私の、「天才」の定義

画像1 普通の映画や小説のように涙が流れる理由が分かる《感動》もいい。だがあの夜は理由の分からぬ涙を流した、《感動》を経験した。「美しい音色だな」っていう言葉も浮かばないままの涙。フジ子・ヘミング以来。背景は分かっていても、それが《感動》に影響したのではない「パーフェクトデイズ」とか美輪明宏の「ヨイトマケ」も同じ種類。夕焼けや星空、波打ち際、祭囃子、中原中也、高村光太郎、茨木のり子。《感動》に理由を必要としないものを見せてくれる人々を私は「天才」と定義しよう、っと。