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『煙たい後輩』を読んで

天真爛漫で才能あふれる真理子にが魅力的で、バサバサと正論で栞子をぶった切っていく里美がすがすがしい。

そして大学生にしてすでに斜陽の状態の栞子。

栞子に共感する部分も多く、少ししんどい。

周りの同級生から次々と追い抜かれ「何物でもない自分」を自覚することの恐ろしさ。

時間だけ経って、周りの子はどんどん大人になり、分別を持っていくのに、自分は幼稚でぬるま湯につかったまま。

それでいてプライドは高く、才能あふれる真理子が寄せる崇拝により、優越感を感じようとする浅ましさ。


同時に、真理子の才能とまっすぐさに、勇気をもらうような気もした。

もしかしたら誰しも、頑張れば真理子のように何者かになれるかもしれない…

そんな希望を見せてくれるような真理子のまぶしさがあった。



最後のセリフはやはり印象的で秀逸だ。

真理子は大学時代、「煙のようでつかみどころのない先輩を捕まえたい」と言っていた。

だからこそ、栞子先輩がくゆらす、自分に有害である副流煙すら、真理子は心地よかった。

でも大人になり、栞子と離れ、自ら仕事をするようになった真理子は「煙草消してもらえますか」とぴしゃりという。

あの頃、あんなにあこがれだったあの煙は、もはや煙たいだけの存在になってしまったのがこの一言で苦しいほどわかる。


「女性のミューズにはなれない」と言った栞子。

それはなぜなのだろう。

栞子と真理子の関係性は、栞子がどんな行動や選択をしていたら、いい関係になっていたのだろうか。

真理子や里美の筋が通ったまぶしい人生が、唯一の正解とは思わない。

栞子の人生だって、一つの人生だ。

あらゆる余韻が残る小説であった。



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