言葉のちから

私は言葉をとてもリスペクトするセラピストと思う。昨日は職場でのコミュニケーションがうまくいかないことがストレスになっている人から相談を受けた。

オンラインだったので、直接の施術はできないものだから、言葉だけで経絡を流した。

言葉で経絡を流すなんてことができるのか。
実際、東洋医学ではそんなことも可能なのである。

食べ物で元気をもらえるのは、単に栄養があるからではない。そこには気が宿っていて、気が自分を活性化させるのである。

母のおにぎりは、一流シェフのおにぎりに比べておいしいだろうか?実際、おいしいと思う。
なぜならそこには見返りを求めない愛がこもっているからだ。気持ちの宿りなのである。

気は言葉でも届けることができる。
ゆえに、身体の経絡が滞っている箇所を流すことはオンラインでも可能なのである。

実際、鍼灸師の先生がそれをやっているとのことで、習ってみた。早速友人に試してみると、本当にできた。その後も仲間と続けているが、実際の施術と効果は変わらない。

私のような運動学を元に筋肉の反応から滞りを見つけて身体を整えていく者にとって、にわかには信じられないことかもしれないが、確かに言葉には力がある。

私は話すにしても書くにしても言葉が好きで、セラピーで言葉を用いた方法を行えることを大変光栄に思う。自分にとって最高の貢献方法を見つけた感覚がある。

言葉でその人の日常が少しでも楽になったり、才能を開いていくことがあったなら、そんなに素晴らしいことはない。

これからも言葉と共に在りながら、人間そのものと向き合っていきたい。

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