2015年10月 見舞いは誰のためのものなのか(入院9日目、手術から8日目)

6時起床。夜中からの頭痛の影響であまりよく眠れず、7時すぎまで布団の中にいた。

7:30、朝食。白湯に溶かしてチューブに流し込むように、いつもは細粒で処方される抗生剤が、なぜかカプセルで処方された。看護師に相談して、カプセルを分解していつものように溶かして流し込んだ。
朝食後、寝不足だったのでごろごろした。
夫の差し入れ本から、村上春樹『職業としての小説家』を読み進めた。
毎日書き続けることについての個所で父のことを思った。何十年も毎日欠かさず同じ習慣を続けるという点についていえば、たしかに私にはまねできないと思い、兄が父について(複雑な思いはありつつも)言っていたのはこの点なんだなと思いあたる。

口内の消毒にきたベテラン看護師と話をした(こちらは筆談だけど)ときに、明日から口からの食事がOKだと言われた。チューブが痛いなら、今夜の夕食後に外してもらえないか、聞いてみるとよいとも言われた。

午前の診察の声がかかるのを待っていたら昼食の時間になってしまった。
12時、昼食。抗生剤は朝と同じ方法で服用。

13時、若い医師が診察に回ってきた。今日は大きな手術があるので、いつもの診察室での診察はなしだという。気になっていたことを聞いた。
・鼻のチューブ:ちゃんと口から食べられたことを確認してからでないと外せないことになっているから、今日はまだ外せない。
・会話:一応まだできるだけ控えるように。
・抗生剤:細粒出すつもりがまちがえているかもしれないので確認してみる。

13:30、シャワー。昨日一緒になった人とまた一緒になった。この時間はすぐに入れる狙い目の時間帯のようだ。
シャワーを浴びた後、鼻のチューブを止めるテープをもらいにスタッフルームにいったら、キャリアの長そうな看護師が若い看護師に「テープ換えてあげて」と言ったのに対し、朝、チューブのことを医師に聞いてみたらと言ってくれた看護師が「彼女、自分でできるのよ」と言ってくれたのが地味に嬉しかった。小さなことだけど、自分でできることは自分でやりたい。小学校に入るときに、持ち物に名前を書くのを自分でやりたがったのを思い出した。

17:00、仕事で外出した帰りの母が病院に立ち寄った。
病棟で会うと病院ぽすぎて気が進まないので、敷地内のスタバでお茶した。
手術が終わった日、母から「これで安心して眠れます」みたいなメールが来て、「今日の気分はどうですか。いいお天気です」という類のメールが入院以来毎朝届いてることにその後突然気づいて、ものすごく心配されていることがやっと理解できたのだった。
母との仲はよいが、忙しい人なので毎日メールがくるなんてことはこれまでなかった。私からは見舞いに来なくていいと言われるし、他にやりようがなかったんだろう。
私の元気そうなようすを見て安心したそう。「最初の3日くらいは大変だったけど、そのあとは三食昼寝付きで家事もしなくていいし、看護師は親切だし、快適」と伝えたら笑っていた。
「舌がんだったらどうしようと思って。悪いものじゃなくて本当によかったよー」と言っていた。父は、手術のあと、悪いものじゃないと聞いて泣いていたらしい。
両親にうそをついいているのは気が引けたが、二人に本当のことを伝えなくてよかったと思った。
「舌がん」という病名を両親が聞いたら、高齢で情報量が私よりも少ないし、自分の子どもががんだというだけで私以上に心配するだろう。手術が無事に終わったとしても、「再発の心配はないのか」などと二人は死ぬまで心配し続けると思う。
手術後の病理検査の結果が出ないと本当の安心はできないし、その結果がよかったとしても再発の心配もあるにはあるし、他の病気にかかる可能性だってあるけれど、まずは定期検査をきちんと受けて、病気を見逃さないようにしようと改めて思った。

母を病院の入り口まで迎えにいったとき、同室の女性の夫(何度か見舞いにきていた)が病院の前の信号のところで病院に向かって手を振っていた。病院を振り返ると、8階のエレベーターホールで彼女が手を振っているのが見えた。

寝る前に夫とLINEでやりとり。用件は夫の母の見舞いの日程調整。夫の弟の妻も来るという話になっていてなんだか気が重い。
幸い病期は初期だし、わずか2週間の入院だし、母も含めて、あまり見舞いには来てほしいと思っていない。夫がたまに顔を出してくれれば十分だと思っている。これがもっと深刻な病状であれば、まったく別だと思うけれど。

自分に病気が見つかるよりもずっと前、おそらく20代の頃から考えていたのだけれど、見舞いというのは誰のためのものなのだろうか。そんなことを健康なうちから考えていたのは、母の店の客など、小さな頃から人が亡くなることに多く触れてきたせいだろう。
私は患者のためのものだと考えていた。患者の立場になってみて、そうであってほしいと感じる。
仮に人が死の床にあって、周りの人がその人にどれだけ会いたがったとしても、その人は見舞いに来てほしいのか、誰に来てほしいのか、という点が尊重されるべきじゃないかと思う。それによって周りの人がさびしく悲しい思いをしたとしても、遺った人はその思いを抱えてその先を生きていけばいいと思っている。

父の弟が少し前にがんで亡くなった。同居していた弟と姉以外の親族にはがんであることを伝えておらず、亡くなって葬儀等が済んだあとに、がんで亡くなったという連絡が来たのだった。もちろん父は看取りどころか見舞いにも行けなかった。けれど、父も、母も、私も、(おそらく兄も)彼らしい選択だったと思っている。

病気をしたときくらい、死ぬときくらい、したいようにしたらいいと思うし、したいようにしたい。

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