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チベット潜行十年:極私的書評(14)

昭和18年12月から昭和25年7月までの間、張家口から西寧、ラサ、ブータンを経てカルカッタまで踏破した、当時の日本の諜報機関員だった木村肥佐生の記録がこれだ。

前半は、ラマ僧に変装しての潜入であり、緊張感溢れる記述が淡々とした筆致で続く。当時の関東軍(満州における日本陸軍)は、南満州鉄道と共同しての兵要地誌調査(既に占領している場所のみならず、将来進出が想定される地域の地理、交通、住民の居住状況や主な産業とその生産高などをまとめたもの)に力を入れており、多くの諜報員が中国各地に潜入していたが、著者の任務は、当時の日本軍の主敵である国民党への補給路(援蒋ルート)の調査であった。

昭和25年7月まで、とあるが、後半となる昭和20年の敗戦後は当局に自首して政治犯として刑に服しつつ、チベットとインドの間の交易調査、そしてチベットの近代化運動にも参加しているという、稀有な体験をされている。

その時期(昭和25年まで)のチベットでの記録は、ちょうど中国共産党がチベット侵攻を進めていた時期で、かつチャムドの戦い(1950/昭和25年10月)の直前でもあり、この面でも貴重な記録となっており、むしろこの時期のチベットの記録としても大変貴重なものとなっている。

さて、帰国後の著者であるが、これほどの経験から得た知識を持った人物を戦後の外務省が雇用することはなく、在日アメリカ大使館に勤務することになったのは、杉原千畝の戦後と重なるところがあるが、ふたりとも元々は諜報関連の業務に就いていたから扱いづらかったのかもしれぬ。とはいっても、ある種の損失であることには違いない。

本書の文体は、ただ淡々と日常が書かれている体裁ではあるものの、その内容が濃密で、しかもどのように生かしていくのかが見当もつかないものばかりで、ただただ圧倒されるばかりだった。

ともかく面白い。チベットでの礼儀作法や、その由来など、興味深い記録であり、かつ、共産中国に併呑される前のチベットの実情(腐敗も当然あった)についてもよく理解が出来る好著だ。既に絶版のようだが、機会があれば、是非落手を。

追記)著者は、チベットで幼少期のダライ・ラマ14世と謁見の機会を得ており、後にダライ・ラマの自叙伝を翻訳している。


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