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私が農家になった理由part1~幼少期から大学入学まで~

どうも、改めまして農家の千恵です!
自己紹介もロクにしていなかったので、今更ですが私の子供の頃から入社までを書いていきたいと思います(笑)

私は1994年12月、香川県多度津町に生まれました。
父方母方ともに曽祖父の代までみんな多度津人という生粋の多度津人です。

赤ちゃんの頃から食い意地は一丁前です

そうそう、多度津町の特に父方のじいちゃん家のあたりの景色は、海があって山があって空も広くて、今私が住んでいる王越町によく似ています。
(トップ写真はじいちゃんちの目の前の砂浜です。ココ大好き。)

私のじいちゃんは、見立という地区に住んでいます。
その辺りはデラウエアなどの葡萄生産が盛んで、うちも葡萄をメインに栽培する農家でした。
私は小さいころ、お父さんに連れられてじいちゃんの畑に行ったり家の目の前の海に貝掘りに行ったりするのが好きでした。
畑に行くといっても仕事を手伝う訳ではなく、じいちゃん・ばあちゃん・お父さんが小さな口喧嘩をしながら農作業をしている傍らで野草を摘んだり虫を捕まえたり木の皮を剥いたりとただただ一人遊びをするだけです。
思い返してみれば、暑くても寒くても虫がいても「見立行くか?」と言われればついて行ってたので、今農業に就いているのもごく自然な流れだったのかもしれません。

うちのじいちゃん。作業後でお疲れの様子。いつも社会の窓が開いています。


子供の頃は将来の夢とかなくて、小学校低学年くらいまでは人並みに「ケーキ屋さん」や「お花屋さん」になりたいと言っていたような記憶があります。

初めて自分の中に価値観というものが生まれたのは小学校高学年の頃です。
学校で地球温暖化や砂漠化、海面上昇などを習い、その原因は二酸化炭素・フロンガス・メタンガス、つまりは人間と知ったのがきっかけです。
途端に車やエアコンが悪に、そしてそれらを開発した人間が醜く思えてきて、「私は自然の中で自給自足がしたい!!!」と思うようになりました。

うん、子供の頃から考え方が極端なんですよね(苦笑)
ゼロか100かみたいな。どっちかに振り切っちゃう。

ちなみにこの頃はクラスで一番のチビで身軽だったので、登れそうな木にはすべて登ったし、虫はなんでも捕まえるし、学校の帰り道に文字通り道草食うし、野生児だとかじゃりン子チエだとか好き勝手呼ばれていました(笑)


あと、それと同時期くらいだったかな。
これまた学校の授業の一環でストリートチルドレンとか世界の貧困層の人たちのことを知って、当時11歳の私は純粋に可哀想…と思い「この人たちを救わなきゃ!」とも強く感じました。

時は経ち中学生になり、きっかけは忘れましたが、ひょんなことから青年海外協力隊の存在を知りました。
「発展途上国の人も救えるし自給自足も出来てめっちゃいいやん」と、ビビビっと来ました。
 
それからしばらく、青年海外協力隊になりたいとぼんやり考える時期が続きます。
あくまでぼんやり
「どうしてもなりたい」という強い夢では無かった為、何か行動が変わるわけでもなく、日常生活はごく普通に過ごしていました。

高校は運良く定員割れだった志望校へ。
文理選択は「クラス40人中30人が女とかドロドロしてそうで無理」というだけの理由で文系を避け理系を選択。
中学高校は部活に忙しい日々で、正直将来のこととかあんまり考えてなかったです。
(部活はバレー部でした。実はバレーは小学校1年から始めてて何度もやめたいと思ったけどやめる勇気がなくて、結局高校3年の総体まで走り切りました。)

大学受験はせっかくなので理系の学部に行こうと思うも、 医学・薬学=頭が足りない、工学・理学・看護・栄養系=興味ない、…じゃあ農学部?という消去法で農学部に進学。

もちろん思春期なのでその時々で数えきれないほど悩みはあったのですが今となっては全然大したことはないもので、幸運にも大きな挫折などもなく、周りと同じように順調にコマを進めてきました。

そんなこんなで地元の香川大学農学部に進学!
つづきは次回、大学編で書いていきます!

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