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目立ってもよいのは信用がある人だけという話#288

私は悪目立ちをすることがあります。

悪い…というのは、実際じぶんでは、
気づいていないことが多いです。

しかし、周りの反応や、雰囲気を感じて
「あっ、この空気はやらかしたな」と、
思うことが、多々あるのです。


決して、悪気があったり、害悪をもたらす為に目立った行動をとったわけではありません。

むしろその逆。

良かれと思ってやったこと
相手のことを思って動いたことが、
時に大きな“ありがた迷惑”に
繋がってしまうことを最近頻繁に
感じるのです。


何をもって、相手のためなのか?

本当にその行動や言動が、
結果的に、本当の意味で
相手の為になっているかが、
結局のところは重要で、

よく言われる「気持ちだけでも嬉しい
という評価は、本当の意味で相手の役
に立っているとは言えないと思うのです。

被災地に千羽鶴を贈るような
そんなありがた迷惑なことを
無意識のうちにすることで、知らず知らず
のうちに、してしまっていて、周囲からの
信用を落とすなんてことは、かれこれ
中学生の頃から変わらずなのです。


しかし、例えば本当によかれと思って、ある行動をとっても疎まれることはあります。

例えば、みんなが足並みを揃えてゆったり走っているとしましょう。正しい行動としては、真剣に走ることなので、皆と足並みを揃えず真剣に走ったとします。

すると、みんなはどう思うでしょうか?

たしかに、そいつは真面目だ、まじめちゃんだ、だからこそうざい。せっかくこっちはみんなで、サボって楽しくやってたのに台無しだ。

そんなセリフは決して言いません。しかし心の中では思っている人が山ほどいると思います。

そうして、真面目に走ったそいつは、模範となるような正しい行動をしたはずなのに、結局皆から嫌われてしまいましたとさ。

この話は、私が実際に高校生時代のバスケ部にいたときに起こりました。

あの時は、本当にわからなかった。

今なら、なぜ嫌われたのかこのように書いていて理解はできるのですが、実際に行動を伴うと難しいものがある。

それは、昔も今も変わらない。


仕事でチームワークが求められている。

前代未聞のチャレンジにしっかりとした
結果が求められている。

その為に全力で、論を展開しても、
足を動かしても、手を動かしても、
全部全部、悪目立ちしてしまう。

チームの和を乱してる?

それはまだわからない。

きっと向こうもそんなことは思ってない。

だけど、空気は感じる。

結果出す時は個人プレーになる。

だけど、声高に論を展開していた自分が
苦しんでいた時、果たして誰が助けて
くれるだろうか?

それは、チームメンバーではなくて、
その上にマネージャーに他ならない。

いくらマネージャーによくしてもらえても
側にいるのはチームメンバーだ。

労働環境の悪化は防げない。


ここまでは、言い過ぎだとは思いつつ
そんな不穏な未来を想起されるような
一日だった。

そこの環境で、自分の実力や立ち居振る舞い、キャラや個性が、もしも浸透してさえすれば、こんな杞憂なことを考えることもない。

シンプルに、みんながみんな、チームワークチームワークといって、探りをいれている状態である。


鈍感な自分は、チームがギスギスしてもやっていけるだろうが、雰囲気を大切にするリーダーには大変な思いをさせるだろう。

トラブルは、他責にすることからはじまる。

いくらチームとはいえ、数字を上げることに関して言えば、チームもへったくれもない、ただの個人戦。

個人のノウハウを横展開するのは、実績がある人、つまり社会的に信用がある人に限られるのだ。

いくら、それっぽいことをいっても、まだ実力の全体像も見えていない各人が信用しあえるはずもない。

特に過去の栄光にすがる人は尚更だ。

いま、現役でどれだけの実績が残せるか?

そして、その現場で成功を収めた行動だけがとりあえずの正義であり正解である。


なので、今声高に正論っぽいことを言ったところで、だれも信じてはくれない。

信用が伴うのは、同じ土俵で戦って、リードをとってからである。そこで、初めて「どうやって件数を稼いでいるのか?」と聞かれる。

そこで、初めて論を展開するのが正解だろう。


これから、もし他のチームで動くとなったとき、必ず同じような場面に遭遇するだろう。

能ある鷹は爪を隠す

ペラペラと口が軽い時点で、能力が低いことを露呈しているようなものだ。


そんなことを思った今日の午後であった。

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