なぜ悲劇は繰り返されるのか?~他責思考が創る未来~ 第12章:教育環境の変化 ②

 ではなぜ、このように社会的価値観が大きく変化し始めているのか?

 その理由として、第1に親世代(20代から40代前後)の受けてきた教育や親から子に教えられた教養に基づいて、自分の子供たちに教えている事が考えられる。

 例えば、“学校でいじめを受けたときには必ず先生に言うこと”や“嫌な事をされたときは嫌といいなさい”など自分がされている事に対して自分が嫌だと思ったときは迷わずに先生などに相談することが大切だと教えている“ことや“決められたルールは守って過ごしなさい”・“お互いを尊重すること”など子供の成長と共に教えられる内容が社会に出たときに必要な教養やまで幅広く習得を子供に求める。そのため、そこで教えられる“モラルハラスメント”や脅迫行為“などの定義を子供たちが間違って理解しているもしくは謝った解釈で受け取っているため、子供にとっては好都合になっている印象が強い。

 特に20代の親御さんにとっては子供たちに対して十分な模範を示していたとしても、経験がないもしくは少ないために解決法を示すことが難しいケースもあり、これらの問題はどちらかというと親にとっても難しい部分があるため、「子供には同じ思いをして欲しくない」という親心から来ることもある。

 そのため、子供たちにとっても“親に相談しにくい”、“親に迷惑をかけたくないから相談出来ない”のような心理に陥り、何か問題が起きても家庭内における子供たちの立ち位置が難しくなり、何かが起きるまで我慢してしまうケースもかなりある。

 このような小さなストレスの積み重ねが子供たちの気持ちを病ませてしまう要因になり、このような子供たちの悩みが将来を悲観する習慣を付けてしまうのだと思う。

 このような状態になってしまったときに最も恐いのは“お互いに潰し合う”という認識が“他責思考”に繋がっていくことだ。特に学年があがっていくことで個々に起きる問題の複雑化や受験する子供たちとそうではない子供たちでは物事の捉え方も異なっており、価値観の違いから衝突する事も多い。

 今は以前に比べると子供たちの多様化が目立つようになってきており、小学校入学時点ではそこまで問題がなかったとしても学年があがる毎に関わる相手も広がっていくし、責任を伴う活動などが増えていき、さまざまな人と意見を交わしながら1つの物や行事、イベントを作り上げていく立場になる。

 私は親と子の価値観が違うことに気が付くのは小学生の頃に顕著になると感じている。

 その理由として、今までは小さなコミュニティでかつ限られたエリアの人と生活していたため、特定の人とは頻繁に会うことがあっても、そうではない人とは頻繁に会うことはないため、特定の人との関係性がその子にとって“日常”になっていくのだが、小学校になると周囲の幼稚園やこども園など小さいコミュニティがいくつも1つの場所に集まることになるため、多様な価値観が1カ所に集まることになり、個々に持っている価値観によっては攻撃対象になってしまう可能性もある。

 そのため、学校で同じ勉強をしていても子供たちの着眼点が違っていることを指摘し、その場で注意して直そうとしてしまうことや子供たちが見つけたことに対して「○○さん素敵なところに着目しましたね。ただ、この答えは○○です」のようにせっかく子供たちが見つけた答えを正解にせず、模範解答を正解にすることで“先生は自分よりも○○のほうが可愛がられている”と勘違いしてしまい、その人を攻撃するようになる。

 すると、やられた子供たちが親御さんに“今日、○○先生が○○さんをひいきしていた”という相談をして、その報告を受けた親御さんが別の親御さんに話して別の親御さんへ話すことで起きたことが周囲に認知されていくことでその先生に対する悪いイメージがついてしまう。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。