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惡の華

山の窪みに雪が積もっていて、それが無邪気に居座る構造物と届きそうにない冬空の間で、垣根のように聳えていた。
月や北極星のように、追いかけても、追いかけてもその距離は一向に縮まらない、雪の積もった山もそう思えるほどに人力が及ばない神聖なもののように感じた。荘厳さを常に漂わす山は四季によって様変わりする。夏の開放的で触れれそうなほどはっきりとした緑々しい感覚とは対になっている冬の山。構造物も山もそこから微動だにしない。そう思わせるのは空なのか、山の上部を染める空をも一度注視したが気持ちのいい場所で納得するには不十分だった。

「もう結構山に雪積もってるね、綺麗だね。」

自分の思考を巡って、いくつかの臓器を通り過ぎ、最後に喉を越えて声になった時には、感受したほとんどは抜け落ちて短絡的な感想になっていた。

「なにが?」

助手席に深く座っているイツカがそう言いながらカバンからタバコを取り出した。

「いや山だよ、山。てかタバコ吸わないでよ。窓開けるの寒いじゃん。」

「どこがよ。私の歯みたいじゃない。じゃあ窓開けずに吸う、禁煙車じゃないんだし」

封が開いている、その反対側を2,3回人差し指と中指で叩くと魔法のようにタバコが1本、箱から飛び上がる。

「なにが?ちょ禁煙車じゃないけど嫌だやめて」

箱から取り出して口に咥えるまでのその動作の間に割り込むようにしてタバコを取り上げ、運転席側のドアポケットへ隠す。雪よりも白い、それは不自然な白で包まれたタバコがもうすでにドアポケットの中に5本ほど溜まっている。
イツカはジッポの石が擦れ音に似た舌打ちをしたあと「月曜日に治した歯。」と続けた。

「あ〜虫歯だったね。」

「歯を削ってさ、なんでだろうね。ここまで歯の中に虫歯があったのでここまで削りましたって、わざわざ私に手鏡まで持たせて見せてくるの。醜態を人に見られ、その上に鏡で戒めろ!みたいな。で、見てさ中身のなくなった歯だ、私みたいね。って思えば満足なんですか、そちらは!」

「いやいや別に虫歯だって病気みたいなものだし、ちゃんと磨いてる人だって虫歯なってりするじゃん。」

「なに?私がちゃんと磨いてないみたいな物言い」

「いやたまにお酒飲みに行ったあとそのまま寝てるときあるし。磨いてないとは思ってないし。」

「んで、じゃあ詰めていきます、って。知ってるわと思いながら変なさライトみたいなの当てられて。詰めたので、っまた手鏡持たされて。見てみると詰め物は偽物の白さしてて、逆に歯が不健康そうに見えるし、詰め物と歯の境目は茶色っぽく見えるし、はいあなたの醜態は私の手で救われましたアーメン、って」

「誰もそんなこと思ってないって」

「で、今日で治療は終わります。定期検診を3か月後とかに来ていただければって、もう教会じゃん。礼拝いって懺悔して。」

「たしかに」

「適当に喋んな。であの山が私の歯じゃん。何で綺麗なのかいってみ」

「いやなんだろう、その迫力がすごくて神秘的というか、自分の力が及ばないというか、自然の脅威?も秘めていて」

「ほら、あの山が神的ってことでしょ?じゃあ歯は御神体ってことじゃない。歯医者は教会、虫歯は悪魔、歯そのものは神。」

「うん」

「歯が染みるのは、そうね、幸せになれない回転数みたいなこと。歯周病はもう取り憑かれいる」

「俺、親知らず四本あって全部横向きに生えてるんだけど、これは悪魔だよね?」

「そうね、その中でもとびきっきり」

「とびっきり?」

「うん、サタン」

「サタン」

舌ですべてのサタンを優しく撫でた。その動作の副作用で頬が膨らみ、彼女に気にしているのがバレると「私はサタンほどではないけど、悪魔を飼い慣らしている」と高慢な表情だった。その余韻を顔に施したまま、彼女はカバンを漁って、タバコを取り出す。

「私の悪魔はタバコの煙が嫌いでね。」

人差し指と中指で箱を叩く。タバコが一本飛び上がる、魔法ではなく魔術。それを無言で取り上げて、ドアポケットへ隠すと、左の太ももを強く握った拳が振り落とされた。

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