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惨敗に終わった就職活動

就職のことを意識し始めた大学3年のとき、当時マスコミ学科に通っていた高校の友人と連絡をとったことがきっかけで、僕はフォトグラファーになりました。(笑)


その友人との会話がきっかけで、初めてマスコミという業界に興味を持ち、印象に残っていたテレビCMを思い出した。
当時から「普通のサラリーマンは向いてない」と思っていた僕は、CMを作る仕事に携わりたいと広告業界を目指した。

印象に残っていたCMがこちら。
当時はモノクロの映像と小田和正さんの歌が印象的で、会話もないのにグッとくるなと10代の少年の心に残ってました。
改めて見ても、それぞれの立場から読み取れるドラマを感じれて、ほんとにいいなと思いました。

第一生命 パスポート21 高校野球篇
https://www.nicovideo.jp/watch/sm10609998

いざ就職活動がはじまり、広告代理店やCMの制作会社を受けるも結果は惨敗。

周りの友人はほぼ就職が決まり、自分だけが決まっていないという焦りを抱えながらも、帰省した大学4年の正月。
今まで目に留まらなかった父の一眼レフになぜか興味を持ち、使ってなかったカメラをもらい横浜の自宅に戻った。

なんの知識もなく、”フィルムを入れてシャッターを押せば写る”と思っていた僕は、夜のストリートで歌う友人を撮影し、フィルムを現像に出した。
どんな写真になってるかなとワクワクしながら仕上がりを受け取ると、
「なにも写ってない!!!」
ただただ真っ黒なネガだけが手元に。(なにも写ってない場合はプリントもされないんです)

衝撃を受けた僕は一眼レフの使い方を本で勉強し、写真を撮ることの楽しさを感じ始める。
大学卒業間近の頃、テレビで見たCMと同じようなビジュアルのポスターを駅で見かけてハッとする。

「写真のカメラマンでもCMと同じようなことができるんだ!! カメラマンを目指そう!!」

卒業後はバイトを掛け持ちしてお金を貯め、写真の専門学校に入り直そうと。(いま思えば学費貯めるのに何年かかるんだと...)
仕送りをしながら私大を卒業させた息子が、フリーターになるというのは、親からしてみればあり得ない話な訳で...
卒業後の5月には実家に戻ることに。

「今からでもちゃんとした職に就きなさい」という親と喧嘩の日々を過ごすも、カメラマンになりたいという想いは消えず。
まずはアシスタントとして働いてみたいと親を説得する。

コネもツテもなかったので、電話帳の写真スタジオのページの”ア”から順番に電話すると、たまたまアシスタントの欠員のでたスタジオがあり、面接を経てアルバイト的な扱いで採用が決まった。
同級生から遅れること2ヶ月、1999年5月末にようやく社会に出ることが叶った。

ここからカメラマンのアシスタントとしての日々がスタートしたのですが、想像を超える修行の日々のはじまりでした。






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