ニート生活記 10日目「尾道・福山」

所が仕事に行った後すぐに起床した。
カーテンを開けると、まだ小雨が踊っていた。
身なりを整えて、すぐに所宅を後にする。
彼の自転車を借りて最寄駅に向かう。雨足は少し強まっていて、トラックに水飛沫をかけられ小さく叫んだ。桜は昨晩の雨で散って、濡れたアスファルトに縛り付けられているようだ。
駅に着いた頃には、雫が滴るほど濡れていたがこんなこともあろうかとコロンビアのナイロンを持ってきて正解だった。ほとんどはサッと払えば解決できた。

知らない土地で見たことない電車を待った。
やってきたのは黄色い電車で、哀れみを纏っていた。それに乗ってまず岡山まで行って、三原行きに乗り換える。
岐阜とはそこまで変わらない景色が長く続く。連日の流離と慣れない早起きだから少し微睡む。電車に揺られるたびに、外の様子を確認して息を吐いた。
車内アナウンスは次の到着が尾道だと告げると、海と幾つもの船が見えた。神戸で見た海よりも生活感が伺えて惚れそうになった。
尾道について、改札を抜けると目の前は海だった。
映画を好きな者として尾道はいつか必ず訪れなければならないとなんとなく思っていた。尾道シネマで映画を見ること、小津安二郎の「東京物語」のロケ地を覗くこと。これが目的だ。
予め尾道シネマで上映されている映画を調べることはしなかった。映画と会うという体験にしたかったからだ。
だからまず尾道シネマへ行くことにして、マップを見ると駅からすぐだった。
尾道シネマの目の前に着いて、その時間を大切にするために一つ深呼吸をする。そして上映映画を確認する。
夜明けのすべて、ある閉ざされた雪の山荘で、夢見る給食、ケリーライカート特集。吹きこぼれるお湯の原理がわかったように興奮した。
愛してやまないケリーライカートが上映されていた。その日によって、old joy、river of grass、ウェンディ&ルーシーがやっているようで今日のを確認するとold joyだった。
ライカートの中で一番好きな映画はウェンディ&ルーシーではあるがold joyは映画館で見たいとずっと思っていた。上映時間は15時頃だったからだったので、浮かれたままに一度シネマ尾道を後にした。
まずはお昼ご飯を食べようと、今回はGoogleで調べた。「めん処 みやち」というお店の外観や中華そばの雰囲気に惹かれ向かうと三、四人並んでいた。まさか自分がここ数日で2回も並ぶとは思っていなかった。回転率は早く、すぐに店内に入って、天ぷら中華といなり寿司を頼んだ。お店の方の愛想がとても良く、その方が扉を開けて、その一番近くだった私に「ちょっと暑いわよね」と話しかけた。食べている途中の私は急なことで、咄嗟に「ちょっとそうですね」と答えようとした。しかし「ちょっ」の勢いで口に含んでいた麺が鼻水のように出てしまって、急いで啜って口の中に戻してから「ちょっとそうですよね」と言い直した。

お店を後にして、特にやることを決めてなかった私は一度海の方へ出た。するとフェリー乗り場という看板があり、一人70円という安さに惹かれ、どこにたどり着くかわからないまま乗り込んだ。3分ほど海の上を渡り対岸に着く。向島という島だった。ふとある看板を見ると大林宣彦尾道三部作ロケ地と書かれていて、そこに書かれていたロケ地をいくつか回った。島は尾道よりも多少ゆったりとしていて野良猫をよく見かけた。この頃には青空が垣間見えていた。
1時間ほど滞在して尾道に戻った。東京物語のロケ地である浄土寺に向かった。その最中、尾道書房という古本屋に立ち寄って人生で初めて本のジャケ買いをした。恥ずかしながら作家の方も知らなかったが、装丁にかなり惹かれて購入し、後から作者を調べまると今敏のパプリカの原作だと知って嬉しくなった。
そこから20分ほど歩いて浄土寺についた。
道中も人気はなかったが、境内に入ると誰もいなかった。本堂の掃除をしている住職の方だけがいて、「どうぞ中も入って下さい」と案内された。お賽銭を入れて、お寺の作法がわからなかったので手だけゆっくり合わせた。
境内のらどこがどのシーンなのか全くわからなかったので住職の方に近づいて尋ねてみた。
すると、快く説明してくれた。あそこの境内少し移動はしてるんですけどあそこで笠智衆は「今日も暑うなるぞ」と言ったんです。あの本堂なども移動してしまったんだけど、これはあの建物だね。などと東京物語のシーンを用いて説明してくれた。ありがとうございます、みてきますと告げ境内に出た。
ここに小津安二郎がいて、この土地に惹かれたのだと思うと自分の中の何かが呼応しているような気がして、変で良い気分だった。
私も作品を作りたい、元々あるそんな簡単で難しいことが目の前で大きく膨らんでいった。
その気持ちを胸に溜めてゆっくり境内を見ていると、住職さんが本堂から声をかけてきた。私は駆け寄ると、「これ前に開催された小津さんの企画なんだけど」とその時のポストカードを渡してくれた。
「ありがとうございます」
「どっから来たの」
「岐阜です」
「また遠いところから、それに若いのに小津さん好きだなんて」
私は照れてしまって、何も返さずにいた。
「じゃあ気をつけて」と手を振る住職さんに、お礼をした。最後にお寺から見える海と線路の写真を撮って浄土寺を後にした。

商店街に戻ってフラフラしていると、美味しそうなパン屋があったので二つ購入した。一つ食べるとお腹が膨れてしまってもう一つは家主にあげようと思う。
海沿いを散歩すると、あっという間に15時ごろになったのでシネマ尾道に向かった。
窓口でチケットを買ってロビーで会場までまった。そこに置かれていた交換日記のようなノートに寄せ書きをした。
映画が始まってすぐ、今日も1日歩いていたし連日の旅の疲れでウトウトしてしまった。前半は微睡んだまま見てしまったことだけが心残りだが、やはり映画館で見るライカートは格別だった。孤独な不安が、孤独な優しさがこの箱の中に充満していた。どこへ行っても映画館は上位時間の間、別次元、太陽系とは別の宇宙にいるような気がしてしまう。
上映が終わって、映画館の扉を開けるとちょっとした浦島太郎のような感覚になる。何も変わっていないはずなのに、全部が少し変わったようで。ただ感覚として感じられるのは風が冷たくなっているぐらいだった。
そのまま駅に向かって尾道を後にした。

目的もないまま福山で降りた。
構内から出ると福山城がすぐそばにあったので上まで登ってみた。すぐに降りて、駅の反対側へ出て無目的に歩いた。よく考えればここは広島だという当たり前のことを思い出し、広島へ来るのは修学旅行ぶりということと思い出した。あの時広島焼きを食べて、あまりの美味しさに驚愕した記憶があり、そうなればそれを食べるしかないだろうということになった。
入った古着屋で店員の方に聞いてみると、観光向けではないがと一つお店を教えてもらった。案内される道に従って行くが、進めば進むほどに道は狭くなり、住宅街になった。こんな所にお店はあるのかと不信なまま歩いて行くと、突然としてそのお店はあった。一度通り過ぎてしまうほどに存在感がなかった。
ガラガラと扉を開けたが、客もおらずお店の人もいなかった。大きい鉄板が一つ、それに付随してカウンターが5つあるだけの小さな店だった。すいません、と2、3度声をかけたが何の反応もなく帰ろうかと思った時、向こうのほうで物音がしてやっとお店の人が姿を現した。70代ぐらいのおばあちゃんで私の祖母に何となく似ていた。
メニューを見るとその価格の安さに驚きつつもミックスそば入りの大を頼んだ。おばあちゃんは手際良く大きな鉄板でそれを作っていく。
完成して、私の近くまでまでそれを寄せるとヘラを一つとマヨネーズだけを渡された。お皿も箸もなく、躊躇したがこういうスタイルなんだと思ってヘラだけを使って食べた。鉄板から直接食べるものだから上顎は傷だらけ。ヘラは大きいから食べづらかった。しかし安心する美味しさや祖母に似ていることもあって、ゆったり癒されつつ広島焼きを平らげた。
お会計の際に、岐阜から来たことを伝えると地元の人しか来ないからと驚いていた。
美味しかったですと言うと、ゆったりとした喋り方でありがとねと返してくれた。
それから福山で少しお土産を買って、岡山へ帰る。

私が所宅に帰り、もみじ饅頭買ってきたと言うと、俺もみじ饅頭好きと彼は言った。
それに続けて彼は、スマブラを買ってきたと言った。
私は素早くお風呂だけ済ませて、寝る前までスマブラをやった。瞬きをしないから目がかなりしばしばしている。

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