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昨日の晩、静かに降り続いていた雪が日中の陽射しで溶け始め、それは時折どこかの家、もしくは私の家の屋根からまとまった雪が地面に落ちる音がするからそう思った。
家の一番大きな窓から外を見ると、目の前にあるテニスコートぐらいの大きさの駐車場の砂利に広範囲の水溜りができていた。それは光を反射させるような簡単なものではなく、水面と太陽の間にある光を集めて発光しているようだった。それは池に似ている。そう思うのと同時に忘れていた記憶が蘇った。まるでボールを水底まで沈め、浮力を強く受け水面に勢いよく浮かび上がるように。

あれはまだコロナが流行していた頃、緊急事態宣言は発令されておらず、人や街の流れが鈍くはあるが動き始めた、夏の初め、それか春から夏へ移る隙間だったと覚えている。
コロナの影響で私の働く先が休業を数ヶ月経て、それから職種柄か再開の目処が立たなくなり、私はそのまま仕事を失った。
なぜかそれに対して当時はあまり悲観的でもなく、貯金も多少あり、世間も動いていないから大丈夫と出鱈目な理由をつけてフラフラしていた。
そして時間を持て余した私は、仕事が休業になっていた友人の家によく遊びに行った。それに加え、学校へ行くことがなくなった大学生、元々働いてもいなかった二人の友人。合わせて四人で毎晩のように夜通しで麻雀をした。

その友人の家は同い年ではあったが、一軒家に一人と猫で住んでいた。度を越えた大声は迷惑だが、そこそこの声であれば誰にも迷惑をかけないことをいいことに本当に麻雀に明け暮れた。来る日も来る日も生産性のないやり取りをしては、会話を遮るように「ロン」「チー」「ポン」「ツモ」をする。仕事をしていない友人は所作や言動に品がなく、どちらかというと汚らしい存在だが「ロン」「ツモ」と上がるときにだけ、二枚目のような低く冷静な声を使うのが毎回癪に触るし、気色が悪かった。大学生の友人はそこまで麻雀が好きではない様子だったのでいつも眠そうにしていたが、朝方みんなが眠りこけたあと彼は、スマホを永らく操作し女と連絡をとっていた。

そしてその日もいつものように夜10時ぐらいに集まっては麻雀をしていた。
そして深夜3時頃、住人の友人が「鯉を飼いたいんだ」と言い出した。彼はその当時熱帯魚に興味が深く(それは大学生の友人から影響をうけたもので)、その延長線上として鯉の価値と妖艶さに魅了されたとのことだった。
「でも鯉はかなり大きな水槽がいる」と住人の彼がいうと、大学生の友人が「庭に池を掘ればいいのでは」と矢継ぎ早に言う。私はいつもの(既出のように生産性のないやり取り)だから、冗談だと軽く笑っていると、住人が「それあり!」と謎解きで最後の難題が解けたような顔をしていた。まあ勝手に魚が好き同士やってくれよと、私が牌を捨てると、仕事をしていない友人(ここからは浮浪者と呼ぶ、あとの友人も住人と大学生とする)が、「穴いいね!」と二枚目ではなく下品な掠れた声で言う。「じゃあ朝になったらやろうぜ!」そんな地獄の使者からの通達が届き、私は少しも賛成していないが、その麻雀をしていた六畳ぐらいの部屋全体が同調していたので、自ずと私も快諾したように見えていただろう。

そのまま夜が去るのを待つようにして麻雀をした。
ふと外を見ると、空が紫色になり僅かではあるが陽の影を感じて、今からのことを考え身の毛がよだつ。私の視線に誘導されたのか住人が「ちょっと明るくなってきた」と言うと、「この局終わったら、穴、やりますか」と浮浪者が二枚目な声で言うので、よだった身の毛が壊死した。

四時半ごろに、鉄のスコップを持って庭に出た。なぜこの家に四本ものスコップがあったのかさえ恐怖である。駐車スペースの後ろ側の一角に穴を掘ることになり、スコップを地面に突き刺しては雑草ごとどけていった。ただ思ったより土が硬いのと時折岩のようにでかい石に突き当たるので作業は難航した。
少しずつ、少しずつ掘ってはいくものの、時間が経つにつれ太陽が昇り、気温が上がっていく。浮浪者のくせに一番手際よく作業はしているし、大学生もあれだけ麻雀中は眠たがっているのに従順として穴を掘り進めている。それに反し、住人はタバコを吸いながら指示をしている(ようにみせて)、穴は掘っていない。漫画で見たことあるような地下労働ではないだろうか、ここは。住人に対してだけではなく、浮浪者、大学生、そしてこの一体の空気。それと睡魔。なぜ私はこいつらのために穴を掘らないといけないのか、という冷静であればすぐ思う思考にやっと至り、スコップを投げ捨てて室内に戻りリビングのソファーに横になった。

それでも無意識に罪悪感があったようで二時間ほどで目が覚めた。一旦頭の中を整理すると、穴、穴、穴穴しか頭に浮かばない。しかし全員がリビングのどこかしらで寝ていた。私はリビングの窓から穴の様子を伺うと、私が作業を放り出してから、さほど穴は深くも大きくもなっていないように見えた。

それから泊まり込むようにして2日かけて穴を完成させた。縦横1m、深さは住人の胸辺りまでと立派な穴がそこにあった。私はあれから一切作業を手伝っていないが、帰れる手段がなくリビングでゲームをし、たまに窓から作業の様子を窺っていただけだった。

穴が完成したのは夕方で、そのままホームセンターに向かって、その車内でレンガとかブルーシートだとか穴の作り方を話し合っていたが私はもちろん蚊帳の外だった。
そしてホームセンターで買い物をして、ラーメンを食べてその日は解散した。

なぜかその日を境に、彼の家へ遊びに行く機会がなかった。何度か麻雀をする話にはなったが、大学生だけではなく住人も麻雀自体にそこまで楽しさを覚えていなかったようで、すべて集まることはなかった。

しかし、少し前に彼の家へ行くことになった。友人たち(麻雀の四人も含めた)と大阪へ遊びにいくこととなり、その集合場所が彼の家だった。殆どが時間通りに集合したが一人だけ遅刻していて、各々で時間を潰してそいつを待つ時間があった。
その時、庭を見てあのときのことを思い出して、穴を確認した。面影だけがあった。数年の風や雨によって、その穴はほとんどが埋まってしまっていた。そればかりかその土の上には、新たな雑草が生命力の強さを体現するかのように生い茂っていた。
住人に「穴なくなったんだ」と言うと、「あ、うん」と熱ひとつない返事が帰ってきた。おまけには熱帯魚にさえ、あまり興味が失くなったとのことだった。

結局、池は完成していなかった。しかし、その穴の面影と、雪解け水でできた池のような大きな水溜りを見た私は、夜の中で私達しかいないように楽しんだ麻雀卓と、窓から覗く穴掘り作業の初夏の視界を追想した。しょうもなく存在した淡い闇、どうでもいい白昼夢が確かにそこにはあった。

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