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第二次安倍政権、「再」研究 〜超長期政権の功と罪〜 vol.0.01

A、出来事としての第二次安倍政権

約8年という超長期政権となった安倍晋三による「二度目の安倍政権」は、その長さだけでなく、様々な点で特殊性があったと言うことができる。果たして憲政史上最長の超長期政権となった第二次安倍政権とは、なんだったのだろうか。それを考えなおしていきたい。

1,希望から絶望に 民主党政権という社会実験のグロテスク

国民の圧倒的な支持を持っていた小泉内閣が退陣すると、ニューリーダーとして安倍政権が樹立、お友達内閣批判、何とか還元水問題で1年程度で辞任すると福田政権が樹立、ねじれ国会に苦しみ1年程度で退陣すると、麻生政権が樹立、漢字問題やカップラーメン問題で民心が離れた。そして麻生内閣までの回転ドア状態、決められない政治の体たらくぶりや消えた年金問題に怒った国民は、元社会党、民社党、自由党、自民党ら議員たちが労働組合の総本山連合のサポートと日本のグレートファミリー鳩山家の資金によって成立した「民主党」という新興政党に政権を任せてみることになる。投票率7割弱の風が吹いた選挙だった。

しかし民主党政権は様々な問題から政権運営に大失敗していく。佐藤優はこれのうちの一つに「政治主導といった民主党への高級官僚のサボタージュ」を挙げている。これは正しいだろう。政治評論家の三宅はそもそも政権担当能力がなかったという指摘をしていたと思う。これも正しいだろう。民主党が大勝したのではなく辛勝で、反郵政民営化のシングルイシュー政党の国民新党(綿貫派)と社民党という少数政党と連立して(新党大地と新党日本は閣外協力したといわれるが見方により異なる)、やっと過半数を握れる薄氷の政権だったことも原因ではあると思う。これらは複雑系の問題で1つに原因を絞ることはできないので、日を改めて機会があれば挑戦したい。

とにかく絶大な支持が絶望的な不支持に代わっていた野田政権の元行われた総選挙で自民党は地滑り的勝利で連立相手の公明党と政権を奪取することに成功するのである。ただ、勘違いしないでほしいのが、これは池上彰がすでに随所で何度も指摘したことだが、ここで自民党の得票数は政権を失った総選挙とほとんど同じ数で、特段風が吹いたというわけではない。民主党に吹いた無党派層の風がピタリと止んで、その分の得票数がごっそり減っただけである(なので池上は当時の選挙番組で石破茂に「必ずしも自民党が支持されたわけではない」と質問し石破も「地滑り的であることは我々が強く認識しなければならない」と返した)。

安倍晋三が自民党党総裁として総選挙に臨むことになったわけだが、それまで自民党総裁だった谷垣禎一が総裁選に出馬しないと言明して政局になった。民間アンケートでは人気が高いのは常に石破茂で、党員票も165とっているが、派閥を古いものだとして事実上派閥を持たなかった石破に対して派閥力学を存分に発揮した安倍晋三は議員票で20の上澄みをして2位に滑り込み、決戦投票でなんと石破を下して再登板してしまうのである。筆を急ぐと、石破はここから影が薄くなり、安倍晋三が退陣した後の総裁選でも最下位委に沈む体たらくで、完全に影響力を安倍にそがれてしまうのだが、それはもっと先の話だった。とにかく退任した総裁が返り咲くのは自民党史初だったので驚かれた。総選挙の顔としては新味が薄いかと思われたが、民主党が完全に自滅したおかげで政権再交代に成功した。安倍はカムバックした。

2,第二次安倍政権の樹立

政権再交代直前の佐藤優のメルマガを少し引用する。

野田首相はこのタイミングで解散を行えば、総選挙で民主党が比較第一党になる可能性があると本気で信じている。野田首相に入る情報が限定的であるか、あるいは現時点での解散総選挙へと誘導する歪曲された内容であることがこのような判断の原因になった。

野田佳彦は周りに情報を正確に上げてくる部下を持てなかったか不正確な判断で自滅したといっていい。また、佐藤は示唆的なことを書いている。これも引用する

日本維新の会の選挙準備が整わないことが自民党に有利に働いていることは間違いないが、有権者の自民党に対する見方も厳しい。

日本維新の会はこのとき飛ぶ鳥を落とす勢いだった。野田政権が延命を最大目標にして時間稼ぎをしたら、日本維新の会の獲得議席は2倍から3倍になったろう。それで第一は自民党が、第二に民主党が得をしたとみていいだろう。これは日本維新の会がこれから歩む苦しみの原因の一つにもなるのでぜひ覚えておいてほしい(これについても機会があれば書きたい)。

佐藤優は2012年12月にメルマガで総選挙をこうまとめている。引用する。

自民党の圧勝は民主党の大敗と第三極と期待された「日本維新の会」と「日本未来の党」が極を形成する力を持たず、第三勢力にとどまったからである。その結果、旧来型の政治エリートが再台頭している。

基本的にはこの見方は間違っていなかったと思う。族議員、派閥力学、世襲議員。

さらに佐藤優は学習院大学の野中直人教授の文藝春秋でのコメントを引用している。こちらにも引用する。

結局、第三極って何だといえば、本来は、”極”を名乗るからには、政権を担うに足る責任政党であることが最低条件のはずなんです。ところが既に見てきたように現在、第三極と呼ばれている人たちは政党の体さえなしていない(文藝春秋2013年1月号)

私もその通りだと思う。そしてこれは現在の日本維新の会にも当てはまることだ。

とにかく安倍晋三率いる自民党は総選挙で勝利して政権樹立した。

2013年、週刊東洋経済2月2日号に冷泉彰彦の文章がのり、メルマガに引用された。これも引用する。

米国の世論は、日本政府が「戦前の名誉回復」に熱心になる心理をまったく理解できない。それは、戦後に民主国家として再出発した日本と第二次大戦を戦った敵国日本とういものを、米国側は政府、世論ともにきちんと区別しているからだ。
また、仮に「慰安婦の徴用」が民間主導で任意のものだとしても、戦地に送られて逃亡の自由がなければ、現在の価値観からは性的な奴隷であり、それに対する「狭義の強制性はなかった」との「事実誤認の訂正」が名誉回復につながるという発想も少しも理解できないためだ。
安倍政権がこれを無視して「談話の訂正」に走れば、現在の米国の価値観からすると「日本は女性の人権に対する無自覚な国」として、一気に悪いイメージが広がってしまう。2012年11月の選挙で、米国の上下両院では女性議員が大量に誕生、上院20人、下院78人の女性議員が就任した。談話の訂正が強行されれば彼女らが日本を「女性の人権の敵」と糾弾すればオバマ大統領個人としても安倍首相との首脳外交には制約が出てくるだろう。
オバマ政権にとって中国の「ソフトな封じ込め」は最重要課題であり、その中で日本の戦略的位置づけは大きい。だが、その対中戦略は「熱い戦争」を戦うのではなく、オープンな世界を目指せという「価値観のメッセージ」が軸となるものだ。
その重要なパートナーである日本との間に深刻な価値観のギャップがあるとすれば、オバマの東アジア戦略全体が見直しになることもあり得る。従軍慰安婦と女性の人権という点でオバマ政権が神経質になるのは、まさにそのためだ。

佐藤はこれを『一言でいえば第二次大戦の敗戦国の日本の論理は通用しないということだ。第一次安倍政権が前面に打ち出した「戦後レジームからの脱却」という枠組みが、米国から疑惑の目で見られていることを冷静に認識する必要がある』と結んでいる。先の冷泉彰彦の文章を合わせて読むと、状況は令和3年の現在と何一つ変わっていないことがわかる。途中、トランプ大統領という「人権に興味なし」の変人がホワイトハウスに住み着いたため、いったんその話が出てこなくなっただけだ。この問題はまだくすぶり続けている、いや、燃え続けている。また、この指摘の通り第二次安倍政権初期にも悪い形で的中してしまうのが、喧々囂々の議論を呼んだあの悪名高き「disappointed」事件につながっていくのである。

3,緊張する日中関係、外交政策

2013年1月、中国海軍艦船により海上自衛隊護衛艦等に火器管制用レーダーの照射問題が発生したことを当時の防衛相の小野寺氏が認めた。火器管制用レーダーの照射は、国際的にいえばいつでも攻撃するという状況である。中国共産党のアンダーコントロールから外れた現場からの偶発的な軍事的衝突がいつでも起こりうることが可視化された。安倍政権は外交ルートで強く抗議した。日中関係の微妙さが現れている。

5月14日に、飯島勲内閣官房参与の身分で訪朝した。平壌入りした飯島勲はキムヨンイル氏と会談した。対朝外交に対して有名な飯島勲が積極的に動くことで対朝外交が大きく動くと思われた。しかしこれ以上大きな動きはなく、元の瀬戸際外交に戻ってしまった。

2013年7月に行われた参議院普通選挙の結果は、自民党が30議席増やす順当な結果だった。ただ、沖縄では自民党は勝利できなかった。沖縄自民党県連が「基地の県外移設」を打ち出していた。本部の自民党と真逆の地域公約を打ち立てるのは詐欺的だ。極めて卑劣な選挙戦術だった。

7月29日、東京都内シンポジウムで麻生副総理が憲法問題に関連して「ナチスのやり方に学べ」という問題発言をした。結局、言い方が悪かったとか誤解を生んだとかの言い逃れでこれは撤回していない。ロサンゼルスのユダヤ人人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターはすぐに声明を出し、発言の真意をただした。また、その麻生発言を「ブラックジョーク」と擁護した橋下徹をSWCは徹底的に批判した。「ブラックジョークにしてはならない事柄がある」といった。日本の政治家は、国際世論の標準的な人権観から逸脱していることが明白になった。これはいまの現職議員にもいえることで、進歩してない。

12月6日、「特定秘密の保護に関する法律」が参議院本会議で可決、成立した。この法案の成立にはかなりのハレーションが起きたが、政権は突っ込んだ。この背景には日本版NSCの設立が関係している。佐藤優は外交ジャーナリストの手嶋龍一はこれを「究極の有事に遭遇した時、武力行使に突き進むのか、なお外交交渉に活路を見出すか、国家の意思を決めるシステムと言っていい」(文藝春秋オピニオン2014年の論点100、P,120)と書いている。佐藤は特定秘密保護法案の結果、適正評価を通過した一部の官僚が特定秘密情報を独占するようになる、民意によるチェックを受けない高級官僚が民意の届かないものになり、高級官僚の暴走による国益の毀損が起きかねないといっている。

4,「disappointed」事件のトラウマ 「トラストミー」の幻影

12月26日、首相として靖国参拝した。これに対してのオバマの懸念は実現してしまったことになる。戦後レジームからの脱却という決めゼリフを封印して印象を改善することに努力していた日本への失望が「disappointed」に込められてる。キヤノングローバル戦略研究所 瀬口清之氏の論評が極めてわかりやすかったので引用する。

昨年12 月26 日の安倍総理の靖国神社参拝は初めて生じた問題ではなかった。昨年4月の歴史認識発言により信頼が一度揺らいだことがあった。しかしその後、安倍総理が米国の意向を十分理解して信頼回復に努めてきたことを米国側は高く評価し、安倍総理に対する信頼が回復していた。それだけに今回、歴史認識に関する2度目の問題に直面し、米国側のショックは前回に比べて大きかった。

https://cigs.canon/article/pdf/140328_seguchi.pdf

イスラム国テロリズムに邦人が関係することになった。イスラム国テロリズムに関して、日本は情報収集に右往左往してしまう状態だった。日本はテロリストと交渉しない大前提があるので、2億ドルもの要求は対応されず、まず1人が殺害された。次に金銭の要求から死刑囚との交換という条件に変わった。これも日本にとってどうにかなる問題ではない。まず、2億ドルは、紙幣だけで用意しても、金塊だけで用意しても莫大な量になってしまう。72時間で用意して運搬するのは不可能だ。また、ヨルダンに収容されている死刑囚を、しかも同時進行でヨルダン人との人質交換が交渉されていた。つまりヨルダン人を見殺しにして日本人を助けるために大量殺人者を差し出す可能性はゼロだ。これは交渉するつもりがない交渉だった。YouTubeを最大限活用したイスラム国は、交渉をするといって注目させ、斬首してさらに残虐性をアピールしたのだ。これはどんな政権でも対応できない問題だったが、同時に、中東に日本のインテリジェンス能力があまり高くないという問題も浮き彫りにした事件だった。

7月、磯崎首相補佐官が大分で行われた講演で、憲法の解釈改憲で集団的自衛権を行使可能にする安全保障関連法案について、法的安定を損なうという批判をとりあげ、「考えないといけないのは我が国を守るために必要かどうかで、法的安定性は関係ない」と発言した。

法的安定性とは憲法や法律を権力者が恣意的に変更されないことで社会国家の安定が図られるという民主主義の根幹をなすものである。

安倍政権の方針を原則的に支持する読売新聞も社説でこれを失言とした。安倍政権の法律に対する粗雑な対応の典型例だ。ナチスのやり方に学ぶ麻生太郎発言はまだくすぶり続けているということだ。

5,戦後レジームと公明党

8月、安倍晋三首相が戦後70年の談話を発表した。安倍政権は村山談話の上書きをしようとしたが、公明党がストッパーの役割を果たした。一時的には閣議決定をへない談話として発表する検討もされたが、公明党からの猛プッシュで閣議決定を経ることになった。佐藤のメルマガを引用したい。

安倍首相は当初、戦後50年に際しての村山談話を上書きし、変更する目的で談話を出すつもりだった。ここで障害になったのが公明党だ。公明党は支持母体である創価学会の平和主義の影響を強く受け、安倍政権が歴史修正主義に舵を切ることを本気で止めようとした。一時、閣議決定を経ない「総理談話」という形で、安倍氏の思いの丈を述べた私的談話を発表するという動きもあったが、公明党が閣議決定を強く求めたため立ち消えになった。
安倍首相は結局、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と明示的に確認することを余儀なくされた。これによって、公明党が安倍政権の歴史修正主義的傾向を抑える上で、かなりの影響力を持っていることが可視化された。
太平洋戦争に関する基本認識は以下の箇所に端的に示されている。<世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。/当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。/満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。/そして七十年前。日本は、敗戦しました。>
この箇所は、有識者グループの提言を踏襲した内容で、公明党の歴史認識とも合致する。しかし、安倍氏が本心からこのような歴史認識に同意しているとはどうしても思えない。安倍氏が、政治の師として尊敬しているのは、祖父の岸信介元首相だ。岸氏は、革新官僚として満州国の建設と運営に深く関与した。岸氏の業績を高く評価する安倍氏の政治信条と満州事変以後の日本の歩みを過ちとする今回の談話の内容は齟齬を来している。
安倍氏が自らの思いを断ち切って戦後レジームの基本的歴史観を受け入れたということならば、それは立派な政治決断であるが、この点について、談話のテキストだけで判断することはできない。今後の安倍政権の内政、外交を具体的に検討する中で、安倍氏の歴史認識を判断するほかない。
今回の談話は、日韓関係を悪化させるリスクをはらんでいる。談話に、<日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。>という記述があるが、韓国は日露戦争(1904~05年)の5年後の1910年、日韓併合条約によって国家を喪失し、日本の植民地になった。史実に照らして見た場合、<日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。>という表現は、韓国については当てはまらない。談話は日韓関係に追加的な障害を創り出したといえよう。

戦後レジームからの脱却を指向しながら、主だったテーマを公明党に押さえられた作業過程が本文からにじみ出ている。何回か読み込むことをおすすめする。

歴史的な合意が日韓の間で妥結された。佐藤優はしかし、この合意が日韓のナショナリズムをかえって煽る危険性を指摘している。引用する。(2016年1月13日佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」Vol.076)

2015年12月28日、韓国のソウルで日韓外相会談が行われ、日本の岸田文雄外相と韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した。
2015年12月28日午後、韓国のソウルで「慰安婦問題」を主要な議題とする日韓外相会談が行われた。岸田文雄外相と韓国の尹炳世外相は、この問題で最終妥結したと発表した。両外相は、元慰安婦支援ために韓国政府が財団を設立し、日本政府が10億円の資金を一括拠出することで合意した上で、慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した。
今回、日本側は、「日本政府の賠償は、慰安婦に対するものを含め、すべて1965年の日韓基本条約で解決済み」という外交上の原則以外については、すべて柔軟に対処するという方針で交渉に臨んだ。
<日韓外相会談を終えた岸田文雄外相は28日午後、ソウルで記者団に対し、「合意できたことは歴史的、画期的な成果だ。日韓関係は未来志向の新時代に発展すると考える。日米韓と安全保障協力が前進する素地ができた」と述べた。岸田氏は日本政府による10億円程度の予算措置について「国家賠償ではない」と強調した。>(2015年12月28日 産経ニュースより)ということであるが、これは日本側の解釈にすぎない。日本政府の予算を直接、元慰安婦を支援するために拠出することになったのだから、韓国側としては、事実上、日本政府に法的責任ではないにしても政治的責任を認めさせて国家賠償を取ることができたと整理しているのであろう。双方の国内的説明については非難しないということで、玉虫色の解決を図っている。
日韓外相会談終了後の共同記者発表で、韓国の尹炳世外相はこのように述べた。<「(日本側の措置が)着実に実施されることを前提に、慰安婦問題の最終的、不可逆的な解決を確認する」と語り、韓国政府として慰安婦問題が最終決着したとの認識を示した。また、日本側が撤去を求めている在韓日本大使館(現在建て替え工事中)前の少女像については、「関連団体と協議して韓国政府として適切に解決するよう努力する」と強調、慰安婦問題に関して国際社会で日本批判を自制することを約束した。>(同日 産経ニュースより)尹外相は、「慰安婦問題の最終的、不可逆的な解決を確認する」と述べたが、これには、「(日本側の措置が)着実に実施される」という前提条件がついている。言い換えると、韓国側が日本側の措置が着実に実施されていないと判断したならば、慰安婦問題が再び蒸し返されるということだ。
日本側が撤去を求めているソウルの日本大使館前の「少女像」について、尹外相は「関連団体と協議して韓国政府として適切に解決するよう努力する」と述べているが、外交の世界では「努力」についての約束は拘束力が弱い。「最大限の努力をしましたが、民間団体側が納得せず、韓国政府としては、どうしようもありません」という結果になりかねない。どうもここのところに詰めの甘さがある。
少女像は、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が2011年に日本大使館前に設置。以来、日韓の対立点となってきた。日本は国内世論を悪化させるなどとして移転を求めたが、韓国は「像は民間が設置したもの」と譲らなかった。首相が少女像の問題にこだわったのは、自らの支持層の保守派への配慮からだ。「これができないと自分も厳しい。支持者がもたない」との思いがあった。少女像の交渉はもつれた。韓国にとっても挺対協の説得が難しいからだ。日本は、韓国が設立する財団に10億円を拠出する条件として、少女像の移転を主張。韓国から像をめぐる内諾を得たと判断し、合意の決め手になった。複数の日本政府関係者によると、少女像を移転することが財団への拠出の前提になっていることは、韓国と内々に確認しているという。
韓国政府がどのような説得を試みたとしても挺対協が「少女像」の移転に同意することは考えがたい。今回の日韓外相会談では、希望的観測に基づいた危険な合意を行っている。
韓国で強い影響を持つ日刊紙の「朝鮮日報」は、2015年12月31日の社説でこう強調している。<政府次元で合意に至ったからといって、それだけで全てが終わるような問題でもない。(中略)韓国政府は今からでも今回の合意内容の全てを国民に説明し、国民の判断を仰がなければならない。そして、万一安倍首相や日本政府関係者から合意の精神を傷つける発言が出た場合は、合意そのものを破棄するとの立場を明確にしておくべきだ。>(2015年12月31日 朝鮮日報日本語ニュースサイトより)
当面は、韓国政府がソウルの日本大使館前に建てられた「少女像」を撤去するために、どのような努力を具体的かつ迅速に示すかが、現実に慰安婦の「最終的かつ不可逆的解決」が実現するかを占う鍵になる。筆者は悲観的だ。仮に韓国政府が自国世論の説得に失敗し、再びゴールポストを動かすようなことになっても、天が落ちてくるわけではない。日本政府としては、淡々と普通の外交を展開すればよいと思う。
日韓外相会談が行われた日の夕刻、安倍晋三首相と朴槿恵(パク・クネ)大統領が約15分間の電話会談を行った。
<日本側の説明によると、安倍氏は元慰安婦について「あまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」と朴氏に直接伝えた。その上で「今回の合意により、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを歓迎したい」とし、「日韓関係が未来志向の新時代に入ることを確信している」と関係改善に期待を示した。
慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」に、安倍談話の<私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。>という文言が大きな意味を持ったと解説する人もいるが、この文言はあくまでも、戦時下の女性に対する性暴力をはじめとする人権侵害について一般論として述べているにすぎない。慰安婦問題に関する特段の声明ではない。
むしろ、この談話が日韓関係を悪化させるリスクにはらんでいることに目を向けるべきだ。談話には、<日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。>というくだりがある。確かに、トルコやエジプトなど、日本から地理的に遠い地域の人々が、日露戦争から植民地解放に向けたエネルギーを受けたことは間違いない。しかし、韓国に関しては、日露戦争(1904~05年)の5年後の1910年に、「日韓併合条約」によって国家を喪失し、日本の植民地になっている。史実に照らして見た場合、<日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。>という表現は、韓国については当てはまらない。日韓関係について、談話は追加的な障害を作り出したと筆者は見ている。

北朝鮮は慰安婦問題について、元旦に以下の認識を表明した。<北朝鮮外務省報道官は1日、旧日本軍の慰安婦問題に関する日韓合意について、「国際的な正義と被害者の正当な要求を無視した政治的な駆け引きの産物として絶対に容認できない」と批判した。朝鮮中央通信の質問に答えたとして、同通信が報じた。朝鮮中央通信によると、報道官は、慰安婦問題の被害者は「朝鮮半島の南側だけでなく北にもいる」と指摘し、「被害者たちは加害者である日本政府が国家の法的、道徳的責任を認めて謝罪、賠償し、名誉回復と再発防止措置を一日も早く取ることを一貫して要求している」とした。そのうえで、「こうした被害者たちの要求が貫徹されない限り、この問題は絶対に解決できない」とした。>(1月1日 朝日新聞デジタルより)
日韓の慰安婦問題に対する「最終的かつ不可逆的な解決」についての合意が、「政治的な駆け引きの産物」であるとする北朝鮮外務報道官の認識は正しい。北朝鮮の核問題をめぐる南北間の緊張が一段落したところで、「日本政府が国家の法的、道徳的責任を認めて謝罪、賠償し、名誉回復と再発防止措置を一日も早く取ること」という要求で北朝鮮と韓国の対日方針が一致する可能性もあることを、日本政府も日本国民も冷静に認識しておく必要がある。歴史認識を政治の力によって変えることは至難の業なのである。慰安婦問題に関する日本の場当たり的な外交が、中長期的には韓国と北朝鮮の連携を招く可能性も排除されない。

佐藤優の懸念を超えて、朴槿恵ゲートが発生して国内で合意そのものへの正統性が破壊された。「最終的かつ不可逆的な解決」という言葉を振りかざして日本政府は再交渉や合意の破棄などを拒否しているが、といって韓国側にもこの合意が政治的に生き返るような素地はない。そもそもこの合意が日本側では右派政権から生み出されたという特殊性が重要だ。もちろん米国の強い圧力による政治上の加工物だろうが、日韓関係を進歩させる機会を失うどころか停滞の強い原因をつくることになってしまった不幸を嘆きたい。

2016年3月18日、参議院予算委員会の質疑で、横畠裕介内閣法制局長官は、「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えていない」との見解を示した。

畠氏は「核兵器は武器の一種。核兵器に限らず、あらゆる武器の使用は国内法、国際法の許す範囲で使用すべきものと解している」とも述べた。

これは日本政府のこれまでの非核三原則の原則と矛盾する答弁である。しかし、政府への質問主意書では、繰り返し核兵器の保有は否定されていないと返答している。

ただ、今回の答弁は保有から使用まで一歩踏み込んだ答弁になっている。内閣法制局がスタンドプレーするというのは考えられないので、これが安倍政権の立場ということだろう。

4月28日から29日にかけて、沖縄うるま市強姦殺人事件が発生した。当初は死体遺棄事件という報道だったが殺人強姦事件だった。犯人の男が在沖米軍の関係者であったため、軍属という立場の問題が整理され、翌2017年に日米地位協定における「軍属」の範囲を明確にする補足協定が発効された。

5月10日、パナマ文書が世界に堂々と公開された。これはPRISMの時もそうだったのだが、ほとんど国内メディアやB層向けメディアのワイドショーでは話題にならない。国際的な感度が経済力の低下に比例して暴落しているのではないかと思ったりする。

https://toyokeizai.net/articles/-/118977?page=2

思ったほどパナマ文書で暴かれる日本企業は少なかったが、といってタックスヘイブン利用が少ないという結論は早い。パナマ文書で明らかにされなかった別のタックスヘイブンもいくつもあるためである。

5月27日に、オバマ大統領が広島に訪問した。

現職大統領としては初で、献花して被爆者の手を握り抱き寄せた。

核のない世界へのコミットメントを強く表明してきたオバマ大統領のレガシー作りだろう。しかし、後にはトランプ政権が控えているので、これもどこまでの意味があるのか微妙である。ただ、明確に歴史的な意味はあった。

9月23日、読売新聞朝刊によれば、安倍政権は北方領土交渉では2島引き渡しを最低条件とすることにしたという報道があった。

読売新聞は政府機関紙とも揶揄される新聞なので、政府としては明確にこの路線に軸を動かしたのだろう。これは2島+α路線の佐藤優ー鈴木宗男路線への転換だが、ロシア側はこの路線変更で交渉を加速させたりしなかった。ロシア側には戦勝国たるロシアが戦争の結果収奪した土地であるという前提があるからだ。安倍政権はそのところの読みが甘すぎた。

7月15日、トルコでクーデター未遂事件が起きた。軍の一部による単純なクーデター未遂事件として扱うには規模が大きすぎる。拘束された関係者は3000人規模に上った。

8月7日、中国公船が尖閣諸島沖で領海に侵入した。

海には無害交通権という権利が保障されるのが国際的常識のため、通過することには問題がないが、問題は当該公船が一時停泊したことだ。尖閣諸島沖での神経戦が1レベル上がったエポックメイキング的な事例として記憶するべきだろう。

6,ドナルド・トランプとアベ・シンゾーの「特別な関係」蜜月の4年

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2016年11月9日、米国大統領選挙でトランプが当選確実と報道された。数々の報道機関や評論家たちが100パーセントあり得ないといったトランプ当選だった。ヒラリーにオールインしてきた安倍晋三政権はこの報道に慌てふためいていた。外務省事務次官を呼びつけてどういうことだ!と怒号が飛んだ。ヒラリー派としてトランプという気難しい人間に嫌われる4年間にするわけにはいかない。

外務省は使えるコネクションをフル回転してトランプ陣営に電話をつなぐことに成功した。17日夕方、安倍晋三は米国の土を踏んでいた。当選確実とはいえ、就任前の大統領候補と在任中の外国の要人が会談するのは異例中の異例だった。後で語っているが、さすがのトランプ陣営も1月20日以降(つまり大統領就任後)ならいいという意味で言ったのだった。しかし、アベはすぐにでもくるという意味で捉えていた。急いで電話したが、アベにはつながらなかった。既に出発していたからだった。訪問した外国の首脳と合わないというわけにもいかなかった。このような運命のいたずらで、4年間のトランプとの蜜月は始まったのだった。

2017年、2月13日にマレーシアで金正男氏が暗殺された。マレーシアの主権を脅かす大事件にして、北朝鮮体制が彼を極めて危険な人物として認識していたことがつまびらかになった。

9月25日、安倍政権は大型の教育政策や経済政策の推進を旗印に解散総選挙を打った。安倍政権においては支持率の微減状態を打破し、党内政治力学における安倍晋三の力を再建し権力を握りしめ直す目的があったとみる。

https://www.asahi.com/senkyo/senkyo2017/

この選挙は与党微減の大勝で幕を閉じることになる。小池百合子率いる希望の党勢力が途中まであった支持を「排除の論理」で見事に失う一方、民進党代表だった前原誠司は、民進党所属議員の当選の最大化を希望の党への「加入戦術」で成功させた。しかし政治的には民進党が3つ(ないし4つ)に分裂したことをもって強く否定され、政治的影響力が地に落ちることになる。また、希望の党と棲み分けを行った日本維新の会は微減の結果に終わる。

2018年3月8日、米朝首脳会談が行われる基本合意がなされて、緊張が高まっていた北朝鮮を中心とする東アジアの武力衝突の危険性はなくなった。しかし、トランプが米国本土への攻撃能力を保持することを追求しないなら現有核能力の保有を追認する可能性があったため、日本政府関係者からしたら気が気ではなかったと思われる。

10月30日、元徴用工による損害賠償裁判が認める判決が出て、元徴用工によるいわゆる戦犯企業への財産の差し押さえが可能にになった。日本と韓国の間では既に解決しているというのが日本政府のロジックだが、韓国の裁判所はそれを認めなかった。中長期的に日韓関係が破滅する可能性を佐藤優はメルマガで指摘してるが、2021年現在においてその指摘は残念なくらい当たっているといえよう。

12月17日、ラブロフ外相が「1956年の共同宣言には平和条約締結後、ソ連は返還ではなく親善の証、日本国民の利益、善隣関係のためにハボマイ群島とシコタン島を譲渡する用意があると記されている」と強調した。

佐藤優はスプートニクのこの記事をとりあげて、二島+αによる北方領土問題の解決の素地作りが始まったと小躍りしていたが、残念ながら2021年においてロシアからやってくるシグナルは真逆をむいている。北方領土問題に関しての第二次安倍政権における佐藤優の状況分析は的外れだっただけでなく前のめりで、なぜあそこまで北方領土問題が解決するということを確信できたのか疑問である。

2018年12月20日、日本海においてパトロール中の海上自衛隊哨戒機に対して、韓国海軍駆逐艦が火器管制用レーダーの照射を行った。しかし、韓国はこの事実はないと居直った。火器管制用レーダーの照射は武力行使の直前に当たる危険行為であり、火遊びではすまない事態である。ますます日韓関係が悪化していく一つの象徴的な出来事だった。

4月29日からのニューヨークの国連本部の地名専門家グループ会合で日本海呼称問題が取り上げられた。日韓のそれぞれのカウンターパートが激しい応酬をここで繰り広げた。問題は韓国の国家プロジェクトとしてのプロパガンダに日本側が全く対応できていないこと、そして日本海呼称が日本の軍国主義に結びついているという印象操作だ。既に世界で販売されている世界地図のいくつかには東海という併記がなされている。これが標準化したら、日本以外は日本海と呼ばない可能性が生まれる。日本政府の外交敗戦である。

6月13日、テヘランにて安倍晋三首相がハーメネイ師と会談した。ハーメネイ師から核兵器の製造も保有も使用もしない、という言質を取ったことは成功だった。ハーメネイ師にアメリカ側のメッセージを伝えることが成功して、メッセンジャーとしての役割を果たした。

参議院普通選挙が実施された。

https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/2019/

与党の微減、野党の微増で終わったので、事実上与党の勝利だろう。また、投票率が極端に低く、そのせいでN国というモンスター政治団体が1議席獲得してしまった。また、山本太郎による個人政党も2議席を全国比例によって獲得した。しかし、これらは大勢に影響しない。

9月14日、サウジアラビアの石油施設がドローン攻撃を受けた。イエメンのフーシが犯行声明を主張した。

サウジアラムコの石油施設の二カ所が攻撃された。米国は、当然背後にはイランの支援があったような発言をしたが、イランは公的に否定している。この場所にはサウジアラビアの12イマーム派の人たちが住んでいるため、イランはこれまでこの地域に攻撃はしてこなかった。そのため直接的に関係している可能性は低い。一方、イエメンのフーシ派がこれだけの武力を備えられたのはイランの間接的支援によるところが明白に大きい。道義的責任をイランは負うべきである。

11月23日より、カトリック教会の最高責任者バチカン市国の元首、ローマ教皇フランシスコ氏が訪日した。カトリックの宣教よりも核廃絶のメッセージを打ち出すことにフランシスコ氏は心を砕いた。この年の8月に中距離核能力の全廃条約が破棄された。日本に中距離攻撃能力が配備されれば中ロが応じて核攻撃能力のハレーションが起きる。これはそれを牽制する強い意味があった。

12月29日に日本を密出国したカルロスゴーン氏は翌年1月、レバノンのベイルートで記者会見を行った。

カルロスゴーンが主張するように、日本の刑事事件の有罪率は極端に高い。65歳のカルロスゴーン氏が18年懲役を食ったとしたら83歳だ。貧弱な日本の刑務所の医療システムでは早死にする可能性が高い。

海外メディアはゴーン氏の主張の大部分について同情的な社説を送った。情報戦の観点から、法相がウォールストリートジャーナルの社説に個別に反論したのは大失敗だった。ウォールストリートジャーナルの報道を日本政府が重要視しているというシグナルになるためだ。

カルロスゴーン氏の情報戦に負けた日本は前時代的な取り調べからの「人質司法」を改めるべきだ。出なければいつまでも日米地位協定は改定できない。

2月、新型コロナウイルスが問題になり始めた。当初は中国の風土病みたいな扱いだったが、この問題が1年半以上経った現在も猛威を振るい続けると思っていた人はいただろうか。

4月7日、東京を始めとする7都府県に緊急事態宣言を発令した。田原総一朗が、緊急事態宣言がなぜここまで遅れたのか安倍晋三首相に会って聞いた。曰くほとんどの閣僚が反対していたし、財政への悪影響が頭にあったからだという。田原は新型コロナを「第三次世界大戦」と呼んだが、このときは流してしまったが、結果的には正しかった。

6月15日、河野太郎防衛相はイージスアショア計画の停止を発表した。

最大の問題点は発射時にブースターというものが落下するということだ。住宅地が近くにあるため、防衛省はブースターをコントロールできるとうそぶいた。しかし、本当にブースターの落下軌道までコントロールするなどということになると、既存システムでは対応できる、計画予算が数倍に膨れ上がることになる。防衛省のその場しのぎの言い逃れのせいで、一つの防衛政策が潰れることになった。説明会で居眠りしたり、適当な計算で候補地を探したりする防衛省こそが「売国の君」に見えるのは私だけだろうか。代替案としてあとから出てきたのはイージス艦の新規建造で、やはり予算が数倍になる上に、定期メンテナンスを考慮に入れると1年中守れる訳ではない欠陥のあるものだった。話にならない。

7月16日、自民党のミサイル防衛に関する検討チームは抑止力強化に向けた提言の骨子案を示した。ここには敵基地攻撃能力が含まれていた。骨子案の了承は見送りという扱いになり、党内で議論を進める。

専守防衛から外れた敵基地攻撃能力を、イージスアショア計画の頓挫をいいわけにいきなりぶち込んできたわけです。攻撃用の武器と防衛のための武器は全く違うわけですから、大きな転換点ですが、そういう大問題を国民に広く議論をつのるのではなく地上イージスアショアが頓挫したからとなし崩し的に進めるのはおかしい。ナチスのやり方に学んだんですよ、麻生太郎のいう通りに。

8月28日、安倍晋三首相が退陣を表明する記者会見を行った。表向きは第一次と同じ健康問題だったが、その後数ヶ月の活発な活動ぶりを見ると、とても額面通り受け取ることができない。新型コロナ対策についてのリーダーシップの欠如により自慢の支持率がなくなったことで7年8ヶ月の超長期政権の緊張の糸がぷっつり途切れたというのが正しいところだろう。歴代最長にするために、本当はもっと早く退陣は決めていたが歴代最長になるように時間を稼いだという指摘があるが、その可能性もなくはない。新型コロナのパンデミックによって習近平の訪日スケジュールが吹っ飛んで、五輪も1年延期にして、これ以上政権のレガシーが作れないから晩節を汚す前に……というとこじゃないか。これを「いまのうちに退陣」と名付けることにする。とにかく7年8ヶ月、憲政上の最長政権はいきなり幕を閉じたのである。あっけない終わりだった。

B、評価としての第二次安倍政権

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