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【備忘録】アルゼンチンで3回目の誕生日のお祝いをした


アルゼンチンに来て3回目の誕生日を迎えた次男。
2人だけの誕生日をお祝いした時の話。


今まで一度も『寂しい』と言ったことはない。
あえて言わないようにしているのか
気づかれずに、紛らわすのが上手なのか。

無意識のことだとも思うけど
日本のことを話さないようにする時期もあった。

最近は、日本の小さい頃のうっすらとした記憶を
辿って話したりすることが増えてきたんだ。


誕生日は寿司でお祝い


それはそれで振り返るのも楽しいこと。
日本の記憶が12歳で止まっていることが
正しいのかどうかを考えてしまうこともある。

12歳当時、小学校で仲の良かった友達とか
サッカーチームでプレーした仲間たち。

あの時みたいに話せるのかとか
親としては余計な心配をすることもある。


そして、15歳を迎えて話したこと。
『もっとアルゼンチンを感じよう』って。

アルゼンチンでの生活に慣れた分だけ
そんな自覚が薄れている気がしてきた。

自分で意思決定したからこそここにいる現実。
この体験を人生においてプラスにしていく。


この先、日本に本帰国することがあれば
必ず『また行きたい』って思うのが海外生活。

今、ここでできることを全力で満喫しよう。
アルゼンチン生活が過去形になった時に
『あの時期があったから』って思える人生にしたい。


そして、15歳って年齢は複雑な時期ではあるけど
大人になる過程での最終ステージということ。

自分で判断して、自分の足で歩いていくこと。
単純だけど、そんなことを意識して生きていく。


もう子供じゃないことを親も認める。
(実はこれが一番難しいのかも)


友人とミニサッカー(本気の)


友達と学校で揉めることも出て来た。
スペイン語が理解できているという証拠。

日本にいても日常的に起こることが
言葉をマスターしたから起こっているだけ。

自分で取捨選択をすることも増えてくる。
理由がはっきり説明できれば良いと思う。

あの時、どうしてそう思ったのか。
それが間違いでも、気づければ良いのだから。


アルゼンチンでの日々を振り返った時に
日本ではない不便な環境で生きてきた自分自身に
感謝できるような毎日にしていこう。

そんなことを話せる年齢になったという事。
来て良かった、と実感できるのはこれからだから。




そして2人だけで迎える3回目の誕生日。
次男のスペイン語の上達がすごい。

完全に父は置いていかれてる現状。
それを子供が心配していたりして。

多感な時期に海外で過ごすって
反抗期なのに、親を心配するようになる(笑)。


父の頃の15歳と言えば『15の夜』の時代。
タバコやバイクに興味があって
学校で勉強することが苦痛で仕方なかった。

そんな話はもう少し大人になったら
してみようかと思っている。


※ サッカーの様子


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