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祝日

ドアが開くと、篭っていた水の流れる音が鮮明になる。

「ねえ、ちゃんと便座下げて出てきてよ」

「ごめんごめん、あ〜腹痛え」

彼がお腹を愛でるように摩りながらトイレから出てきた。

「だから昨日言ったじゃん、お腹壊すよって」

「それでもニンニク食べたかったんだから仕方ねえじゃん、今日休みだしお腹壊してもなんとかなるかなって」

昨晩仕事を終えた私たちは、祐天寺で集合してラーメンを食べに行った。
そこのラーメン屋はつぎたしのタレで漬け込んだ焼き豚ラーメンを売りにしており、そしてトッピングにニンニクを入れるというのが定番化されているようなスタミナがつくお店だった。
彼は「木曜日に休みなんて最高だよな、よしニンニクトッピングしよ」と調子よさそうに言った。私が「絶対お腹壊すよ」と制止するも、まあまあと軽くあしらった。

「やばい、またトイレ行きたくなってきた」

リビングに戻る足を止め、その場で立ちすくむ彼に「あと15分しかないから、家出るまで」とため息混じりに声をかける。
今朝起きた時から、時間の催促をしてきた。起きる予定時刻にも布団にうずくまっている彼に、リビングで朝の情報番組を横になりながら笑って見ている彼に、笑い声がしないなと様子を確認するとうたた寝をする彼に。

「ごめん、トイレ」

踵を返し、小走りでトイレへ駆け込む。
ため息をつく。言葉が混じらないため息は、蝋燭の火を消せるほどな勢いで自分でも驚く。
一度トイレへ入ったら10分も15分も出てこない彼は放っておいて、自分の支度の完了を遂行させる。
髪の毛は整え終わり、荷物は昨日のうちに入れておいたし、後は着替えるのみだ。

クリーニングに出す猶予はなく、数年振りにクローゼットの奥から取り出した喪服は独特な匂いがした。昨日ラーメンの帰り道コンビニで買ったストッキングを履いてからスカートに足を入れる。いつ新調したかも覚えていないほど前のスカートだが、少し緩く感じる。痩せた、数ヶ月仕事の忙しなさに食事がおざなりになっていたことを改めて認識した。
それからインターとジャケットを着ると黒を纏った私が姿見に写っていて、急に日常から浮いた存在になる。

マミから連絡があったのは、昨晩ラーメン店を後にしてから少ししてからのことだった。
地元を離れて生活している私に反して、マミは地元の市役所に勤めていて、その地域の活気を盛り上げるための仕事をしていた。
マミから急に連絡があることは一年に二回ほどあり、誰かが結婚した、誰かの親が死んだ、だいたいがこの2パターンだった。
今回はどちらだろうとその連絡に目を通す。

「サキが今日の朝亡くなった。明日お通夜だけどこれる?」

サキもマミも、そしてお腹を下してトイレに篭っている彼も小中の同級生だった。山の上にある小さな学校で、少人数のため集会や運動会など小中合同で行う。同学年はその3人を含めて10人で、私たちの学年は他の学年が3人や4人だったことと比べると、とても多いように思えた。
ただ10人中7人が男子だと言うこともあり、サキとマミと私は常に3人で一緒にいた。

サキは県内では栄えている街で美容師をやっていて、たまに帰省すると私の髪を切ってくれていた。
そのサキが死んだ。
行ける、タツシも連れて行くと返信をした。

コンビニでストッキングを買って家へ帰ると、マミから長い文でメッセージが来ていた。
「私もうっすらしか知らなかったんだけどサキ、ガンだったんだって。友達とかにもあんまり行ってないらしくて、今コロナで面会もできないし。」
返す言葉が見つからなかった。見つけるというよりも、この世にその言葉は存在していないように思えた。

着替え終わった私はもう一度、荷物の確認をする。お通夜の日は泊まることになるだろうから適当な服など、通夜に持って行く鞄、香典を確認する。ちょうど確認を終える頃、水が流れる音が聞こえた。

「だからさ、便座下げてって!そして早く準備して」

「ごめんなさい」と腹を摩っている。
「早く!」と私が言うと、やっと彼の中でスイッチが入ったのだろうか素早く自分の部屋に向かって準備を始めた。
ふりかけやレトルト食品がある棚から胃薬を取り出して机の上に置く。
向こうのほうでバタバタと忙しない音が聞こえる。
ガチャ、はい間に合ったでしょ!と誇らしい顔に腹が立つ。

「はい、これも飲んではやく」

「お、ありがとう〜」

「もう行ける?」

「行ける行ける!」

手に持った荷物を目視して彼が言う。

「香典も?」

「あ、机の上だ!」

「」

またバタバタと部屋まで走り香典を持ってすぐリビングに戻ってきた。

「完璧!」

「お前が完璧なら私はなんだ!」

「大完璧?」

「もういい、行くよ!これも持って」

彼に私の大きい方のカバンも持たせて、お互い普段履かない革靴を履く。靴底からコンコン鳴るのが新鮮で、足裏からゾワっとした電流のようなものを感じる。数年振りに地元へ帰る。長い道のりになる。彼女のことを考える時間がたんまりとある。

「やば、気持ちまたお腹痛いかも」

「はい、気のせい気のせい。気にしない

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