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坂本龍一・福岡伸一『音楽と生命』

☆mediopos-3057  2023.4.1

二〇年来の付き合いがあるという
坂本龍一と福岡伸一の対談が
「音楽と生命」という一冊の本になっている

主なテーマは「ロゴスとピュシス」

音楽も生物も
ロゴスに還元することはできない

楽譜も遺伝子も
それそのものは音楽でも生命でもない
それは演奏されてはじめて音楽になり
生きられてはじめて生命(自然・ピュシス)になる

「今盛んに言われている、
シンギュラリティが起こって
AIが世界を支配するというような言説も、
そういうロゴス的な思考からきているのだと思います。」
(福岡)

「AIは正解は一つしかないと判断しますが、
一つの正解だけあってあとは間違いというのは、
音楽にもアートにもそれから生命にもありません。
常に間違いを繰り返しつつ、進んでいるのが、
生命ですよね。」(坂本)

アルゴリズム的思考は
ロゴス的でない思考をすることができないのである

中国のSF小説・劉慈欣の
『三体』が引き合いにだされているが
そこでは三つの要素間での相互作用を問う
「三体問題」がとりあげられている
(N体(多体、無数の要素)問題ともいえる)

「人類は相互作用する二体の問題を
正確に解き明かすことで、
あらゆるものをロゴス化してきましたが、
二体が三体になるだけで、
これまでロゴス化してきたものが、
まったくわからないものになってしまう」
(坂本)

二体と三体の関係は
ロゴスとピュシスのそれだともいえる

音楽も生命も
ロゴス化するだけでは
「まったくわからない」

ロゴスが無意味で不要だというのではなく
ロゴス化されたときにそこから抜け落ちるものを
ピュシスにおいてとらえなおす必要があるのである

ウイルスに関する重要な示唆もある

「新型コロナウイルスのパンデミックでは
「ロゴスVSピュシス」の対立がはっきりしたかたちで表れ、
僕たちはそれを世界規模で見るという、
貴重な体験をしているのだと思います。」
(坂本)

「ポスト・コロナ時代の生命哲学があるとすれば、
利己的な遺伝子論という二〇世紀のパラダイムが、
利他的な共生という、本来のピュシスのあり方を
再認識するという方向に進むのではないか」
(福岡)

二という対立ではなく
三による「利他的な共生」

それは心と体という二に対する
(現代は「体」だけの一になりがちだが)
霊魂体の三であるともいえる
社会有機体三分節の考え方も同様だろう

あらゆる分野において
「三体問題」が検討されていく必要がある

■坂本龍一・福岡伸一『音楽と生命』
 (集英社 2023/3)

(「PART1 壊すことから生まれる――音楽と生命の共通点」より)

「坂本/少し前にピアノは「もの」であるということを強く感じて、音楽としてではなく「もの」としての響きを聴かせたいと思うようになったんです。僕にとって「もの」というのは自然物なんですけれども、ピアノという楽器も元々は木や鉄などの自然物を人間が集めて、無理やり造形したわけですよね。そういう人工物としてのピアノも、人間が手を触れないで放っておけば、何百年かの時間を経て分解され、自然の「もの」に還っていくことになるでしょう。

 以前の僕はピアノをとても厳密に調律していたんですが、あるときから、人工的に作られたピアノを元の自然に戻してあげたい、ピアノに自然の「もの」としての音を出させてあげたいっと思うようになって、調律することをやめたんですね。もちろん音程は狂いますが、そもそも音程というのは人間が勝手に決めたというだけで、自然の音としては別に狂っていないわけですから。

(・・・)

 こういう音楽の作り方をしていると、人間が頭で考えて作る音楽には限界があるなと思ってしまいますね。これは音楽に限らないことで、どんなに頭がいい人が作った建築や美術であっても、やはり自然の造形や複雑さには及ばないと感じることはしばしばです。」

「坂本/僕は、そういう音楽の一回性というものを非常に大事だと思っています。
 科学は、何度繰り返しても同じ結果が得られる、つまり再現性というところに価値を置くものですけれども、音楽はそれとは反対です。一回しか起こらないところにベンヤミンが言う「アウラ(オーラ)」がある、そこに価値があるわけです。だから、毎回同じことが必ず起こるとか、劣化しないとか、たくさん同じものがあるというのは、アウラがないということになるわけですね。

(・・・)

福岡/実際のところ、再現性がないといけないと言われる科学においても、一回性と再現性のせめぎ合いがあります。たとえば我々が論文を書くときは、非常に正確に条件を設定し、同じ条件で実験すれば誰もが同じ結果が得られるということを目標とします。しかし、生物学の実験では生き物という生ものを相手にしますから、現実には毎回少しずつ違うことが起きているんです。科学では、それを近似的に再現性があるというふうにみなしているわけですね。」

「福岡/今盛んに言われている、シンギュラリティが起こってAIが世界を支配するというような言説も、そういうロゴス的な思考からきているのだと思います。

(・・・)

坂本/AIは正解は一つしかないと判断しますが、一つの正解だけあってあとは間違いというのは、音楽にもアートにもそれから生命にもありません。常に間違いを繰り返しつつ、進んでいるのが、生命ですよね。

福岡/そう、壊しながら進んでいるのが生命です。」

「坂本/AIに代表されるアルゴリズム的思考は、ロゴスのレンガを積んで、仮想世界という壁を築き、その中に閉じこもろうとしている感じがします。でも、それは幻想ですよね。経済も同じで、人間の脳が考えた仮想としての無限を宇宙の有限性の中に持ち込んで、無限に成長する、儲けるということを考えているわけですけれども、本当にバカバカしいと思います。

福岡/アルゴリズム的思考の落とし穴ですよね。

(・・・)

坂本/ロゴス的ではない、他の思考ができないんですよね。

(・・・)

福岡/それが大きなジレンマですが、私たちはその矛盾を抱えながらも行き来せざるを得ません。言葉やロゴスの呪縛から、本来のピュシスとしての我々自身をいかに回復するかということですね。」

「福岡/シグナルとして取り出されたものではない、本来のノイズとしてのピュシスの場所に下りていくためには、客観的な観察者であることをいったんやめて、ピュシスのノイズの中に内部観察者として入っていかないyといけないのだと思います。それはある意味で、非常にパーソナルな体験ですよね。

(・・・)

坂本/これは量子論的な観測者とオブジェの関係ですよね。
 つまり、見ることによって見られているものも変化してしまう。これは感性と言えばいいのかもしれませんが、まず、自分がまるで自然の外にいて自然を観察しているかのような認識の枠組み自体が間違いなんですよね。」

(「PART2 円環する音楽、循環する生命」より)

「福岡/生命の動的平衡とは、絶え間のない合成と分解を行うことですが、そこでは合成、つまり作りことよりも分解、壊すことのほうを絶えず優先しています。

(・・・)

坂本/DNAの中に、壊す命令を担っている設計が必ず入っていますよね。

福岡/そうなんです。だから、壊すことの重要性や積極的な意味についても、ちゃんと認識しないといけなんですね。壊すことが先行して起きるから、初めて作ることもできるし、坂を登ってエントロピーを排除することもできる。

(・・・)

坂本/死ぬことによって生きる、ではないですけれども、生きるために先回りして壊すというエネルギーの流れは、まるで何かの武道の理論のようですね。」

「福岡/楽譜と遺伝子には何らかの対応関係があると思うんです。つまり、楽譜は、音そのものではないし、どこまでいっても音楽ではないですね。

坂本/そうなんです。誰かに演奏されて音にならないと、音楽とは言えないですからね。楽譜というものは、ニュートン的な絶対空間、絶対時間、均質な空間・時間のように、ある点をどこに置こうと同じだ、値が違うだけだ、という考え方を体現していると思います。

福岡/楽譜も遺伝子も、単に記述されたものであるにすぎないということですね。遺伝子はまだに音符のように、いくつかの塩基配列が書いてあって、それがズレれば、突然変異が生じるなどの変調が起きるわけですけれども。まったく同じ遺伝子が、どのように「演奏」されるかというのは、その遺伝子を持った細胞や個体それぞれに委ねられています。
 でも、私たちは楽譜が音楽だと思い、遺伝子を生命そのもののように捉えてしまって、記述されたものは実際とは別ものだということを忘れがちです。その意味で、楽譜と音楽でも、ロゴスとピュシスが対応していると言えるのではないでしょうか。」

(「Extra Edition パンデミックが私たちに問いかけるもの」より)

「福岡/新型コロナウイルスのパンデミックは、坂本さんとここ数年来論じ続けている「ロゴスVSピュシス」の問題性と深く関わっていると思います。
 これまで人間はさまざまな疫病をロゴス化してきましたが、ピュシスとしての疫病を前にして、人間はなす術がありません。新型コロナウイルスは、「ロゴス化し過ぎた世界をピュシス側に引き戻して考えなければ、自分たちの立つところを見失ってしまう」ということを、人間に問いかけているように感じます。

坂本/新型コロナウイルスのパンデミックでは「ロゴスVSピュシス」の対立がはっきりしたかたちで表れ、僕たちはそれを世界規模で見るという、貴重な体験をしているのだと思います。

(・・・)

福岡/現代科学は、ウイルスの実態やあらゆる情報を検出できるようになったものの、いくら情報がわかっても、実際にウイルスに対してできることはほとんどなく、我々はマスクや手洗い程度の予防策を取るくらいしかできません。

(・・・)

坂本/情報としてはわかっているのに対処できないというのは、人間が自然から剥離してきたという本質的なものごとに関わるのでしょうね。」

「福岡/私たちは今、本当の意味でパラダイムシフトに直面しているのだと思います。
 坂本さんが「一番見津かな自然は、海や山ではなく自分自身の身体だ」とおっしゃっていたように、まさに我々の生命はピュシスと言えます。ピュシスである自分自身に、ピュシスをコントロールしようとするロゴスが侵入してこないよう、気をつけなければなりません。

(・・・)

坂本/僕たちの対話では、監視社会・管理社会とは今に始まったことではなく、そこにあるのもまたロゴスとピュシスの問題でもある、というところにいつも帰着しますよね。
 僕はほとんどSF小説を読んだことがなかったのですが、『三体』という中国のSF小説を読んでみて、とても面白かったんです。この本では三つの要素間での相互作用を問う〝三体問題〟を取り上げています。僕らの身体も含めて、世界は三体どころかN体(多体、無数の要素)問題であふれていて、N体問題こそがピュシスの実態ともいえますが、ニュートンの時代から「ピュシスという空間に存在する三体問題」は考えられてきたわけですよね。
 「二体」と「三体」は、「ロゴス」と「ピュシス」の、ほぼ同義語だと思います。人類は相互作用する二体の問題を正確に解き明かすことで、あらゆるものをロゴス化してきましたが、二体が三体になるだけで、これまでロゴス化してきたものが、まったくわからないものになってしまう。それによって起こる混乱が『三体』でも描かれていますが、ニュートンから四世紀経った今でも、そういう部分にロゴスの力では太刀打ちできずにいるわけですね・

福岡/二体問題では、どちらかが敵あるいは味方という立場になり、互いに利害関係が生まれたり、誰もが利己的なふるまいになりやすくなったりします。しかし、この世界や生態系は三体またはN体により成り立っていて、たくさんのものが相互作用をしながら生きているわけです。これを生態系の真実だとすれば。生物たちは本来利他的なものでもあると思います。
(・・・)
 コロナはまるで敵のように扱われ、「コロナに打ち勝つ」などと言われていますが、大半のウイルスはこれまで人間と共存してきたもので。遺伝子の水平移動に関わる重要なメッセンジャー的存在でもあります。そもそもウイルスを完全に制圧することはできないし、すべきでもないのです。
 ましてやAIのようなロゴスの力で支配しようという試みはすべて無益で、レジスタンス・イズ・フュータイル(空しき抵抗)だと言えるのでしょう。

坂本/ウイルスを撲滅しては、僕らのような大型生物は生きていけませんね。
 本当に、人間以外は利他的な行いをしていると思います。

(・・・)

福岡/もしポスト・コロナ時代の生命哲学があるとすれば、利己的な遺伝子論という二〇世紀のパラダイムが、利他的な共生という、本来のピュシスのあり方を再認識するという方向に進むのではないかと思います。」

「坂本/山は登ってみないと次の山は見えないので、とりあえず今見えている山からどれかを見定めて登っていくしかありません。

(・・・)

坂本/ちなみに、福岡さんが今見ている山はどんなものなのでしょうか。

福岡/動的平衡の精緻な理論化ということになりますが、やはりロゴスとして説明した時点でこぼれてりまうものが必ずあると思うんですよね。
 ですから、またピュシスの豊かさに戻りつつ、それを語り直すものとして新しい言葉を見つけていくという、あてどない往還運動を続けるということになるでしょう。既存のものを少しでも先回りして壊しながら。新しい言葉に作り直していくということが、ピュシスに接近していくあり方ではないかなと思っています。

坂本/思考自体も、そういう山登りで登っていくということですね。

福岡/坂本さんと私は分野は違いますが、志は一緒ではないかと思っています。
(・・・)
 ピュシスの実態は、ロゴスの極限にまでたどり付かないと見えにくいものです。YMOとしてデジタル神話を作り出してきた坂本さんがピュシスに戻ってきたというのも、一つの円環のようなもので、人生の航路を象徴するようでもあります。」

【目次】

世界をどのように記述するか――刊行に寄せて
PART1 壊すことから生まれる――音楽と生命の共通点
PART2 円環する音楽、循環する生命
Extra Edition パンデミックが私たちに問いかけるもの

※PART1とPART2は、NHK Eテレ『SWITCHインタビュー達人達』(2017年6月3日)で放送された対談を未放送分も含めて収録し、大幅に加筆修正したもの。

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