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【アルバムレビュー】「Passport & Garcon」 Moment Joon <Serching for young soul rebels>


0.
俺はたぶん、ECDを最後にディスった人間だ。

もちろん、ラップじゃない。ツイッターでだ。

しかもしっかり強烈な罵倒返しももらった。
それは「いるべき場所」という小説で、「酩酊」という作品の最後の一節で吹っ切れたように電車の中の若者に怒る彼そのものだった。
老い、更年期の苦しみと怒りを抱える男の文面だったと記憶している。
まあ、要はそんな思慮深いものでもなかった気がする。

俺はじゃあ、ウヨクとかホシュってやつか?違う。俺は中道左派だと自分を思っている。思考的にそこに落ち着くというか。
(こういう言葉すら聞いてるとイラつく人もいるだろうか。しらねー)
しかし、苛烈化する右と同じく、左も相当に尖っていた。確かシャムキャッツなどのデモへの消極的な姿勢のインタビュー記事を、攻撃したツイートの一群に俺が対抗したんだと思う。同じ左派同士でもぶつかるようになった。今はそんな変な時代だった。
でも、最後に、リプライで、「あなたのことをディスったけど、あなたの音楽は大好きだ」といえて、よかったなと思っている。
だって僕は、その前に一度面と向かって挨拶したこともあったからだ。それぐらい彼の「TEN YEARS AFTER」は大好きだった。

ECDの遺志を引きつぐような…それは考え方だけではなく音楽的にも…
アーティストが一部には求められていると思う。
Moment Joon(以下moment)、
1991年韓国生まれ大阪在住の自称「移民ラッパー」、彼はその最右翼だろう。そしてそのアルバムがついに出た。アルバム名は、「Passport&Garcon」。浅学だから「garcon」の意味を調べた。
少年、というよりは給仕・ボーイのような意味があるという。
(weblioより)語源はフランス語なんだそうだ。

まず最初に、この59分15秒のアルバムは、傑作という形容をつけたくなるよりは、「避けては通れない」という気分を抱かせるアルバムだ。この島に生きるなら。(それは本当なのかもわからないが)
だからこそ、かなり久しぶりに、はやくアルバムレビューを書かなければという気持ちを抱かせた。
(たぶん浪人時代に10代の最後のピースの一つを心にはめてしまった忌まわしきバンド、syrup16gの第二期の最初のアルバムを聴いた時以来、なのかな。)
聞いてすぐ、ちょろっと友人にラインした文面を見てみる。


イントロ、スキット含めてひとつのアルバムとしてほぼ完璧な構成。

サウンドもトラップからケイトラナダみたいなヴァリエーション、リリックはもちろん一曲ごとに唸るおもい一発がある。

が、非常に誉める言葉を選びたいアルバム。


相変わらず偉そうだ。ECDに楯突いた頃となんらかわらない何様感。
何も成し遂げられないみじめな男のくせにだ。
でも、王子のモスバーガーで、会社を定時退社して、会社休憩中も狂ったように作り上げたプレイリストを聞きながら、こうしてPCをたたいている。
高島鈴氏は「immigang EP」のレビューで、彼はリングにあがっていると称した

ならば俺もリングとやらにあがろう。
このアルバムについて書きたいんだから。
そしてまずは肩書のない名乗りをあげよう。
俺はECDをディスったツイッタラー。
そして、初の海外で言葉が通じず小便を漏らした男だ。
そんな俺はいう。moment joon「Passport&Garcon」は、kohhの1stに匹敵し、eminemの2ndに匹敵する。
いままであらゆるECDのアルバムを超える。
そして強烈な、あの2015年誕生した傑作アルバム「pimp to the butterfly」の遺伝子が、5年の月日を経てこの国に到達した証左だ。
涙と怒りがどろどろに混ざりあった「ザ・メッセージ」だ。


1.構成/雑音
このアルバムを傑作に仕立て上げているのはまず、
その完璧なストーリーテリングの構成だ。
映画や小説のよう、という陳腐な言葉をとりあえずそこらへんに置いて分析すると、このアルバムは
1曲目「KIX/Limo」を起点に、
5曲目「Home/CHON」を頂点に第一部を構成して、
6曲目「Losing My Love」から第二部を開始する。
第一部は空港から井口堂での「うまれ82年」との会話、
第二部は語り手のmomentがソウルへと、
内的洞窟(「DOUKUTSU」)へと飛ぶように進行し、
「ただいま」とまた井口堂へ帰ってきて、最終曲「TENO HIRA」で被さるライブの光景で幕を閉じる。

momentのアルバムはまずKIX(関西国際空港)から幕を開ける。
前年「Immigang EP」の「マジ卍」、
各種客演で強烈なメッセージを打ち出したイメージとは程遠い、
か細い始まり方だ。
「絶望」「涙」「震える足」…ヴァルネラブル、とでもいうべきか。

…あ、そういえば、空港という場所に、数回しか言ったことがない俺が海外へ行ったのは唯一、
英語もできない中学一年生の時に親のきまぐれでいきなり2週間、
オーストラリアのアデレードにホームステイした時だ。
確か、ステイ先の家族に連れられて、ペンギンのいるよくわからない公園に行ったときかな。
うまく言葉を伝えられなかったのか、運が悪かったか(どういうことだよ)、公園内で大量に漏らし、涙も出なかった。
なぐさめももちろん英語だった。なんかずっと気まずい気分のまま2週間いた気がする。帰るときもほかの学生たちが涙を流しながら別れを告げる中、距離は埋まらずずっと帰国する姿を見られていた気がする。「変なもの」を見るような目だった。
よく「クレイジー」と言われた。クレイジーだったと思う。
ついでに、ステイ先の家族はとってもきれいな白い肌と金髪一家で、
お前には見合わないな、
と日本の女子たちにも言われたことを今思い出した。
美しい思い出、なんてない。たった一人だった。そんな記憶だ。

話が逸れた。そんな悲しみとは違うmomentの不安や恐怖。
それはこういた事情
もあるだろう。
入管の鼻で笑う声とmomentのセリフで一気にリスナーは引き込まれる。
「入国」と「出国」。言葉のぶれ。カメラはスローモーションで狂喜するmomentを映してるようだ。
彼の彼女でおなじみ、ナターシャの「おかえり」で、「Limo」がはじまる。一気にトラックが迎撃姿勢に入る。
ラップの詳しい言説はあまり掬わない。ここからmomentはずっと前傾でラップをしたまま「KACHITORU」へとなだれ込む。
しかし徐々に、「こういうイカツイやつがいいんだろ?」とオーバーに振る舞うかのように聞こえてくる。
「IGUCHIDOU」に新しくつけられたアウトロからなだれ込む、このアルバムで最も攻撃的な「KIMUCHI DE BINTA」で、
このアルバムは第二部の側面をのぞかせる。そのBrideだ。

説明しても無理 チョンである罪
違うと言っても俺のことは聞こえないふり
KIMUCHI DE BINTA

どうせ説明しても理解は無理。だからもうお前らヘイターの
望む最悪な存在になってやる。その諦め。

みんなが望んでるのはシェイディなのさ
俺はぶっ壊れたレバー
Eminem - Without Me

あるいは、奥底から「Loving you is complicated」と叫ぶケンドリックの言葉も聞こえてくる気がする。

そして、第二部でmomentは驚きの展開を見せる。自分の「敵」ではなく、身の回りまでもとたんに忌避しだす。
むしろここからがアルバムの最も特筆すべき部分になる。
「リベラルとかそこらへん」は俺を利用したいだけ!
「在特会」の方が日本を考えてるピュアリストとしてマインドは同じ!
だから触るな、近寄るな。
momentは客演のHungerのヴァースさえも「うるさい!」とさえぎり、
逃避するかのようなダンスビート(しかしこれがケイトラナダやアンダーソンパークを想起させるトラックで、かなりいい)、
「MIZARU IWAZARU KIKAZARU」へと入り、
ナターシャの声から推測するにソウルへ飛んでいく。
彼は自らの洞窟で自分を見つめ、しかし、日本へと、井口堂のあの場所へともう一度帰っていく。稼ぐために。momentの「ただいま」。
何度何度も曲の中で弱音を吐きながら、ステージへと昇っている。
最後の「TENO HIRA」のフィーチャリングに、「JAPAN」と記されているのが笑える。
正直、先行して封切られたmvをyoutubeを見て、
「TENO HIRA」は最後の大団円として用意されたにしてはお涙頂戴すぎると思っていた。
しかし、すべてはこの「TENO HIRA」に向かうまでの道のりだともとれる。
アルバムの全てを聞いてから聞く「TENO HIRA」の説得力。
ライブで聞こえる手のひらを掲げ歌ってくれた人々、
この小さなサークルこそ、momentの見つけた、momentの愛する
「JAPAN」なのだろう。だが、それはライブが終われば、再生時間が終われば消え去ってしまう。わずかな連帯。
それをmomentは望んだ。わがままな望みだ。だけどその国に俺は足を踏み入れた。瞬間こそ永遠だから。
雑種天国。本当のグローバル・ネイション。本当のパラダイス。楽園。


<skit>

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2.「/」を叩き壊すために
「Seoul Doesn’t Know You feat. Justhis」で彼がラップするソウルの光景を見てると、小説「三代」を思い出す。
俺がこの小説を読んで一番思い起こしたのは、
伊藤計劃の「The Indifference Engine」だった。
一人の少年兵から見える地獄。
伊藤計劃の名刺ともいえる「虐殺器官」にはマクロ側の文章も見受けられるが、これはミクロ側からの「戦争」を描いている作品。
(個人的には、その対比は、戦争理論や政治理論を学者なりにしっかりと分析している三浦瑠麗と、自ら兵役でその戦争の駒の一つとして振り回されたmomentの対比にも似ている。三浦は学者のスキルで麻酔されているのかも。ここで言おう。俺はコメンテーターとしての三浦ではなく、学者としての三浦は一目置いている。「日本に絶望している人のための政治入門」は、俺の本棚に収まっている。)
しかし、もう一つ俺が気にかかるのは、この小説の「二面性の結合」で、
それはゼマ族とホア族によって戦争が起きている場所で、戦後復興のために
「心に注射」を打たれることで主人公はどちらがどちらの民族かわからなくなってしまったことだ。最終的に、同じような境遇の少年兵と一緒に、主人公は行進する。これは、何を指すだろうか。

「本当にすごい!」と褒めつつ
「モーメントは外だよ」言った宇多丸さん

Losing My Love feat. Hunger from Gagle

この外、内、という二面性は
「日本語ラップ村」という言葉にも関係してくるのかもしれない。
「村」という言葉は、「村八分」という言葉も想起させる。
俺には今ここらへんの成り立ちや政治関係を語れる要領はない。
ただ、おそらく重要なのは、この対立する二面、それによる分断、それにこのアルバムが何を投げかけたか、だ。
「内」と「外」、「ゼマ」と「ホア」、「フツ」と「ツチ」、
「右」か「左」、「保守」か「リベラル」、
「バトル」か「音源」、「家庭」か「夢」、「貧困」と「富豪」、
「垂直」と「水平」、「ポジ」と「ネガ」、「チル」と「暴力」…。
しかし、二分、三分すればそれで終わりなのか?壁を設けて、そこで話は終わりなのか?
終わらないだろう。
momentが本質的に気付いているのか、それとも「Passport&Garcon」というアルバムを貫く「二面性(Passport/garcon)」の故か、
momentはあらゆる問題を、「なあなあ」な「大人の対応」で返す行為をよしとしない。
だから彼は傷つき、第二部でこれでもかと弱さをさらけ出している。ここまでクライベイビーなアルバムもない。
しかし、これは、泣き叫ぶことでそれぞれの「村」を看破しているのだろう。王様は裸だと言って、盛大なセレモニーをぶち壊してしまう子供のように、いや、ぶち壊してしまうために、彼には子供になる必要があった。彼に「心の注射」は必要なかった。

思い返してみればこのアルバムで、彼は最初からか細かった。弱かった。
僕はこのアルバムについて考えるとき、なぜかweezerやradioheadの1stも同時に思い出した。
weezerがドゥワップやクラシックの要素を持っていたように、
ここには「移民」視線、2年以上練ったアルバムの構成があった。
それを使って「泣き叫ぶ」100パーセントの力を叩き込んだ。
考え抜かれたヒップホップのストーリーに、彼の心の中の激情を叩き込んだアルバム。
だから、本当は泣きたかったあのオーストラリアで小便垂れた俺も反応する。
会社の偏見丸出しの高齢者どもの前で、
切れそうになるピュアリストの俺の心が反応する。
(そのあと、疲れた大人の俺が口から出てくる。話題を必死にそらす。)
ルッキズムとホモソーシャルとエイジズムに支配された、この場所で。
アルバムジャケットをもう一度見ると、怒りで叫んでいるかのようなmomentの細い瞳は、泣き出しそうにも見える。

このジャケットはエヴァンゲリオンをモデルにしてると聞いたときに思い出したのが、エヴァの初号機のフォルムには「鬼」のモチーフがあったと山下いくとが書いていることだ(コミックス第一巻より)。桃太郎が倒した「鬼」は、おそらく大和民族とは違う存在を戯画化したはずだ。)

ジャケットまで含め考え抜かれた構成は歴史や社会を映し、本気の彼の感情が個人の内面の記憶を掘り起こし、
大人の思考で切り分けていたハーフな思考をぐちゃぐちゃにミックスする。
だからこのアルバムは「ティーン」(大人であることを拒んだ子供ではない、30年代生まれの若者が生み出したトライブの一形態だ)
と「日本」を映す。俺の顔と俺の会社や最寄の駅を写す。鏡を覗き込むように。
momentが自分の鏡をのぞきこむ「Garcon in the mirror」にあるルッキズムの弱音。彼も同じようにとらわれている。
違うわけじゃない。同じなんだ。

このアルバムの最も特筆すべき点をもう一度記そう。
「プロフェッショナル外人」と呼び全く異なる目線からことなかれの排外主義国、日本を打ち据える攻撃性を持つラッパーは、
このアルバムで武器をひとつ加えた。
それは、ヴァルネラブルで泣き虫な一人の理想主義の少年が、
泣きながらこの場所にたたきつけるピュアリズムだ。
ダブルスタンダードという言葉で濁した「まあ、それはそれ、これはこれ」という壁の意識への強烈な攻撃だ。
あるいは全てが二面、三面へ「分断」される時代への提言でもあるだろう。未分化の有機体へとなるためのカンフル剤。
第一部と定義した1曲目~6曲目しか「/」が存在していないことに着目しよう。彼はその「/」を第二部で叩き壊したのだ。
そこまでして、彼は君の心の「ティーン」の部分を、強烈にノックする。
国の制度や政治や仕事や家庭や、
すべての自分を自分のままにさせてくれないものに、
殴られ泣いているティーンのためのアルバムだ。
壊された壁の前にいる君を見たことがあるだろう。
それはずっと泣きながら理想を夢見た君の姿だったはずだ。
もう理想主義の子供ではないと、妥協と分断の壁に隠してた君だったはずだ。


さあ、このアルバムで君のティーンを迎え入れてほしい。

「おかえり」と。あるいは、「ただいま」と。

(…でも、また君は、俺は、出ていく。そこを。それを怖がらないでほしい。僕たちは死ぬまで、この喜ばしい生きるという苦闘の中にいるのだから。)

<outro>
俺はECDをディスったことも、オーストラリアで小便も垂らしたことも、悔しいし辛いこともあったけど、
後悔はしていない。コロナが落ち着いたら、遠い場所へ行きたい。オーストラリアでもいいし、韓国にも台湾にも香港にも。
この記事をmoment自身に批判されたって怖くない。でもできれば、お互いに会って話がしたい。井口堂でもどこでも。
できないことなんてないんだぜ。だから俺は、ECDに会えたんだから。













<補遺/反省>

1.
「壁」の混濁というか、混在として、
吉松崇の著書「労働者の味方をやめた世界の左派政党
(これは三浦瑠麗の著書でも一部共通するところもある)とか、
日本のゲーム、女神転生3(カオス勢力ともいえる「ヨスガ」に天使が後半くわわるとか、あはは。)のことを言いたかったが、
考えがまとまらなかった。

2.
重要な視点なのに、サウンドについてもそんなにかけていない。
noahという一人のトラックメイカーが
全曲をてがけ、どういう形で曲を作り、どういうリファレンスがあるのか、あるいはそこによる課題、重要な部分なので、他の人の言葉を待つ。


3.
skitなどは実際にいつも話してる友人とのライントークを編集した。
ありがとう。

4.
このアルバムは本当にケンドリックラマー「Pimp to the butterfly」に似ているが、そこも誰かがもっと指摘してほしい。いろいろ出てくると思う。
このmomentのアルバムがそのエピゴーネンの一つなのかそうでないのかも誰か書いてほしい。でも、絶対悪質な劣化コピーではない。
それは、君にもわかるでしょ?


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