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2010年代後半に起こったロンドンシーン その4 歴史〜年上の大人たち〜

これこそ今のロンドンシーンの重要というかなんだか珍しい特徴な気がする部分。ほとんどの音楽シーンは前のシーンの否定から始まって20歳前後の若者が「それとは違うもの」を目指した結果巻き起こるみたいなのが多いけどこのシーンは大人たちがごく自然に隣に存在する。

So Young Magazineで当然のようにBaxter Duryが取り上げられてプレイリストに入り、 Speedy WundergroundのDan Careyは若手バンドに混じってチャリティコンピに参加して、YuckのMax Bloomは後輩バンドの曲をカバーする。そんな風にしてお互いを否定せずに認め合いコミュニティを形成していく、これもやっぱり立場や環境でなく価値観で結びついているということなんだろうか?最初に「全てはFat White Familyから始まった」って書いたけれどやっぱりそこに戻って来るような気がする、18年に来日したGoat Girlのこのインタビューを読んでなんだかそんなことを考えた。当時読んだときにはピンと来なかったけど今読むとこの感覚もよくわかる気がする。


L.E.D.:そうね。いまサウスロンドンのシーンが熱いとかよく言われるしメディアに特集されることも多いんだけど、そのシーンの中で一緒に並べられるShameや、Milk Disco、Sorry、HMLTDとかはアーティストによって音のテイストもバラバラだから、そこで何か新しいジャンルが生まれる感じではなさそう。私たちがちょうど「The Windmill」に通い出したあたりからシーンとしては注目されるようになっていて、むしろその時の方がここら辺らしいサウンドというのがあったような気がするな。いちリスナーとしての意見だとね。
ナイマ:たくさんバンドがいたよね。だからこそ夢中だった。その先輩バンドたちが「The Windmill」らしい音を作り上げてくれてね。そういうバンドを私たちが17、18歳くらいの時に一生懸命観て、自分たちもやりたくなってバンドを始めた私たちと同じように、同世代の若手バンドも次から次へと生まれていったんだと思う。例えばShameとかもそうだけど、バンドをする前からよく同じギグを観にきてたの。会場で会うみたいな。
ーその先輩バンドにあたる人たちって例えば?
L.E.D.:MEATRAFFLEとか?
ナイマ:それは鉄板。あとは…Warm duscher、Fat Whit Family、BAT-BIKE、Phobophobesとかかな…。
ナイマ:Fat Whit Familyは海外でも人気のバンドだけど、地元で人気だったのはBAT-BIKE。
ーこういったバンドからインスパイアされていたということですか?
ナイマ:うん。私たちはこういう人たちの音楽を体感して育ってきたから、ゴート・ガールの音楽制作における最大のインスピレーション源そのもの。なんなら、ギグに行きすぎて音源をちゃんと聴いたことがないくらい。それは、みんなエネルギッシュなバンドパフォーマンスだから目の前で聴きたかったのと、改めて家で聴くのがなんか違うような気がしたから。


このインタビューを読んでなんだか色々と腑に落ちた。ウィンドミルのシーンはFat Whiteに憧れてバンドを初めたShameが中心になって作ったシーンとFat Whit Family直系のラインと二本あるんだなって。ここに名前の出ているMEATRAFFLE、Warmduscher、Phobophobesなんかはまさに直系(Trashmouth Records系)でそこにPREGOBLINとかDeep TanとかMadonnatronとかが加わって広がっていった(エリーの言うウィンドミルらしいサウンドっていうのはたぶんこっちの音なんじゃないかって思う)。

WarmduscherとMEATRAFFLEはSpeedy Wundergroundでもリリースしていてここでもやっぱり繋がる。Warmduscherの2ndアルバムはDan Careyプロデュースだし。

最初に憧れがあってそれから新しい流れが出来てどこかで混じって大きな流れとして成立する。年が離れていたとしても価値観を共有出来るのならばそれは仲間、Fat Whiteから始まった流れはシーンの源流として存在したんだなってことがよくわかる。

ついでに言うとこのBAT-BIKEってTiñaの人が前にやってたバンドだって当時はわからなかったことも今ならわかる。こういうインタビュー読み返すとやっぱり新たな発見があるな。BAT-BIKE、スリリングでめっちゃ格好いいし。


2010年代後半に起こったロンドンシーン


全てはFat White Familyから始まった。何事にも歴史があり積み重ねなくして突然現れたりはしない。今のロンドンシーンはFat Whit Familyが作った源流にShameら新しい世代のバンドが新たな流れを作っていくつもの支流と合わさって広がっていったもの。それを伝えるSo Young Magazineの活動が同時期に始まって、その過程でアートと混じりそれらを体験する場所が出来てそんな風にしてシーンはどんどん大きくなっていった。レーベルがあり主張があってそれを後押しする場所や仲間や集団が存在して……色んな要素が集まり繋がる今のロンドン/UKシーンは最高に面白いしワクワクする。

でもこの面白さは、ロンドンから世界中に広がってはいるけれど、やっぱりローカルなものだって日本にいてそんな風に感じることもある。世界の全てをカバーするものではなくて、インターネットを通してある場所のローカルと他の場所のローカルとを結びつけるそんな現象、これは細分化された現代の特徴なのか?それともメインストリームとは違うものだからなのか?パスを繋ぐようにしてシーンは繋がっていくけれどオセロのように辺りを巻き込み一気にひっくり返ったりはしない。リアルタイムで興奮が伝わり一緒に盛り上がることができるけどそれはある種のエコーチェンバーみたいなもので……なんて考えたりもする。

でも同時にかってあったシーンも同じようなものだったんじゃないかってそんな風にも思う。その時起こっている時は気がつかなくても後で振り返った時にあれは凄かったって言われるような、そんなシーン。頭の中にずっと24アワー・パーティ・ピープルが存在していて、その中でトニー・ウィルソンが「歴史を目撃した」とささやいている。

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半分冗談で言っているところもあるけれど、でもマジで何か起きているんじゃないかって感覚がある。正直に言うともう既に第一章は終わった感じだし、ここから一気にセールス的に世の中を巻き込んでって風にはならないような気がしてるけど(将来的なフェスのヘッドライナーがこのシーンに存在したとしても)それでもやっぱり何かが起きているってはっきりわかる。

再び頭の中でトニー・ウィルソンが「ここからが第二章だ」って芝居がかったセリフを言う。だから何かが起きるって期待して次のバンドの、次の曲を待つ。そんなことを繰り返す。

でも全ては楽しいからだな。面白いってなんだか感じられるから。単純に見ていて楽しいし、こういうことだったのかもって後でわかったような気にもなれるし、こうやってうだうだと考えるのもまた楽しい。バンドが他のバンドの存在を意識して刺激を受けて活動する姿を見るのも好きだし、そしたら勝手にストーリーが出来上がる。そこに音楽以上のものを求めているから、だからきっとシーンを求めるんだなってなんだかそんな気がしてる。




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