【言語】ジャパニーズを使うべきではないか

どうも、鹿児島の新社会人です。
最近カタカナ語があふれていると感じます。
それについて私が思うことを述べます。

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ジャパニーズを使うべきではないか

 最近日常生活でカタカナ語を耳にする機会が増えている。例えば、接待や案内をする意味を持つ(といわれている)「アテンドする」や世間に対して影響をもたらす人を指す「インフルエンサー」などである。数年前に「コミットする」という言葉をCMで用いた企業もあった。これらの最新のカタカナ語は日常生活に一見溶け込んでいるが、意思疎通に支障をきたす問題をはらんでいる。

 まずはカタカナ語の使用状況に関してファクト(後述するがこれは強調するために用いた)を示す。2024年5月1日の日本経済新聞の1面にあるカタカナ語を調べてみた。「Z世代」「キャスティングボード」「フォロワー」「ハイシーズン」「生成AI」などがあった。外国人の名前や専門用語、昔から使われているカタカナ語は除いても多く見られることがわかる。

 カタカナ語が用いられることは問題ない。本来カタカナ語は、日本語では存在しない、もしくは説明できないものを表現するためか、強調するために用いられてきた。例えば、日銀の植田総裁の「チャレンジング」や「アート」、「サプライズ」などがあげられる。

 だがカタカナ語の問題点は、意思疎通を妨げることだ。「バナナ」や「チョコレート」といった日本語になじんだ言葉なら問題ないが、「アテンドする」は全く意味が分からない。コンサル会社で働いている友人が「コンセンサス(合意)」や「サマリー(要約)」、「アジェンダ(議事録)」といった言葉は普段から耳にすると言っていた。これらは英語学習者でも理解に一瞬戸惑うのではないだろうか。特に外国語の不慣れな高齢者は理解ができないかもしれない。

 カタカナ語は日本語に存在しないため、日本語話者は違和感を感じる。強調としてその「違和感」を使うなら筋は通るが、それを多用すると違和感どころか理解を妨げる。その業界でしか通じないような専門用語をその界隈で使うのなら問題ないが、その常識をよそに輸出するのは適切ではない。

 正しい日本語が使われることを祈るばかりだ。日本語は「漢字」という表現力が高い立派な道具を持っている。歴史的に見ても、明治時代あたりに輸入された欧米語を福沢諭吉含む知識人が漢字を用いて翻訳をした。その結果「和製漢語」という新たな言葉が生まれた。(豆知識だが、発祥地である中国が逆輸入するくらい革新的な言葉だったそうだ。)それは、計り知れない苦労だっただろう。だが、過去の先人が、民衆が海外の概念を理解できるようになるために翻訳をした。我々もできるだけ日本語を用いて、意味が通じる交流を図るべきではないだろうか。

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・最後に
やはり日本人なら日本語を使ってほしいです。カタカナ語を使っていると頭がよくない印象を感じます。とある学生団体のメンバーと話した時に「○○さんをアテンドしておきますね」と言っていて、今の日本は大丈夫なのかと本気で心配になりました。

あとマスメディアも大変だと思います。新聞やテレビでは、カタカナ語はきちんと説明を付けます。
例)TPP(環太平洋経済連携協定)、人工知能の生成AI、リスキリング(学び直し)
カタカナ語が増えすぎると説明を加えないといけない記者の方が大変だと思います。特に新聞は文字制限があるので、できるだけ日本語が使われて誰も困らない世の中になってくれたらと思います。

鹿児島の新社会人


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