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「何を重視しますか」が1番難しい

はじめてのnote。
ブログも書いたことどころか読んだこともあまり記憶に無い。
唯一覚えているのは、ギャルであるブロガーの記事たち。派手でチカチカしている中に、時々芯のようなものを感じ取っていた。
それはさて置き私の発信では、
日頃ふと思うこと、時に熱弁、時にさらりと、言葉にしてみようかと思う。

今回は、重視ということを。

生きていれば当然かもしれないが、私たちはいろんな場面で選択をしながら生きていると思う。2択、5択、もっと多くの選択肢…
誰かに求められる答えではなく、
自分で考えることであれば選択肢も自分で作る。考えている間に増えることもある。

幼い頃「はっきりしてるね」「サバサバ系だよね」なんてことはよく言われた。
それと選択する力が直結するとは思わないが、少なからず関連はしていたかもしれないと思う。 それは選択の早さ
選択肢が多ければ悩む人もいれば、多くても即決の人もいる。はたまた、少なくても悩む人もいる。
“思い立ったが吉日”という言葉が存在するように、決断に時間をかけない方が良い時もあるかもしれない。
では、少なくとも選択をする場合は何を大事にその選択肢を取るのか。それこそが今回本題である何を重視するかということ。

今の私がかつての選択が早かった頃と決定的に違うところは答えがバランスであること。
何を重視するかに対してバランスとは、なかなか曖昧な答えかもしれないが、ひとつの答えだと思う。
何かの一点に絞るのではなく、要素と要素を合わせた総合力こそがバランスであり、要素同士の兼ね合い自体がバランスだと考える。
そしてこれこそが、難しく、決断に時間がかかる原因だろう。
だけど上記のような思考から、
バランスが良い=総合点が高く要素の大きな欠点がない と言い換えられるため、
最強の答えであると思うようになった。

そんなことを思いつつも、
即決出来ないことは本当に選ぶべき選択肢ではないと思っている。
選ぶべき選択肢を見つけるまで探すべきであり、その選択肢が自分を豊かにするとさえ思う。
現に、私がバランスを重視する時は本当にしたいこと以外の選択に迫られた時。
譲れないポイントや芯すらもない選択については、その先も保証されないのではないだろうか、、。
私はその先を強く望むことは出来ない。

こんなにも矛盾の想いがある中で、
最善と最適を区別し、
状況に応じた自分の選択を肯定してあげることも時には大切ではないか。
最終的には選ぶ道は大切にできるように、大切にできる道を選ぶように、と相互関係のあることを言おうとしているのかもしれない。

何かを重視するもよし、
何も重視しないもよし。

私の答えは、
即決できない選択肢をバランスを重視して選ぶ。そして、その選択の欠点を受け入れる覚悟をし、その選択自体は肯定する。
だけど、それで終わりでは無い。この選択肢があればそれを即決したと思えることを並行しながらトライする。
"二兎追うものは一頭も得ず"という言葉があるように、もちろん何も得られない可能性はある。
しかしながら、選択自体に肯定感があれば、失うものは何も無い。
それよりも、取れなかった選択に触れもせずバランスを重視して終わりの妥協自分には許せなかった
選択に費やす時間は私のこの性格上通過せざるを得ない、通過してこそ自分の最善を受け入れられるための時間だと思う。
そして私の欠点でありながらも、
真っ直ぐでいられる強みに変わるのだろう。

この渦巻く文章を最後まで読んでくださった方はどう捉えるだろうか。とても興味深い。
よろしければコメント気軽に下さい。

何かを選びうまくいかなかった場合捨てた選択を悔やむ必要は無い。
その時の最善はその選択だった。
正解が無いということは
全て正解だと言えるはず。
言えるように選択したあとを変えていくべき。

#自己満記事 #エッセイ #正解はない #全てが正解 #はじめてのnote

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