なぜ悲劇は繰り返されるのか? 第11章:他責習慣化が生む悲劇 ②

 しかも、日本の場合はこども園などの未就学教育の段階で指導方針の一本化を進めていないため、小学校に入学したときにそれぞれの出身カラーが色濃くなってしまい、全体の意思疎通がある程度出来るようになるまで時間が掛かってしまうのだ。

 もちろん、こども園などは文部科学省の管轄ではなく厚生労働省の管轄のため、教育内容に対して拘束はない。しかし、小学校以降は文部科学省の管轄となるため、ある程度のカリキュラムに則って学習を進めていくことになる。

 そのため、これまで通っていたところで習ってきたことが正しいと思っている子供たちが小学校入学を機に変わってしまう可能性も否定できない。

 特に、小学校受験や中学校受験など将来的には受験を念頭に置いている家庭の子供にとって学校は“将来を与えてくれる場所”として捉えている子供が多く、きちんと学校に行って勉強して、“良い成績を取ることで明るい未来が得られる“と意気込む子が多い。ただ、子供によっては数字を気にするため、成績が悪い子や授業が進まないなどの自身に不利に働くようなことが起こるとその子を追い詰めたり、授業を聞かずに自分で勝手に勉強したりする子も出てくる。そして、何かのトラブルに巻き込まれる、トラブルを起こすなどの進路に対して影響が出るようなことは避けなくてはいけないのだが、そういう事が起きたときも自己正当性を主張するなどして相手に責任を押しつけて逃げる子供も少なからずいる。自分が小学生の時もそういう子はいた記憶がある。

そして、大学生の時に授業補助などで学校に行ったこともあるが、そこでも受験をする子とそうではない子では授業に対する取り組み方が違っていた事を思い出した。

その他にもその子たちには周囲に友人などがたくさんいる印象が強く、こういう力を持っている人が受験を目指すのかと思っていた。私の同級生の場合は何か起きたとしてもかばってもらえるような力を持っている子も少なからずいるし、家柄などでこの子と問題を起こしてはいけないという地域特有の人間関係から来る場合もあったのだと思う。

 これは今の受験を目指す子供たちにも共通しているように感じるのだ。もちろん、同じ学校を受験する場合には相手をライバルとして捉える場合もあるが、一緒に受かるように手助けをする場合もある。

 そして、その子を含めた同じ目標を持った子供たちが同じ道を歩いて行くことで次第にお互いに仲間意識が生まれ、この頃から物事に対して損得勘定で動くことを覚え、学校生活や日常生活に活かしてしまうのだ。その結果、“自分は頭が良い”・“自分はあなたたちとは違う”という誤った意識が芽生えてしまうことによる蔑視行動に繋がることも懸念される。

 その他にも成績や順位の付く運動会などの校内行事やコンクールなどへの出品・運動会ポスターなど表彰歴として内申書に書けるものに対する熱量は他の人とは違っているように感じる。

 特に運動会やクラス対抗行事などでは自分の活躍も然る事ながら所属している組の成績などを気にする子も多く、少しでも良い成績で終わらせて志望校にアピールしたいような印象を感じる。

 このような心理が生まれる背景に“競争心”と“向上心”に加えて“他者比較”や“差別化”などの自分が他の人に比べて“どこが劣っているのか?”・“どこか優れているのか?”など人間観察の過程における優劣判断が影響しているケースが多い。そのため、幼少期から受験などの競争・競合社会で過ごし、生きてきた子供にとってはその社会基準が一般基準として認識されるため、その社会にいなかったもしくはこれまで交流がなかった子供に対して嫌悪感を抱きやすくなる。

 これは私の考える“他責思考”や“人材選別”の幼少期精神発達段階における社会的価値基準の基礎となっている可能性を表していると思う。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。