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現代の魔族。「葬送のフリーレン事件」で思うこと

大変お騒がせしてすいませんでした。約束を果たすために記事にしました。
この「葬送のフリーレン」事件、僕の

  • 表題と本文をごっちゃにして書いてしまった

  • この文章を書くにあたって参考にしたポストを表示しなかった

のが悪かったようで、目の敵にされている「倍速視聴」でたくさんの批判を受けました。文章力が無かったのと配慮したつもりが出来てなかったという点で改めてこの場を借りて謝罪します。ごめんなさい。

混乱させてしまったのと別に最後まで読んでいただいて、いやそうじゃないと僕が言いたかったことを酌んでもらったことや温かい励ましのポストやDMをいただいたことは、とても感謝しても感謝しきれない気持ちです。
いろんな形で声援や救いの言葉をいただいた方々に対して、この場を借りてお礼を申し上げます。あの時は本当にありがとうございました。

さて、そんな渦中で二つ名をXからいただきました。表題の

  • 早送のフリーレン

  • 現代の魔族

Xは改めて面白いと思いました。とくに「早送のフリーレン」は

と、この流れは秀逸過ぎて凄いなぁと思いました。こういう発想はありませんでした。これも心がほっこりさせられて助かりました、笑いの要素は人をけなすこともあれば人を救うこともあるんだなと思いました。ちなみに原作は未履修です、アニメが終わってから履修予定です。

これを見る前に気になってたのが「現代の魔族」という言葉である。
作中で魔族の定義は大魔法使いフランメが「言葉を話す魔物が魔族」とあり、フリーレンはその本質を「人を騙すため」と見抜いています(最初の魔族は人の声に似せておびき寄せた)。そしてヒンメルたちはフリーレンとの、その言葉を信じることの差異で村長たちを殺めてしまった過去があります。

本題に入ります。

問題のツイートをした初日は好意的にいいねやRTが多くて、共有されてるんだなという感じでいました。ところが二日目に入ってとある方の引用から一気に風向きが変わりました(リアルタイム検索で確認しましたし、争いたくないので元は張りません。)

そこからはスマホのバッテリーが消えるのを心配するぐらいの勢いで飛んできてました。これが炎上かと。そしてトレンド入りしたときは現場猫の「どうして」という言葉しか出ませんでした。とても不安でした、後で指摘を受けて分かるのですが、誤読をさせやすい文章であったけど(倍速視聴の是非はともかく)、悪いことを書いてるつもりはありませんでした。もし見る人全員が批判するようであれば即謝って謝罪文を一定期間残したうえで削除するつもりでした。「早送のフリーレン」だったり温かい声援を受けてなければ闇に流されていたのかもしれません。

こういう形で謝罪と意図を連RPで書きました。
そして通知は徐々に落ち着きを取り戻していきました。
無論中丸さんの結婚報告があったのもトレンドから消えて幸いしました。
中丸さんの結婚に僕は救われました。感謝してもできないくらいです。

不安に思いつつ通知は切りませんでした。トレンドを眺め通知の引用RPに精神力を削られながら眺めてると面白い現象に当たるようになりました。投稿してから3日すぎぐらいになって通知が収まっていて安心していたのですが、トレンドに「倍速視聴」が再び上がっていたのです。なんで?と思ってリアルタイム検索で見ると確かに波が来ていました。

1/18での倍速視聴の記録。大きい波が二回、小さいのが一回来てる

調べると某有名漫画家がトレンドの「倍速視聴」で漫画を投稿していたのでした(三波目も別の漫画家の投稿)。そこからまた風向きが変わりました。今までポストを見た人が引用するしないに関わらず「まだ」元ツイートを見ていたのですがここから「倍速視聴」という言葉が独り歩きし始めたのです。この時僕は神話が作られた瞬間を目撃したのです。確かこの辺りから僕のことを指す「現代の魔族」という言葉を僕が観測した記憶があります(僕の確認ポストは1/16日)。これが僕の記憶違いがあるかもしれませんが経緯だと思っています。

さて以前このような記事を書いた

このなかで「ガヴァガーイ問題」という物があるということについて触れた。


これは言語の語彙を獲得する際にどうしても避けられないものなのだが、一般の人はAという単語はBという意味であると思いがちである。しかしながら、今回の事件のように背景や主語等を抜くと容易にガヴァガーイ問題が発生してしまうのではないかと思った。

特にソースを確認する方法が欠落ないし、あるけどやりにくい場合トレンドの言葉がイメージを塗り替えて独り歩きする要因になるのではないかと思う。そういう誤解を招きやすいのが日本語で、特にそういうのを意識せずにロジックの教育(現代文の読解)の弱点が神話誕生になりやすいのではないかと思った(書き方というの誤解を招きやすかったことを棚に上げるつもりはありません)。

A=BとB=CだとA=Cは成立するというのが現代文の読み方な気がしている、けどA=BとB=Cだけ記述していて果たしてA=Cといえるのだろうか?数学であればたしかにA=Cとなる原理(この場合だと代入かな?)はある。けれども言語だとどうだろうか?

「シュタルクはなぜ武者震いに安堵して龍に立ち向かえたのか」「ハンバーグを見て何故泣き出したのか」

(武者震いという意味が違うと指摘を受けたがその時は思いつかなかったのでその言葉を当てた、今だと「震えおののく」に近いと思うので震えおののくで進める)
震えおののくは「恐ろしさに震えたり寒気を感じたりするさま」というマイナスのイメージである。けれども安堵という意味は「気がかりなことがなくなり、心が落ち着くこと」のプラスのイメージである。マイナスならば龍というものに立ち向かえないはずである。けれども何故かプラスになって立ち向かっている、つまり震えおののく=(マイナス)・安堵=(プラス)で繋がらないのだ。またハンバーグ=(食べ物)・泣く=(感情)でこれもまた繋がらない。両者に通じるものはA=Cになるつなぎの、A=BとB=Cが存在するはずなのだ。

この時のA=BとA=Cのつなぎは、シュタルクがアイゼンが強者に立ち向かった際に震えおののいていたことを聞いたからとアイゼンが「がんばったやつは全員戦士だ」「誕生日にでかいハンバーグを焼いてくれた」「心に引っかかっていた兄貴が誕生日にハンバーグを焼いてくれた」というのがつなぎである。

このようにガヴァガーイ問題を抱える言語全般は必ずつなぎが存在し、数学のように絶対的な真理とはならない。なぜならばハンバーグを見て泣き出すのはうれし泣きなのか哀しみがこみあげて来るのか、それとも下手な料理を食べさせられるのを想起して嘆くのかとブレにブレる。また文化の問題として龍=マイナスというような問題も存在する(これが、現代文の注釈という意味である)。

文章に書いてあること自体にとらわれ、人を翻弄する手段がそもそも言語には備わっている(特に主語抜きや雰囲気で読む日本語にはそれが深く備わっていると思う)。それを深く自覚して文章を読むというのが本当の意味での「読解力」ではないだろうか。「現代の魔族」とはいったい誰のこと・なにを指すのであろうか?これを最後の現代文のテストの問いとして置いておくことにする。


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