ゆるみの時間⑤ 効果がわかりにくい

3/24(日)より毎月、東村山で”ゆるみの時間”というワークショップをやることになりました。よかったらご参加ください。
申込や問合せはinstagramまで。

ゆるみの時間。天井を見つめる様子。舞台は古民家”縁ひらく庭 百才(ももとせ)”


ゆるみの時間をプレで開催してみたところ、わかったことがある。
効果が実感しにくいのだ。
寝っ転がったり少し身体を動かしたりして、気持ちよさを感じてもらうのは当然なのだが、それ以外のことはなかなか難しい。

ゆるみの時間の最大の特徴として、

  • ほとんど説明なし

  • 時間をかけて参加することで初めてわかることがある

といったことが挙げられる。

これはゆる体操を習った先生からの教えを参考にしていて、
私も1年、ほとんど説明されずに通ったのである。
わからないままなんとなくゆるみ、自分で気づき、自分で効果を実感した。
何かを期待して取り組むというよりは、ただゆるんだのだ。

先生が種明かしをして、様々な知識を得た。
しかし最初から理解した上で進めてしまっていたら今ほどの効果はなかったかもしれない。
知らないからこそ効果を発揮することもあるのである。
それは右脳開発(イメージを司るほう)という点ではとても重要なことだ。

私は余白を大切にしている。
今回のワークショップも大筋しか決めていないし、
人に知識や方法を詰め込むこともない。
余白に本人がじわじわと、その人にしかない何かを埋めていくことで心身に変化をもたらしていくことこそ、私の喜び極まりないことである。

ハワイでもオーストラリアでもいいのだが、高い山から眺める朝陽や夕陽の美しさに、美しさの構造を求めてしまったら、何も知らずに自然を感じることに比べて感覚に違いが出ることは容易に想像できると思う。

ゆるみの時間も同じなのだ。
なんとなくやって、自分が感じることの中に、「自分だけの」効果が芽生える。

ここはぶらしてはいけない点と思っている。
確かにヨガのように考え方もポーズもわかりやすくすることで満足度は高まりそうに思う。
しかしそれでは、横並びのエクササイズになってしまう。

ゆるみの時間は、お寺で瞑想するわけでも、整った空間でマインドフルネスに浸るわけでも、運動によってカラダをほぐすわけでもない。

ただカラダとココロをゆるませ、自分がそこに在ることに気づいてもらう。
「いまここ」とも少しちがう気がしていて、時間軸で過去でも未来でもない自分に集中するというよりは、ただその空間に自分が溶け込んでいる感じを得てほしいとは、個人的に期待しているところだ(もちろん感じ方は人それぞれでいいという前提だ)。

これは説明がつかないことだし、そもそも説明してわかってしまうと効果が薄れる可能性がある。意識というのは本当に不思議なもので、意識をしたせいでパフォーマンスを発揮できず、勉学やスポーツ、仕事などで成果が出せないなんてこともありえる。

意識すべきはどこか身体に力が入っていないだろうか?
あるいは心にわだかまりがないだろうかと、そのような点である。

参加いただいたみなさんとこの場を育てていきたい。
どんなふうに形になっていくか、楽しみにしている。





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