身体から言葉につながる
身体とのコミュニケーションを深めようとしている。
元々、内臓とのコミュニケーションが当たり前だった私は、もはやこうなることは必然であったのだろう。
内臓とのコミュニケーションというのは、たとえば食道や胃腸、肝臓や腎臓、心臓、肺などの調子を聴きながら日々を送り、できるだけ負担をかけないようにしようとするものだ。
何やら胃が膨らみすぎてるとか、ガスが溜まりすぎてるとか、消化がいつもより悪いとか、心臓が少しチクチクするとか、頭に血がのぼりにくいとか、そういうものだ。
異常があれば医者にいく、では依存しやすくなるので、日常の中で自分の「健康な身体」を知っておいて、ちがう部分、いわゆる違和感があるのであれば、観察することにする。
いつもとちがうことがあるのであれば、必ず理由がある。寝不足、運動不足、食べすぎ、過剰なストレス、そして、それらが生まれたことにも必ず理由がある。
目に見える因果関係の他にも、培った身体や心の癖であったり、幼少期のトラウマであったり、普段は意識できない部分から生じることがある。
それらが複雑に絡み合って、私たちは絶えず身体の変化を感じることとなる。身体の変化を感じない人はそれこそ麻痺している原因を早急に探さなくてはならない。
ところで、身体のうねりや響きが直接的にことばに通じていることをご存じだろうか。
私は身体をゆるめることに集中する生きかたをしているのだけれど、この1年半ほどで声の出しかたが明らかに変わったし、こうして書いている言葉にも変化が生じている。
ことばとは、身体の一部と言ってもいい。
ことばは結局、身体という楽器が出した音なのである。奏でる楽器によってちがうし、楽器の奏でかたでちがうし、調子によっても音が変わってくる。
私たちはことばを、頭で考えて放つものと思っているかもしれない。現に私もそうであったし、学校や文章教室で習うような、相手に伝えるためのことばの組み合わせこそ、ことばそのものであると信じる人は多いであろう。
とはいえ、私も道半ばにいてあらゆる実験の最中だ。是非とも、身体から言葉に繋がるおもしろさを感じられる仲間をつくっていきたいものだ。
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