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短編小説「休息」

その匂いと味の深さが、私を赦しへと誘う。例え辛かろうと、苦しかろうと、別に他にも辛い苦しいと感じる人はいる訳で。
他人と比べてどうこうという話でもない。己の感情は、ただの私情にすぎない。他人からは鼻で笑われ一蹴される。愚か、そもそも誰も気にはしない。関係のない事だ。言葉を選ばずに言えば、個人の感情なんぞ被害妄想である。果たしてそれは万物の理か?通念とでも言うべきか?またはその己が生きる中で感じている通念すらも迷妄なのだろうか?
しかしながら、私とて命がある。今生きている。まわりが気にしようが気にしまいが、その実、苛まれている。それは私の範疇での事実だ。この世界に確かに存在する、小さくて、大きなリアルだ。
そんないつからなのか分かりもしない、感情や思想を抱えながら、1人こうして生きている。相談などする必要もない。他人には関係ない話だからだ。
そもそも悩みや嘆きなど、そんな話をされたとて、他人からすれば聞きたくもない話だ。とんだ迷惑である。それで何か生産性があるかと言えば、ただ単に、利己的な欲求が、その一時の感情が満たされるにすぎない。何の意味もない。己の事は、己で背負い、向き合うしかないのだ。
このどこにも行き場のない、自らの都合で勝手に馬鹿みたいに抱え込んでしまっているものが今、清算されている。
弱音を吐く事、社会の流れから身を置き、自分だけを優先する事が赦されている。今、この瞬間だけは……。
別に自分のペースで生きようが、そのペースを止めようが、生きていく事はできる。だが今は己の人生の中でも、この社会という枠組みでも、此奴だけが、フィルターのない状態で私と向き合ってくれている。だからこそ、私もフィルターを外せる、無くせるのだと思う。煙草の火を消したのは、私の涙 ━━━━ 。
諸行無常が波となり渦となり私を飲み込む。息を吸う間もないまま。全てをかき消すように……。
私が生きているのは虚構なのか現実のか……最早私にすら分からない。


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