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ロマンチックサマー

唐突だが、夏の思い出について色々と思い出してみた。
まずは、小学生の夏休み、もう既に30年以上の時を経てしまったが今でも思い出す。
あの頃のノスタルジックな感じ、時間がゆっくりと進んで居るような真夏の暑い日。

まだ小学校の門は大きな事件とかも世間では無く、解放状態だった為、土日以外は遊べて居たし、門が閉まって居れば、門を乗り越えて遊んだりして居た。
スケボーしたり、サッカーしたり探検したり色々していたなと、時々思い出す。

因みに小学校には幾つか門が存在している。
正門・裏門とあり、自分は裏門から出て帰路に着く。
小学校周りの色々な景色が見えるのはとても面白く、探検のしがいがあった。

夏休みともなれば、プールの補習と称して、暑いから参加していた。
昔から虫が苦手だったので、虫取りはそこまでやっては居なかった。
プールから帰って来たら、花王愛の劇場の『天までとどけ』がやっていて、そうめんやら、ひやむぎをすすりながら見ていた。

プールが無い日は、朝起きてウルトラマンやら、キン肉マンの再放送を見たりと、小学生ながらに、なんだかんだで忙しかったのである。

シャワシャワと鳴く蝉の音。
夜はコオロギやスズムシが鳴き、風が吹けば木々の葉の音が心地いいのだ。
そして、朝になり、ラジオ体操に欠かさずなぜか参加してスタンプをもらう。
木漏れ日から溢れる光は、本当に鮮やかさを感じずには居られない。
空には大きな入道雲と飛行機雲が一筋。

何も知らない子供時代だったからこそ、純粋に素直に好きだったあの頃。
夕暮れ時の物悲しさと共に聞こえる豆腐屋のラッパの音と、出張販売の八百屋のアナウンス。
日が暮れたら家からはカレーの香りがしてきて、家族でテレビ見ながらひとときの時間を過ごすのだ。

父と時々一緒に行く銭湯、そしてステレオタイプのようにコーヒー牛乳。帰りは結局暑くて汗をかき、風呂に入った意味はあるのかないのやら。
手持ち花火を家の前でやったり、一瞬の儚さを感じる事も無く大興奮した家族との思い出は今でも思い出す。

家族との思い出と言えば、トラックタイプのハイエースに乗り、車内が狭い中鬼混みしている道を海まで行ったりしたのを思い出す。
海に行ってパラソルを広げて母親が作った大量の弁当を食べるのだ。
確か、鎌倉や、三浦海岸の方に行ってた気がする。
帰りはすっかり夜も更けて、ビルのネオンの明かりを見ながら帰路に着くのを今でも思い出す。

80〜90年代はまだまだネオンの明かりがきらびやかで、とてもノスタルジックな気分になる。
はたまた別の日は父親や兄弟と市民プールに行き、流れるプールでひたすら流されていた事を思い出す。

海の家やプールで食べる別に美味くも無い醤油ラーメンやカレーライスも、なぜかその場の雰囲気で最高に美味しく感じるのだ。
これはお祭りの縁日で食べる飯でも言える。

お祭りと言えば、近所で縁日があれば母親からお小遣いをもらい、友人と遊びに行ったりもした。
小学生の頃、祭りのクジで1等を引き当てた事がある。
何をもらったか覚えてないが、何やら豪華なものだった気がする。
お馴染みの焼きそばやらたこ焼きやらお好み焼きを買い、その辺で食べる喜びたるや最高な幸せである。

夏休みは1ヶ月と10日程確かあったはずだが、小学生の頃はとにかくやる事が無い。
そして自分の場合は強制的に勉強をさせられたり等、なにかと強制が多かったのだ。
そこを除けば、とても有意義な自由過ぎる時を過ごした。
しかし、ただただやる事が無い退屈な時間ではある。
この何も無い空白の退屈な時間こそが、とてもノスタルジックの根源にある気がするのだ。

だからこそ、たまにあるイベント事にとても感動できるのだ。
今思えば、街の喧騒の中暮らしていた訳では無いので、非常に時間がゆっくりと進んで居た気がする。
そして、自然も多い場所だったので、結構自然の中はしゃげていたな。
山の上育ちだから、海や川に行くには少々難を極めたが、それでも今思うと楽しかった。
幼い頃の淡い夏の思い出のようなものが、時々、急激に自分の記憶の奥底から引き出される事があるのだ。


中学生の頃の夏の思い出と言えば、良い思い出はほぼ皆無である。
剣道部に3年間所属し、受験等もあった為、全くもって良い思い出が思い出せないでいる。
ストレスの限界は超過していて、奇行が目立っていたと今思うと本当に恐ろしいものだ。
『あの家』は未だに恐怖であり、今でも余程の事が無い限り帰宅する事はない。

剣道部も先輩と後輩の凄惨な虐めのようなしごきにはもはやトラウマでしかない。
夏休みともなると、OBと称して練習に来て高校式の練習方法をやらされるのだ。
よく耐えきれたものだな。
防具を外す事も許されず、そのままゲロを吐かなくてはならない。
そんな無駄とも取れる脳筋の努力が美徳とされてたし、練習中に防具を外せばサボってる位な事を言われる。
非常に軍隊的な過酷さがあり、家に帰っても規律が厳しく、心の休まる場所は一切無かった。
粛清され続けた3年間と未だに思うのだ。

よく凄惨な事件を起こす犯罪者にならなかったなと感じる。
犯罪心理学を調べていて、犯人の生い立ちを調べると自分と酷似している部分が多すぎて時々震える時がある。
そんな酷い夏の思い出だが、夏に茅ヶ崎の海に剣道の練習試合の後遊びに行ったのを覚えている。
この頃の思い出が強烈にあって湘南に住んで居た事もある。

反対に高校の思い出としては絵に描いたような、自堕落なハイスクールライフを送っていた。

自分の人生は生まれ変わりの連続だと考えている。
だから、次生まれ変わる時はどうだこうだと考えるように、生きている間に強制的に流される事も無く、現状の環境を急速に変化させる。
だから、今までやって来た事とは真逆の事をやりたくなるのだ。
高校に入った瞬間に剣道部から誘いが来たが、即刻お断りしてやりました。

当然だが、人生一度きりで3年間またしても同じような事を繰り返したくはないと直感で判断したに過ぎない。
そもそも高校受験した学校なんて、『軽音楽部』に入学したくて受けたのだから断って当然である。
滑り止めも軽音楽部があるところにして、もう音楽漬けの日々である。

ところがどっこい。

バンドが練習できるのは、週に1回であった。
なんてこったい。

週6日はなんと帰宅部ですって。
これは予想していなかった由々しき事態である。
少年の有り余ったみなぎるエネルギーは、帰宅部にするなんてもはや退屈も退屈である。
別にヤンキーでもなんでもないので、それを喧嘩に明け暮れる事も無く、平々凡々な少年は中学二年生から始めたギターを更に弾き倒すのであーる。
そんなこんなで、高校二年生位からは水泳部に入部して、暑い夏は水泳に勤しみ、シーズンオフは野球部やサッカー部と一緒にひたすら筋トレに励む日々を送って居た。

そして、ライブハウスに行き出したのもこの頃からである。
確か高校二年生位からライブハウスに通い出して、ライブキッズとして友人達とどんちゃんしていた。
そして、ここまで書いて思った事がある。

女っけが全然ねえ!!!!!!!!
彼女との淡い夏の思い出が一切無いぞ。
いや、確かに数える程だが彼女は居た気がするんだ。
しかし、浴衣を着て花火大会に行くとか、そんな遊びに行った記憶は全く無いのだよ。

(゚Д゚)…。
1学期中に見事にフラれておる_| ̄|○…。
だから思い出が無いのだ。
そんな事言いながらも、友人とはしっかり遊んでいたからその思い出が多いからOKである。
笑いが絶えない高校生活で良かった良かった。

高校を卒業してからの夏の過ごし方と言えば様々な景色を見て来た気がする。
どれもこれも素敵な思い出だし、ただ暑いだけの何もする事も無かった夏もあったし、なんだかんだと好きな事ができている時は一番記憶として残っているのだ。

いつだったかは忘れたが、自分の中でいつも考えている事がある。

『去年よりも最高の夏を過ごす。』

これは毎年の自分の中のテーマとして存在している。
何も知らず、何も分からないまま自由気ままに過ごしたあの夏の日はとても好きだが、今は今で負けず劣らず人生は楽しい。
行動できる範囲も広がったし、酒も飲める。
小さい頃とはまた違う夏の楽しみ方が沢山あるのだ。

全然関係無いが、懐かしいCMシリーズでは、このCMすごく好き。
知識だけでは手に入れる事は到底不可能な経験こそが人生にとってはとても大切だと感じるのである。

去年の夏の思い出はコチラの記事から読めます◎

2023年の夏もフルブラストで楽しむ◎

海は最高(∵)


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