パンデミックの時のこと
アルゼンチンに来て、2か月が経過していた。今はホームステイでお世話になる方々とスペイン語のコミュニケーションを兼ねて生活している。
1.車での移動中の話
さすがに流暢に会話することはできないので、スマホの翻訳アプリを駆使しての会話となるのだが、段々お互いに慣れてくるとわかる範囲での会話ができるようになってくる。
現地での移動もホストの運転に委ねられており、そこでもエピソードは尽きないのだが、その移動中の会話を頑張ってしてみようと思った。
2.助手席で何の話をしたらいいのか
運転中の無言の空間もそろそろ苦しくなってくる。簡単な質問はできても答えは理解できずスムーズに会話ができない。何かいい手はないものかと考得る時間だけはたっぷりとあった。
後部座席の子供と会話するにも、日本語で話すことは運転手にとって失礼だとも思い極力控えることにしていた。不快にさせることは本望ではなかったからというのがその理由。
3.いいネタがあったじゃないか
そうか、ちょっと前のパンデミックの話をすればいいのか。きっと大変な思いをしていただろう。そういう時の話って尽きないんだろうという想定をしていた。日本で言うところの「最近どう?」みたいなイメージだった。
4.想定していない返事がくるのがアルゼンチン
勇気を出して言った質問は「パンデミックの頃はどうだった?」だった。軽々しく聞くことでもないと思いつつ、重々しく聞く語彙力はないので直訳してぶつけてみた。
返事はなんと「Bien!」のみ。大丈夫の一言で終わってしまうという展開。あまりの予想外さに「Bien?」で返してしまう。
何が大丈夫なのかをゆっくり聞いてみた。今さらだがパンデミックとは、外出ができない状態のこと。運転している人に聞いたからなのか、「道が空いていて幸せだった」と話し始めたのである。パンデミックで「幸せ」のキーワードが出るとは夢にも思っていないことだった。
5.まだ話は終わらない
話には続きがあった。「人が少ない上に、あちこちに警官が立っているから安全だった」とまで話してくれた。アルゼンチンの人にとって、普段の街中には危険がいっぱいという認識があるから、警備強化されたパンデミックは安全であるという風景なのである。
パンデミックの質問に、まさかの「幸せ」「安全」とのお返事。日本の感覚では考えられない。不便な日々を話して止まらないことを想定していたのに、全くそんなことも感じさせない。
逆に言えば、普段の不便さに慣れているから多少のことでは愚痴にもならないということ。どんなことでも、大らかに前向きに捉えることのできる国、それがアルゼンチンなのかもしれない。と言うことは、警官が増えれば住みやすくなるということも言えるのかもしれない。
6.日本は苦労話が好きすぎるのか
日本語には「武勇伝」という単語がある。昔の苦労話を酒の肴に延々と話し続けるという苦痛の文化。人の苦労話ほど役に立たない話もない。それは今を生きる人には何の関係もないから。
何でも楽しかったエピソードに昇華できる人種、そんな文化も悪くないと思う。パンデミックは明らかに世の中を変える出来事。それすらも受け入れて笑って振り返ることのできる国、気持ちの強さはそこから来ているのかもしれない。
7.日本だったら
日本は不安が過ると買いだめに走り、家から出ずにストレスを抱えていく。誰にも聞こえない場所で文句は言えても、それをアウトプットせずに我慢できてしまうのが日本人。「働きすぎ」と言われる所以なのかもしれない。
先にリスクを考えることも大事なこと、でも今ある状況から楽しい景色を見つけることができるかどうかで、人生の楽しさが変わってくる気がしている。「あの時何が楽しかったのか」を考える習慣をつけるだけで、日々の生活の景色が変わる気がしている。
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