は三五四八五(一級河川、二級河川、準用河川の総数、二〇一九年)。湖沼は数え方が難しいが、人工のものもふくめると一二七二五に上るそうだ(『日本の湖の数(修正版)』fyamap.jizoh.jp 二〇二一年三月閲覧)。このなかに、ヌシが棲む川や湖、池、沼はどれぐらいあるのだろう。ヌシは水棲のものではではない。深山幽谷や古城廃屋に棲むヌシもいる。いまだ日本のヌシの正確な数は不明である。」

「これらのヌシたちは、いずれも人知では測れない強大な霊力を持ち、その場所に君臨している。ヌシが自分のテリトリーを離れることはめったにないので、その場所に近づかなければ危害を加えられることはない。しかしながら、ヌシの棲む場所は人の生活圏と重なる場合は緊張関係が生まれる。人が生きるのに水が必要不可欠である以上、ヌシの棲む水域と無縁でいるのは難しい。われわれの先祖はヌシとつかず離れずの関係を保ちながら、日々を過ごしてきた。ヌシとともに歴史を紡いできたのだ。
 本書は、ありそうでなかったヌシについての本である。」

「わたしが、ヌシを重要なテーマだと思う理由の第一は、そこに自然と人の共生のヒントが隠されていると思われるからである。これは毎年のように自然災害が起こるこの国にあって、切実な問題である。過去をふり返り、現在を見つめ、未来を見据えるうえで、われわれの祖先がどのようにヌシと付き合ってきたのかを学ぶことは有効であろう。ヌシとの付き合い方を学ぶこと、それは自然との付き合い方を学ぶことである。」
「人はヌシとの対立をなるべく避けようとしてきた。そして対立せざるをえなくなった場合は、追放したり、封じ込めたり、退治したりしようとする。時には奸計を用いることもあるし、なだめすかして懐柔することもある。また、うまく利用することもある。神として祀り上げて味方につけることもある。契約を結んで互いの利益を守ろうとすることもある。ヌシと人は、常に緊張感をもって対峙してきた。」

「わたしがヌシを重要なテーマだと思う理由の第二は、これが日本特有の思想ではないかと思われるからである。というのも、「ヌシ」という語は、翻訳困難である場合が多いのだ。
 たしかに、一つの場所に棲み続ける巨大生物に関する伝承が世界各地にある。水の神、山の神については、地理的な条件はあるにしても、人類が普遍的に有している伝承であろう。両者が結びついて、巨大生物をその場所の神として崇める信仰も世界の諸民族に見られる。けれど、それらを「ヌシ」に相当する語で総称するのは、じつはかなる珍しいようだ。」

「また、ヌシの問題を究明するには、信仰面のみならず、土木技術や治水政策の歴史とも絡める必要がある。古墳時代の遺跡を鳥瞰すると、河川流域を中心に耕地開発がされていったことがわかる。耕地開発は、河川沿いに山の奥地へと進められていった。開発されたのは、谷地(やち)と呼ばれる湿地帯で、言うまでもなく、ヌシの棲みかである。『常陸国風土記』に載るヤツノカミ(夜刀神=谷地の神)の神話はヌシと人との抜き差しならない関係をよく物語っている。ヌシと人は宿命的に向き合わざるを得ない関係にあるのだ。それは、どの民族においても、多かれ少なかれ見られる問題であろう。」

「ダム湖にヌシは棲むだろうか。さらにいえば、浄水場や貯水池にヌシは棲むだろうか。江戸市中の井戸の多くは地下水を汲み上げたものではなく、近隣の河川から水を引いた水道によるものだった。(・・・)この延長線上に、現代の水道がある。水道水を汲み上げた井戸にヌシが出るなら、ダムや浄水場にヌシが出てもいいのではないか。
 そもそも、ダム建設をめぐるヌシと人間の関係は、従来の伝承の論理から考えて、奇妙なものだった。
 人間がヌシの棲みかを破壊した話はこれまでもあった。そうした場合、ヌシは容赦なく祟る。祟りが個人を超えて村落全体に及ぶこともあり、ヌシが洪水を起こし、一村まるごと押し流したケースもある。しかし、ダム建設の場合は、人間が、ヌシの棲みかもろとも、人間の住みかをも破壊するのだ。それもヌシの管轄であるはずの水によって。
 これをテーマとした漫画が、漆原友紀の『水域』(二〇一一年)である。水不足で、給水制限が敷かれた町に住む少女が、夢のなかで、ダムに沈んだ母と祖母の故郷の村に行き。ふしぎな少年に出会うという、ノスタルジックで幻想的なストーリーだ。川や滝など、水の描写が素晴らしく、主人公の少女が水泳部員で、ふだんプールという人工の水域に親しんでいることも効いている。夢のなかの村では、永遠に雨が降り続いている。村が水底にあることが暗示されているのだが、ヌシが滅んだあとの異常な自然の様子の描写とも受け取れる。なお、漆原の代表作『蟲師』(一九九九年)にもヌシが登場していて、このテーマを論ずるうえで注目すべき作家だ。
 ヌシが滅びたあとの異常な自然をテーマとしている作品といえば、宮崎駿監督の映画『風の谷のナウシカ』(一九八四)がある。」
「自然と人間の共生をテーマに据えることの多い宮崎アニメには、しばしば、ヌシ的存在が登場する。」
「ヌシの棲みかは奥山にあることが多い。そして、これまで紹介してきた話が示すように。奥山にくらべると数は少ないものの、里山にもヌシは棲んでいる。
 それでは、数百年後の未来、ダムの闇の底にヌシは棲んでいるだろうか。わたしは、いくら淀みが深かろうと、ダム湖にヌシは棲めないだろうと思っている。自然環境の改変の度合いが、けた外れに大きいからだ。ヌシの伝承は、自然が人間より優位である場合は、拮抗している場合に生ずる。」

「「ヌシ」の対義語は何だろうか。ヌシにはさまざまな語義があるが、「主(あるじ)」の意味ならば「客」。これならばヌシと人は敵対関係にあるわけではない。ただ、客人としてのふるまいには気をつけるべきだろう。また、ヌシを「主君」の意味とするなら「家臣」「従者」が対義語となる。この場合、人間はヌシを上位に、自分たちを下位に置いていたことになる。ヌシとの付き合い方のコツは弁えること。大いなる自然に向き合ったとき、謙虚な気持ちでいることは、簡単なようでいて難しい。ヌシには親しみを込めた「あなた」の意味もある。ヌシと良き隣人を築ければ幸いであるし、また、そうであるべきだろう。」

◎伊藤龍平『ヌシ』【目 次】

序・ヌシと日本人
目次
第一章 英雄とヌシ
英雄たちの怪物退治/神話の英雄、伝説の英雄/ヌシの条件/登場人物の横顔
第二章 神・妖怪とヌシ
夜刀神の領分/国津神の末裔/神でもあり、妖怪でもあり/水木妖怪とヌシ
第三章 ヌシとのつきあい方
ヌシとの約束/ヌシと雨乞い/椀貸し伝説/共同体と個人
第四章 ヌシの種類
水棲生物のヌシ-蛇、魚、蟹など/虫類のヌシ-蜘蛛/陸棲動物のヌシ-牛/ヌシへの供物-馬と、人間体のヌシ
第五章 ヌシの行動学
人を襲う・テリトリーを作る/人に祟る/毒を吐く・昇天する・修行する/人をさらう・子孫を残す
第六章 ヌシの社会
沼神の手紙/秘密の地下水脈/引っ越しをする理由/物言う魚
第七章 ヌシVSヌシ
戦場ヶ原の神話/縄張り争いをするヌシ/助けを求めるヌシ/異類合戦
第八章 ヌシが人になる
物食う魚/干拓事業とヌシ/ヌシと暮らす/タクシー幽霊とヌシ
第九章 人がヌシになる
ヌシになった人/ヌシになる方法/幽霊かヌシか/実話怪談のなかのヌシ
第十章 文学のなかのヌシ
『八郎』と八郎太郎伝説/『龍の子太郎』と小泉小太郎伝説/『夜叉ヶ池』と夜叉ヶ池伝説/沈鐘伝説
第十一章 現代のヌシ
未確認動物とヌシ/怪獣とヌシ/ダム湖にヌシは棲むか/里山とヌシ
後書・ヌシの棲む国
注一覧
都道府県別ヌシ索引

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