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#オッペンハイマー2024/03/29

3/29 オッペンハイマー公開決定。
随分前からカレンダーに予定を入れていた。
待ちに待った公開日。

日本での公開が延期になった経緯は知っていたし、色々と思う所はあれど、ノーラン監督の新作。観ずにはいられない。

以下、物理や歴史について
なんの知識も教養もない女から観た
極めて雑な感想の記録や印象に残った場面である。

※ネタバレあり、というか全編ネタバレ!

※反芻し自分で思い出し整理しながら書いているので無駄に長いです。間違った認識などが多々あるかも知れません。あくまで個人の1回目鑑賞後の感想です。


林檎と青酸カリ
冒頭、精神を病んだ学生時代のオッペンハイマーが、衝動的に教授の机にある林檎に青酸カリを仕込むシーンがあった。
かつてアダムとイブが手にした知恵の実。
知識のメタファーと思われる林檎に
命を奪う毒を仕込むこの描写が冒頭にあるだけで、これからオッペンハイマーが歩む人生をあらわしている様でとても痺れる構成だった。

〜仕込んでしまった毒林檎を恐らく敵視していた教授が食べることを思い、その罪悪感に魘され行動して初めて後悔し、急いで翌朝林檎を処分する為に戻る。すると教室には教授の他に人がいる。林檎を手に取ったのは、自分が敬愛する物理学者のボーアだった。〜
間一髪その時は被害を防ぐ事は出来たが、オッペンハイマーはこの後、猛毒の林檎を作り、罪のない人たちが口に運ぶのを止めることはできなかった。そこがこの冒頭数分の林檎のくだりと相対していて、冒頭から(くぅーーっ)と感心で心が躍ってしまった。

どうやら林檎に有害物質を仕込んだ行為は証拠こそないが、実際に本人から語られたと言われるエピソードらしい。…怖いて。


バラバラな時系列と脳内イメージ
時系列バラバラ問題。
確かにただでさえ専門用語や人物が多いため混乱しやすいが、バラバラだからこそ感情面や人間味が引き立つと思った。
ある時点である過去が想起され、
あの時のあの行動や選択が…と繋がったり
ずっと心の内に深く刻まれていた出来事や、誰かの言葉が急に今の自分に効いてくることは誰にでも多かれ少なかれあるだろう。

また、今の行動がどんな未来になるか
無数の選択肢の内、その未来になる確率はどのくらいなのか、など実際の未来に話が飛ぶ場面もあれば、オッペンハイマーの脳内イメージの様に最悪の未来になる可能性もゼロではなかった。
そうした、人の心に浮かぶものや頭の中で考えうる可能性を、時系列をバラバラにする事で上手く描いていたと思う。
オッピーやアインシュタインら科学者達が想像した可能性の1つになってしまった感がでていたし、オッペンハイマー自身も想像していたはずの地獄を体験してみないと真に理解できていなかったが故の苦しみ、後悔の念を感じた。
恐らくあの情報量を時系列通りに3時間やっていたら、それこそ脳が情報量に飽きた可能性はある。
ダンケルクは確かそこまで時系列弄ったりしていないけれど、派手な戦闘シーンなどで緩急はあった。オッペンハイマーでは派手なシーンは少ない。だからこそ、この手法のおかげで喰らいつきたいという気持ちにさせられたと思う。



敢えて直接的に描かれていない戦場や被害
本作は実際の戦場はどちらのサイドも出てこない、あくまで両陣営とも人の命は数字でしかなかった。それが当時の政治家や軍、科学者の中のリアルだったのだろうと思うし、そこが怖いところなのだ。
実際の撃ち合いや人の死に様を観ないと、貴方は満足出来ませんか?想像や仮定の段階で原爆の恐ろしさは分からなかったか?
見ないと、体験しないと分からなかった人間たち。そういう人間があまりにも多すぎた。そんな我々人間たちにこそ、この映画のこの手法は必要だと思った。そして、ノーラン監督は、絶望しきっておらず、人間を信じているんだろうなと感じた。



"ほぼ0"
作中で"原爆の反応が続き大気に引火して地球を滅ぼす可能性がゼロでは無い"と何度も言われており、賢い研究者らはそんな恐怖と罪を背負って行動した訳だが、多くの政治家らは"ほぼ0"の恐ろしさなど見向きもしない。
実際、地球全てを瞬時に滅ぼさずとも、核戦争になれば人類は滅亡する故に、戦争の形が変わっただけである。冷戦、熱くなってしまえば世界が滅びる、と言った様な台詞も劇中に出てきた。
そんな恐ろしいモノを創り出してしまったにも関わらず、それが人の争いを止めることは出来ず、水爆実験など新たな破壊や死の神を求める姿をみて、オッペンハイマーは今までの自分の行いとその結果を思い知った様に反対派に周った。
真意は分からないが、私にはそう見えた。
そして、人間は今日もなお、争い、死に向かって進むのを止めない。気づけばオッペンハイマーと同じ視点に立ち、罪悪感と苦しみを抱いていた。私はこの気持ちを忘れないでいたいと思う。



妻、キティ
全体を通してキティの出番は多くはないが、彼女がどんな人物なのかが伝わるエミリー・ブラントの好演だった。
人妻でありながらオッペンハイマーと恋に落ち、結婚し、子どもを2人育てる。
夫の度重なる浮気を知りながらも、恐らく我慢をし葛藤していたことだろう。まぁ当人同士も浮気で結ばれた訳だし、オッピーも女好きと有名だったようなので、そこまで不遇の妻には感じないが。
オッペンハイマーの選んだ道の恐ろしさを理解しながらも、最後まで見捨てず、時に彼にハッパをかけ、高圧的な男たちからの質問にも知性とユーモアを持って遣り込める。
物語終盤、公聴会を経て一度科学会の中で落ちた名声が、再び表彰されている様なシーンでは、かつて夫を裏切りストローズ側についたテラーを睨みつけ握手を拒む。
あそこは思わずニヤリとした。
時代や宗教や国や思想によって、流され、上手く掌を返して世渡りしていく大人たちが生き残る。
そんな中でキティの姿勢は清々しくとても好きだった。恐らく本作で1番一貫性があったのは、妻のキティだろう。
自身も完璧な人間では無いながらも、彼の罪と共に生きる覚悟を感じた。どれほど恐ろしく、どれほどの苦しみだろうと思った。オッペンハイマーよりも強く、完璧ではないがカッコいい。この絶妙な塩梅、痺れました。



アインシュタインとオッペンハイマー
オッペンハイマーがアインシュタインの2人のシーンはどれも印象的だった。
オッペンハイマーがアインシュタインについて
前時代の天才扱いする描写があったが、
どんな天才であっても歳をとり、政治や戦争など状況が変わればその威光は失われ、やがて新しい世代、新しい発見がでてくる。
アインシュタインは平和主義者で、原爆に関わった事を晩年後悔している様な記録もあるが、オッペンハイマーをもう少し天才特有のイキリ感がありそうだなと感じた。
似ていない部分も多くあり、古い者扱いしていながらも、どこか自分の鏡のように思っていたのだろうか。
天才だからこそ分かる、見えるもの、科学の進歩を進める事と、それがどんなに恐ろしい結果をもたらすか分かってしまうことの苦悩を共有できる相手だったのだろうと感じた。
恐らく史実ではそこに居ないアインシュタインがいた事になっていた部分もあるらしいので、実際のアインシュタインではなくオッピーの中に居る"アインシュタイン"との会話やメタファーもあるのだろうなとおもった。
※詳しい人、どのシーンが本当はアインシュタインに会ってなかったか教えてほしい!


破壊の連鎖
学ぶことも想像することもなく、
見たいものだけみて、
信じたいものを信じ、争い、過ちを繰り返す。
技術は進歩しても、それを扱う人間の倫理観や道徳観が進歩しない。
だからといって科学の発展を止めることは出来ない性や、科学者たちが感じている"恐れ"すら踏み躙られる、政治や思想。過去から続くこの人間の愚かさ。
この人の愚行の連鎖は、破壊を広げていく原爆と同じ構造の様に感じた。



ストローズ
本作で恐らく観客の敵対心を集めるであろうストローズ。物語後半ではオッピーと対立し、陥れようとするヒールである。
彼の存在とそれに纏わる出来事も、この時系列バラバラの手法が活かされているなと感じた。

恐らく天才ではないにしろ、ストローズも自ら学者ではなく叩き上げだと言っているし、かなりの秀才だろう。そして天才であるオッペンハイマーやアインシュタインと並んで仕事をするまでの人物であるし、出会いの場面ではどこかオッピーと仕事が出来るのを嬉しそうにも感じる。
それ故にオッピーやアインシュタインに見向きもされない事や、2人の見ている境地がみることが出来ない悔しさ、天才故の無配慮さなどに恨みを募らせていき、それが最終的には公聴会など後半の激しい対立につながるのだ。
だが、ストローズが極悪人だろうかと言われると、私はそうとも思えなかった。オッピーもなかなかムカつくやつである。どっちかというと、いじめっ子の様な行動をしていたのはオッピーだ。
誰かにとっては小さなことでも、された側にとっては一生消せない記憶になる。凡ゆる瞬間の積み重ねが大きな亀裂を生むということが、時系列がバラバラな事により、一層際立っていた。


そして、ストローズにとって恐らく最大の屈辱であった、オッペンハイマーとアインシュタインの
2人の会話のシーン。ストローズにとっては見向きもされなかった屈辱の記憶であり、自分の悪口を言っていたんだろうと勝手な解釈で恨みを募らせるほど、1つの印象的な出来事だったはずが、実際はストローズの存在という些細な事ではなく、より重要で恐ろしいことを話していたとわかる終盤は、とても皮肉めいていて良かった。
誰でもオッペンハイマーになり得るし、誰にもストローズになり得る、大きな争いも恐ろしいが、個人的なことが大きなことを引き起こすんだなと、戦争に正しさがないように、善悪も視点による事を思い知らされる存在だった。
ロバート・ダウニー・Jrのあの怒りを募らせた悶々とした顔、助演男優賞も納得の演技であった。



心の支え、ラビ
沢山の登場人物の中で特に印象深かったのが、物理学者で友人のイジドール・ラビである。
常にオッピーをさり気なく見守り、多くを語らずもその表情からは慈愛や真心を感じる素晴らしい演技だった。
ほら、食べるんだ と差し出されるオレンジ。
ラビ自身は原爆の破壊力を知って辞退するが、それをつくったオッピーの事を攻める訳ではなく、常に気遣い味方でいた、とても聡明で優しい人の様に思えた。あまり描かれてなかったがラビさんは信仰心がとても強かったらしいので、そういったことも人格形成に関係しているのかな。
本作には沢山の天才がおり、天才性?の高さは必ずしも人間性の良さに直結せず、寧ろ人を傷付けたり、本作のオッピーのように恨みを買う事も多いだろう。しかし、ラビは極めて柔らかくバランスと安定感を感じる。短いシーンながらも、ホッと出来るキャラクターであり、演じたデヴィッド・クラムホルツの在り方が素晴らしいと感じた。
余談だが、パンフレットのラビの役者さんの紹介欄?がとても良いので、是非読んでみてほしい。



最高のスパイス、フローレンス・ピュー
精神科医で共産党員でオッピーと恋仲になるジーン。彼女の存在や影響がオッピーの人生にとっても1つの大きな存在だと分かる、魅惑的な存在感を放っており、本作でもピューは素晴らしかった。どの作品でも強さも脆さも感じさせ、不穏でミステリアスでありながら、溢れるエネルギーの放出も感じさせる。
本作では、オッピーにとってある種、彼女の存在が欲望や死や罪のメタファーの様な演出が良かった。
だってさ!
「我は死なり、世界の破壊者なり…」って言わせながらするセックスシーン、なんなん?!(すき)
恐らくたたなくなったのか興が削がれたのか、途中で離れて本を手に取り、その言葉を言わせながら再度始めるんですよ?ジーンとオッピーの関係やら、オッピーの特性やらを何となく分からせるし、セックスという極めて"生"を感じる行為をしながらのあの台詞よ。気持ち悪くて好きな演出でした。

オッペンハイマー自身、学生時代はモテず性欲を持て余したことも鬱を引き起こす1つの要因だったと言われていたっぽいが、その後科学者として権力をもつと女好きとして有名だったようで、人妻だろうがなんだろうが手を出していた訳で、倫理観が高い訳でも欲望に強い訳でも罪を犯すことのハードルもそこまで高いとも思えない。
こう書いててもオッペンハイマーって主人公だよな?と思わず笑いたくなるが、天才として同情を集め彼の罪を肯定する描き方ではなく、どこにでもいる欲望に負けやすい凡庸な人間の愚かさを持っている事が分かるつくりにしている事に公平性を意識していることを感じた。
そして、彼女の存在が魅惑的な影となりオッピー自身に巣食っていることを感じるし、公聴会のシーンではピューの体当たりのシーンが滑稽なのに気持ち悪く、不穏でずっしりとしていて、あの眼差しがとても良かった。



文字通りの丸裸
上記で書いた公聴会での、突然のセックスシーンには本当にテンションがあがった。
勿論ジーンはオッピーにとって大切な存在だと分かるシーンもあったが、やはり妻がいる身でありながら元彼女に会いに行ってセックスしている訳ですし、しかもあの赤狩りの時代に共産党員だと知りながらですから。軽率に次ぐ軽率。
そしてそうした小さな罪を犯すことや人を傷付ける可能性を厭わない行動が、後々自らの身を追い詰めているというのがわかる。
彼女に会いに行ったこの行動がソ連のスパイだと疑われる1つの大きな要因となった訳だから。
文字通り、人生を丸裸にされ、妻の前で浮気の詳細の説明をする、あの滑稽さ。
妻視点で夫の浮気を聞かされた時の想像してしまう不快感。どちらもが同時に描かれており、なんて効果的で意地悪で最高なんだろうと感じた。
リアルではないはずなのに、とてもリアルなシーンだった。



原爆投下後の演説シーン
原爆投下後、喜ぶ国民の前で演説するシーン。
あのシーンのあの描き方のメッセージ性の強さに、とても恐ろしく苦しいシーンで泣きながら観たのだが、同時にこの苦しみや恐さを感じる事に安心をした。
勿論、日本人として広島・長崎に対する会議のシーンから何から、本当に心が苦しくて泣いてしまったのだが、特にしんどいシーンがここだ。
戦争が終わったことに身体中から溢れんばかりに喜びを表し、賞賛し喝采や叫び狂乱する人々は、まさに当時のリアルであっただろう。だが、そんな喜びと称賛の頂点にオッペンハイマー自身の最大の悪夢の様な揺らぎを重ねた演出。
このシーンの前に出てきたズンズンと踏み鳴らされた足音の不快感が、このシーンの事だったのか!とわかる。
自分へのスポットライトが爆発の光に見え、喜びの声は悲鳴に、純粋な眼差しが溶け、無知なる自国民が被害者たちの惨劇の姿と重なる。この構造の描き方によって、どちらが正しいだとか間違ってるとか、善悪とかではなく、なんというかうまく言えないけれど、人が人を滅ぼしていくことを強く感じた。もうどうすることも出来ない絶望を。
そんな強烈な精神的インパクトを描きながら、オッペンハイマーの口から語られる演説の内容の恐ろしさね。あの言葉を言いながら自分自身が追い詰められている様な不快感、なのにスピーチの言葉は真逆のベクトルに向かっていって、オッピーの世界が引き裂かれてる様に感じた。
私はあそこで日本人が被害にあって惨劇の場面を描くよりも、あの場面の勝利して守っていたはずの自国民たちと重なって描いたことには本当に意味があると思った。
勿論リアルに広島・長崎の酷さを忠実に描いて欲しいと思う気持ちはあるが、どう描いても、何かを納得出来るような問題ではないし不快感を感じないではいられないだろうし、傷ついたと思う。
ただ、そこでそれを喜んでいる側のアメリカの一般市民に重ねたことで、これを観た日本人以外の人たちにも"日本人の悲劇"ではなく、"自分たち人間の悲劇"だと感じて貰いやすいのではと思った。

もしオッペンハイマーらが原爆をつくっていなくても、いずれどこかの国がつくっていただろうし、それがもしかしたら当時のドイツのナチス、或いは少し先のソ連だとか。恐らく同じ様にどこかで悲劇が起きただろうし、それがどこであれ起きるべきではない悲劇であり、今なおその危険が世界中のどこにでも溢れていることを改めて強く感じた。
勿論それが日本であり、私たちの祖父母や曽祖父の時代であったこと、苦しんだ人々が沢山いることは忘れてはいけないし、風化させたくはない。同時に今回私がオッペンハイマーを観るにあたり、第二次世界大戦の前後の時代の歴史を復習した際に改めて感じたのは、当時の日本がユダヤ人を大量に虐殺したナチスの同盟国であり、ユダヤ系のアインシュタインやオッペンハイマーらがどんな気持ちだったかを考えたとき、なんとも言えない苦しみを感じた。
結局、日本が原爆を投下されたことの凡ゆる苦しみを思い不快感をこの映画で味わうほど、人類全体で負の連鎖が今日まで脈々と受け継がれていることに気付き、オッペンハイマーやアインシュタインが憂いた未来の先に私も生きていて、こうして世界で未だに争いが起きていることから意図せずではあるが目を背けて生活し、恐らく知らない間に私自身の無知さ故に何らかの悪に加担している可能性を強く意識してしまった。

この苦しみをこの映画を通して持ったことは、
絶望でもあり希望でもある。
恐らく世界中でこの映画を観た人の中で
同じように何らかの場面で感情が動き、恐怖や不快感や怒りを持ち、戦争について考えることに繋がる。

オッペンハイマーという1人の人間の視点に引き込み、その人生を通して、私たちに考えさせること、向き合わせて投げかける姿勢。
難しい言葉が並ぶ映画ではあるが、どちらかというと極めて感情的な映画であり、考えるよりは感じさせる映画であり、答えや正しさのない映画であり、観客側に多くを委ねている映画であると感じた。

恐ろしいし苦しい映画だが
絶望しきってはいない映画だ。
どう感じても正しいも間違いもないだろうし
観るものに委ねるように、
とてもフラットにみえるように考えられている映画だと感じた。

この題材を扱う上での正しさや完璧などは多分ない。少なくとも私には分からない。
それでも公開前に危惧していた様な嫌な不快感はこの映画に対してはなかった。
この規模でこの題材を今世界に届けたことには意味があると思う。



おまけ
本作を観てすぐに思い浮かんだのが、
5/24公開の「関心領域」である。


こちらはナチスのアウシュビッツ強制収容所の隣りに住む、収容所所長のドイツ人家族の穏やかな日常を描きながら戦争の恐ろしさを見事に描いた作品なのだ。
試写会にてひと足早く鑑賞したのだが、ホロコーストが題材の映画は幾つかあるが、斬新で、尚且つとても音響が効果的に使われている。
オッペンハイマーでも戦場などが描かれない代わりに、爆発の実験のシーンや全編を通して音響が極めて効果的に使われていたと感じた。
そのオッペンハイマーを抑えて、アカデミー賞で音響賞を獲得したのがこの関心領域である。
そしてオッペンハイマーと関心領域はとてもアプローチの方法が似ているのだ。
関心領域は公開前なのであまり言及したくないが、兎に角、オッペンハイマーを観たならば、併せて観てみて欲しい。
直接的なグロい描写もないので、苦手な人も観れる映画だが、グロ描写がなくとも恐ろしさを体験出来るので、是非音響のよい映画館で体験してほしい。
私も公開されたらもう一度観に行く予定です。


以上!!!
あーあ、長くなってしまった。
余りにも取り留めなく感情のままに朧げな記憶と共に書いてしまった。
いいんだ!自分の映画鑑賞記録なのだから。

とはいえ、ここまで読んでくださった方々には私の未熟さや無知さに対してお詫びと、お付き合いいただいたことに感謝を申し上げたい。

そして、もしこの文章を読んで
ここは違うよ〜とか、
ここは史実はこうだよとか、
これを観たり読んだりするのがおすすめだよとか、そんなことがあれば是非教えて欲しい。

最後に、
トルーマンで急にゲイリー・オールドマン出してくるのめちゃくちゃ不快なシーンなのに、めちゃくちゃニヤニヤしてしまいました。意味深で驚きの配役!
よし、もう1回観るぞ!

ではみなさん
さよなら
さよなら
さよなら。

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