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体育をサボっていた1年生と、見守っていた大人たち。

行きたくないと思ったことは数知れず。

足取りは重かったけど、でもなんだかんだ学校へ行っていた。
何が正解か、わからない。

そんな私の経験を書いておきたいと思う。


できないだらけの、小学一年生

小学校一年生のころ、私には得意な物が何一つなかった。

あいうえおは正しく書けない、引き算はできない。
50m走は、「のつかちゃんとペアだと絶対勝てるからラッキー」と言われるほど足が遅かった。
できないことだらけの学校は、そりゃ楽しくないに決まってる。

その上、当時の小学校はまだお仕置き制度が残っていた。
私が入学した、2組の先生はとても厳しくて「富士山」「サンドイッチ」というネーミングは軽いけど実質体罰に近い、謎のお仕置きがあった。

やんちゃな子は「富士山!!」と言って手の甲をつねられていたし、さらに暴れん坊のクラスメイトは「君はサンドイッチです!」と両頬をバーンと叩かれていた。
平成初頭の学校、パンチききすぎ。

隣の1組の先生は更に恐ろしく、持ち歩いていたのはまさかの竹刀。
「あぁ…私は1組じゃなくて、本当に良かった」と思ったものだった。

それに加えて、放課後の学童も楽しくなかった。
ああ、改めて書き出してみると、楽しくないことずくめでかわいそうだったなぁ、

学童では4年生の姉が一緒だったが、姉とは学年の差がありすぎたためか遊ばなかった。

学童の雑多でうるさい雰囲気、配給されるお菓子一つを巡って大げんかしなくちゃいけない環境に、なんだか馴染めなかった。

仮病、使いまくる。

それでも、当時あまり楽しくなかった学校へ行き続けたのは多分「サラッと逃げてた」からだ。

体育やマラソンの時は「お腹痛い」と言って見学。
算数の時間になると、「頭が痛い」と言って保健室へ。

いわゆるサボりグセのある子供だった。

でも。

大人達は誰も「サボるな」「痛いなんてウソなんでしょ?」と責めなかった。
母は何も言わなかった。
正義感の強い富士山先生から、叱られた記憶もない。

通知表には「授業中によく具合が悪くなるようです」と、富士山先生からのコメント。

私は学校でのイヤな時間から、逃げるために具合が悪いふりをしてた。

相手は教育のプロである先生と、鋭い母。

先生と母が仮病を見破れなかったはずがない。

きっと、言いたいことをこらえ、聞きたい質問を飲み込み、ただただ見守ってくれていたのだろう。

先生の連絡先は知らないし、母は亡くなったので、今となっては確かめる術はないけれど。


サボりの理由は30年越しに判明

幼少期はサボっていた私も、大人になり、親となった。
子供たちを見ていて気付いたことがある。

子供たちは、できないことに劣等感を感じるし、友達からマウントをとられることで、幼い心は簡単に傷つく。
「人それぞれペースと個性があるよね」と、誰もが割り切れるわけではないようだ。

そこで私は昔の自分を思い出した。

私は「できないことをクラスメイトに知られる」ことが恥ずかしかったのだ。

体育や算数が嫌だったんじゃなく、自分ができないやつだと、周りにバレるのが嫌だった。

学校には行くけど、しょっちゅうお腹が痛くなる。
私がようやくその理由を理解して、こうして説明できるようになったのは30年近く経ってからだった。

子供たちに「どうして?」と聞いてもわからないことって、説明できないことって、たくさんあるのだろうなぁ、と思っている。

そうそう、大嫌いな学童ももちろんサボった。

学校から学童へ向かう子供たちを尻目に、1人で勝手に帰った。
今思うと、学童の先生にも両親にも心配をかけたであろうし、勝手なことをして申し訳なかったと思う。

経緯は覚えてないが、そのうちに母は、私が学童に通わせるのを諦めたのだろう。
そうこうするうちに、めでたく鍵を与えられた。

鍵っ子になった私は、放課後に好きな友達と遊んだり、1人の時は漫画を読みふけり、家のお菓子を好きなだけ食べた。

学校はやがて、楽しい場所に変わった

学校デビューした小一の私に、「学校に行きたくない理由」は山ほどあった。

イヤな時間だけなんの罪悪感もなく逃げたし、幸いにもそれを責める大人がいなかった。

そして学校の全てがイヤだったのではなく、楽しい時間もあったのだろう。

だから、学校に行き続けることができたのだと思う。

そうこうしてるうちに、親しい友達ができ、勉強や身体の成長も追いつき、学校は自分にとって楽しい場所になっていったように記憶している。

ただ、その後20年、逃げたり辞めたりすることが怖くなってしまう日々が続くのだが、それはまた別のときに話したいと思う。

親として、大人として思うこと

学校に行かなくていいのか、行った方がいいのか。
はたまた行かない方がいいのか、わからない。

もしかしたら当事者である子供自身も、どうするのが正解か、分からないかもしれない。

「学校に行きたくない」には、人それぞれ理由があるだろう。
「なんとなくイヤ」から、「尊厳を侵害される」まで様々だ。

「学校へ行きたくないけど理由はわからない」ということもあるだろう。

学校というものは難儀な存在で「行かなきゃいいじゃん」では、実は済まない。

いや、行かない選択肢ももちろんあるのだけど、大勢の人とと違うことをするのは意外と、もっとずっとハードだったりもする。

例えるなら、みんなが踏みならした雪道を歩くのと、新雪が降り積もった中を自ら雪を踏みしいで歩いていくのと同じような大変さとワクワクさがあると思う。

子供として「学校に行かない」と発することと、親としてそれを受け止めるのはまた、全く真逆の面を持っていたりする。

親になった今、私も「行きたくない」と子供から言われることがたまにある。

その言葉を聞いたときには、心中穏やかではいられない。

もしかしてものすごくつらい目にあってるんじゃないかと心配するし、その後の行動に迷う。

私も仕事を休んで子供と一緒に過ごすべきなのか?
どんと構えて送り出すべきなのか?
はたまた何か年長者らしい、気の利いたことを言えばよいのか?
(魔法のように言葉はでてこないけど)

毎回のように、判断に迷う。

そして判断に迷うたびに思い出す。

イヤなことから逃げていた一年生の私と、それを責めずに見守っていた大人たちのことを。

あのときの私に深く聞かず、サボりを黙認してくれた優しさを。


すべての子供たちが、自分の「居場所」を選べるような、そんな社会でありますように。

そして自分もそんな社会を構成する大人の一人になるべく、子供へ話す言葉を選んでいきたいと思う。



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