TRPGシナリオ製作術 【伝わる描写、台詞はレトリック、修辞法7つを意識】

PLとGMに強調して伝えるための描写=修辞法

レトリック、修辞法という物は、比喩表現や体言止めなどのテクニックを指します。使い過ぎるとくどいのですが、日常生活でも何気なく使っているはずです。
日本語は、情緒的でコミュニケーション効率が高く、話をする時に相手により伝わりやすくユーモア溢れる言葉を自然と選べる言語だと思います。
シナリオ中に登場する描写文、キャラクターの説明文。そういった描写に対して、PLやGMにより情緒や景色、温度感が伝わりやすい言葉を書くために、修辞法を意識してみましょう。
筆者の修辞法に関する考えを記述してみます。


〇 修辞法=格好良い文章ではない!

・格好良い文章を書こうとするのは、作者の『格好良くしたい』という気持ち以外がいまいち乗らない

一番危ない所なので、真っ先に警鐘を鳴らす――警鐘を鳴らすという慣用句も修辞法の比喩に当たるそうです。
では、警鐘を鳴らすという慣用句に対して筆者が一番感じるイメージは『世間に注意を促してやるぜ!』というイメージがあります。皆さんも恐らくは同じイメージを持っていると思いますが、そもそも警鐘を鳴らすは慣用句なので、同じイメージを持ちやすい比喩表現ではあります。
では改めて、修辞法を取り扱う上で筆者が思う一番危ない所、つまり真っ先に警鐘を鳴らしたいのが『格好良い文章にしたいという気持ちで修辞法は使うべからず』という考え方です。

修辞法が使われる文章は格好良いですが、格好良くしたいから修辞法を使ってはいけません。一見矛盾しているように見えますが、実は文章上で矛盾させるのも撞着語法(どうちゃくごほう)という修辞法の一つです。

ではまたまた改めて、どうして警鐘を鳴らすという比喩や、撞着語法まで使ってまで『格好良くしたいから修辞法を使ってはいけない』と筆者が伝えようとしているのかというと、それぐらい『格好良くしたいから修辞法を使ってはいけない』という考えが重要だと読者の皆様にお伝えしたいからです。

ここまで読んで「くどいわ!」と思った人も居れば、まだくどいとまでは思わない人も十人十色いらっしゃるとは思いますが、修辞法をどこまで使うかはそれぞれのセンスに関わる部分なので一旦置いといて、『格好良くしたいから修辞法を使ってはいけない』という点を深堀りしたいと思います。
でも実は深掘りという言葉も比喩表現で……流石にくどいですかね?

・『格好良くしたいから修辞法を使ってはいけない』

絶対に使ってはいけない修辞法、というものが通りを練り歩いているように存在しています。パリにもニューヨークにも京都にもです。そのような修辞法を監視し、自らの作品から追い出すことに集中しなければなりません。
修辞法のテクニックを紹介する上で"まるで氾濫させるように使おう"という言い分は、作家達の"怠慢の努力"です。『くどい修辞法』を世に溢れさせる傍らで、自らは『本当の修辞法』を使いこなして、他の作家たちの文章を劣化させつつ自らの文章を際立たせようとする『他者を下げて自分を上げてみせる』幻術です。
まるで「お茶しない?」と誘うように修辞法を気さくに広めて、今から文章を学ぼうとしている人々の失敗を、狡猾な文章を駆使して狙っている人がいる……と思われても仕方がない情報を目にします。
筆者はこの状況に警鐘を鳴らします。

・『格好良くしたいから修辞法を使ってはいけない』の解説

上記の文章は今から説明する修辞法たちがふんだんに使われています。ですが、ちゃんと読者の皆様に言いたい事が伝わっているかどうかと言えば微妙ですね。
それこそ『目が滑る』という慣用句がありますが、上記の文章は「それで何が言いたいの?」という疑問が出てきてしまうのではないかと思います。

何を伝えたいのかフォーカスしているのではなく、『とにかく修辞法を使おう』という点にフォーカスした文章だと、上記のような文章になります。

『絶対に使ってはいけない修辞法、~~』は体言止めです。名詞で言葉を区切る修辞法です。『通りを練り歩いているように』は擬人化という修辞法と比喩です。擬人化はその名の通り、事や物を人のように扱う修辞法です。『パリにもニューヨークにも京都にも』は省略という修辞法です。省略とは、『パリにもニューヨークにも京都にも、国を問わず間違った修辞法が広がっている』という言葉のうち、後半の『国を問わず間違った修辞法が広がっている』を省略しつつ、読者に後半の文章を文脈で伝えています。『作家達の"怠慢の努力"』の部分は撞着語法、形容矛盾という修辞法です。矛盾した言葉を組み合わせる修辞法です。『『他者を下げて自分を上げてみせる』幻術です。』は比喩の中でも暗喩と呼ばれる修辞法です。まるで〇〇のように~~という比喩が直喩と呼ばれるのに対して、暗喩は『まるで〇〇のように』を省略した形です。『「お茶しない?」』の"お茶"はシネクドキという修辞法のポピュラーな例です。この場合の"お茶"は紅茶でもコーヒーでも緑茶でも良くて、一緒に喫茶を楽しもうという誘い文句が変じて「お茶しない?」となった言葉をシネクドキと言います。『文章を駆使して』の"文章"には、本やネット上のブログ、ホームページの文章だけじゃなく、動画や配信なども同時に指していることを『情報を目にします』の"情報"という言葉で補強しています。この時の"文章"はメトノミーという修辞法です。

つまり、なんのこっちゃ!? という感じですよね。言いたいことが伝わっている文章になっているとは筆者も思いませんし、読者の皆さんも同じ気持ちだと思います。

・『格好良くしたいから修辞法を使ってはいけない』パート2

世の中には修辞法をたくさん使うことの危険性が説明されていない情報があります。この危険性を説明しないことで、本来の修辞法の使いどころを説明しきれていないのではないかと筆者は感じました。そのため、その危険性を説明します。

・『格好良くしたいから修辞法を使ってはいけない』パート2の解説

というわけで、説明するまでもない文章が出来上がるわけですが、これがまさに修辞法の危険性と言えます。

〇 修辞法の危険性

・修辞法による強調や印象は人によって違うし、余計だと思われる可能性すらある

当たり前ですが、修辞法に対しての印象は人によって捉え方が違う可能性があります。本当に正しく筆者が描写したいことを伝えるためには、修辞法を控えた方が良い場面すらあるということです。
微妙なニュアンスの違いが発生するならまだ良い方です。修辞法の弱点である『文章のテンポ感の喪失』と『表現技法との乖離』は常に考えておきましょう。

短い描写と長い描写とでは、読者が感じている『描写中の時間の進み』という情報が変化してしまいます。

『やはりマスターが煎れるコーヒーは旨い』という心理描写は、主人公の人物描写込みではあるものの、非常に短い時間が経過しているように読者は感じるはずです。この間0.1秒! といった感じですよね。
では、『このコーヒーの酸味と苦みの歩調が調和しているのは、コーヒーを煎れたマスターの真心と技術のなせる人生の味なのである』という心理描写は、主人公の心理描写であると同時にマスターの人物描写も含まれており、真心込めて作っているマスター像が読者の脳内で想像される時間すら発生します。
ということは、『この間0.1秒である』という描写が無い限りはマスターの人物像を想像する時間が発生しており、1秒から2秒ぐらい時間が経過している、つまり主人公が美味しいコーヒーを飲んで『旨い……』と噛み締めている時間が想像されます。描写文が伸びるということは、この時間的なニュアンスの違いが発生しています。

さらに、前者は主人公の人物描写、後者はコーヒーを煎れてくれたマスターの人物描写になっているという表現技法上の違いが発生しています。
この二つの描写で何が伝えたいのかと考えれば、コーヒーが美味しいことはどちらかと言えば二の次で、本当に伝えたいことはそれぞれの人物描写であると言えます。人物描写にフォーカスしているのであれば、人物描写の方に修辞法を用いるべきでしょう。

修辞法は伝えたいことをより伝えやすくする技術ですが、読者に伝えようとすると描写が長くなる可能性があります。
何を伝えたいのか、そのシーンは何秒の映像を想像させようとしているのかという部分をコントロールしないで修辞法を使うと、表現技法の面から見て全然話が変わってきてしまいます。

これが修辞法の危険な点の一つです。

・文章を強調するのではなく、伝えたいことを強調するのが修辞法

例えば『主人公の太郎くんが声を掛けて、振り返るヒロインの花子さん』というシーンを描写したいとき、どのような文章になるでしょうか。
太郎くんがどのような気持ちで声を掛けたのかを強調するのか、花子さんがどのような気持ちで振り返ったのかを強調するのかでも、修辞法を使うところが変わります。この二人がどこにいるのかの風景を強調したいのか、この二人の関係性を強調したいのか、実はこの二人以外の何者かを強調したいのかでも文章は変わります。

太郎が声を掛けて、花子が振り返った。
に修辞法を追加してみましょう。

太郎が声を掛け、振り返った花子。
これは花子という名詞で文章を区切る体言止めという修辞法ですが、『今まさに花子さんが振り返った瞬間』と筆者は感じます。この"今まさに~~瞬間"というニュアンスが体言止めによって強調された印象です。
どうして"瞬間"という感じが強調されるのかというと、描写が短くなっているからでしょうか。短くなっているとはいっても、"て" と "が" のたった二文字なんですが、体言止めの大きな効果だと思います。

太郎が声を掛けると、花子は飛び上がった。
これは花子さんが"ビックリしたこと"を強調する比喩表現ですが、この文章を見て花子さんが空に飛んでいくシーンを想像する人はなかなかいないでしょう。実際人間が飛び立つ鳥のように空を飛ぶかと言われたら飛びません。ですが、驚いたという慣用句である『飛び上がる』という表現は日常的に使われていますので、『飛び上がった』という描写が『驚いた』花子さんの行動描写になるわけです。
このような比喩表現のある慣用句は、大きく文字数を増やすことなく状態を説明することに長けています。この描写の場合も、花子さんがビックリしたという行動描写を、太郎くんが声を掛けて花子さんが振り返るというワンシーンに組み込むことが出来ています。
この描写に『振り返る』という描写はありませんが、驚いたら反射的に振り返ることを省略しているとも言えますし、読者の想像に任せて良い場合もありますし、次のシーンで花子さんが振り返っているのか振り返っていないのか描写しても良いでしょう。
ビックリしながら"振り返ったこと"を強調したいなら『飛び上がった』ではなく別の表現を考えてみましょう。例えば『ビクリと振り返った』と擬音語を使ったりだとか『花子は顔を青褪めさせていた』と、振り返ったことが分かる描写です。
ですが、この二つの描写のうち、『花子は顔を青褪めさせていた』という描写からは『飛び上がった』感が失われています。とあるニュアンスを強調するという事は、とあるニュアンスが失われるという可能性があるということです。

花子は振り返った。太郎が声を掛けたから。
これは倒置法ですが、この描写はシナリオのクライマックスに登場するぐらい感動的なシーンを想像します。
誰でもない太郎くんが声を掛けたから、花子さんは振り返ったんだ! という情景が浮かびます。倒置法はかなり強い強調ですよね。花子さんが振り返っただけのシーンとも言えますが、花子さんの心理や感情を如実に表現しているシーンになります。
そして、もし何でもない日常のシーンで、突然このような描写が登場した場合も、読者はドキッとしてしまうはずです。何でもない日常ということは、花子さんの心理や感情を読者は推し量れない状態のはずです。そんな時にこのような描写が登場すると、花子さんが振り返っただけのシーンに恐怖すら感じてしまいます。
ドキッとしている読者の心境がこのワンシーンの時間にも影響されるので、この描写は短い時間経過を想像してしまいます。何ならこの瞬間、時が止まったかのような映像が想像されますよね。花子さんが振り返って、世界の時が止まったかのようになって……という映像です。TRPGシナリオでこのような描写があったら間違いなくココフォリアのBGMを切っているところです。

太郎が声を掛けると、赤いリボンが翻った。
この描写は花子さん、が身に着けているリボンが翻ったことで、花子さんが振り返っていることを描写しています。これはシネクドキという修辞法で、全体の中の一部、または一部を含んだ全体を代用する修辞法です。この場合は花子さんという存在の一部である赤いリボンを、花子さんの代わりに描写に登場させるシネクドキです。
イメージされる映像も描写にある赤いリボンに引っ張られて、可愛らしいイメージが脳内で出力されることになるでしょう。事前に花子さんがどこにリボンを身に着けているのか描写すれば、花子さんの人物描写の補強にもなります。腰に大きなリボンを付けているのか、ポニーテールを赤いリボンで結んでいるのかで、脳内にイメージされる映像も花子さんの人物像もガラリと変わるわけです。

・描写の目的に沿うということ

赤いリボンという描写の"赤"という言葉や"リボン"という言葉を事前に強調しておくと、より強い強調の効果が発生します。例えば、真っ赤な血に塗れた凄惨な事件現場で花子さんが振り返るのだとすれば、赤いリボンが翻った方が凄惨な事件現場という状況と、赤いリボンの可愛らしい花子さんという存在のギャップで、悲惨な事件現場という情景描写とリボンを身に着けた可愛らしい花子さんの人物描写を、赤色という類似性によって強調することが出来るでしょう。
色という事であれば、『太郎が声を掛けると、青いリボンが翻った。』という描写文の場合、凄惨な事件現場の赤と青いリボンの対比が利くことになります。もっと現場を凄惨なものにしたい場合、『太郎が声を掛けると、地面を濡らす血の赤の上で、青いリボンが翻った』という描写になり、今度は対句という修辞法の合わせ技になります。対句とは文字通り、対になる言葉を組み合わせる修辞法です。

ここで再び修辞法の注意点が登場していますが、凄惨な事件現場という情景描写にフォーカスし始めた時点で『花子さんが振り返った』ことは二の次になってしまっています。凄惨な事件現場という情景のなかで、花子さんが振り返るという行動描写にフォーカスしたい場合、上記の対句などは正に追加するべきか一考する必要のある修辞法ということになり、情景描写は別の機会にして前回、前々回の描写にした方が『花子さんが振り返った』感が強い描写となります。

「折角花子さんが赤いリボンを身に着けているのに、それを描写で拾わないの!?」ということであれば、事件現場のシーンの引きなどで『花子のリボンのように、壁に飛散した血液が垂れていた』などといった情景描写で拾えば良いのであって、描写一つ一つに目的を持って描写するのが大事です。

ついでに人物描写のお話ですが、伏線というテクニックを同時に使って、事件現場のシーンで花子さんのリボンを描写に登場させるのであれば、花子さんのリボンの描写は伏線回収される流れがまさに『格好良い』かもしれません。
これは逆に、事件現場のシーンで花子さんのリボンを描写に登場させてしまうと、回収しなければならないとも言えます。
伏線のつもりが無ければ、花子さんは赤いリボンを身に着けているべきではなく、白いレースや黄色いヘアピンを身に着けているべきかもしれません。

・描写の目的は『人物描写』か『情景描写』

全ての描写は『人物描写』か『情景描写』を目的に描写されます。登場人物がどのような人物なのか描写するのが人物描写、登場人物たちがいる現在はどのような場所や状況なのかを描写するのが情景描写です。
この目的を意識して、伝えるべきことを伝えきって、なおかつ不要なことを裏設定に回して描写しない取捨選択をする必要があります。
この取捨選択の過程で修辞法を使うべきか、使うならどこに使うのかを選ばなければいけません。

そもそも修辞法を使わないという選択肢があることも十分に考慮しましょう。自分の考えた描写が味気ないという印象を受けてしまうのは、そもそも『人物描写』か『情景描写』のどちらか、もしくは両方が欠けているからです。その場にいる人物たちは何も考えずにボケッと立っているわけではなく、現代日本ですらありとあらゆる問題を内包しながら、それでも朝がやって来るという状況にあります。
そして、物語に関係のない人物や、物語に関係の無い情景は描写しても意味がないのです。

夕焼けの砂浜なのか、火星のクレーターなのか、戦場の塹壕内なのか、上空1万メートルの旅客機の中なのかで情景描写はガラリと変わりますし、最低限必要な描写の内容も全然変わってきます。
夕焼けの砂浜は波の音と潮の香り、紫色に混ざり合う空と海の水平線ですが、火星のクレーターは無音で、どこまでも漆黒の空、赤を反射する鉱石が主成分の砂地で、宇宙服の匂いがするはずです。これらの情景をどのように描写するのか考えるのが『情景描写』のスタート地点です。

人物描写も同じです。老若男女、どういった性格で、どのような状況におかれてるから、どんな心理状況で、どんな行動をするのか千差万別であると言えるでしょう。
夕焼けの砂浜で、恋人と肩を寄せ合い、愛を囁く裏腹に、キャバクラに有り金を費やし、明日の家賃も払えない状況で、どうにか同棲ヒモ生活を狙っているイケメンや、火星で宇宙船に置いていかれて、生命維持装置も残りわずか、仮設基地の酸素量も1日分、基地の窓から赤色の砂地を眺めつつ、宇宙服のヘルメットを脱いで、地球の家族を想いながら宇宙シガレットで一服する宇宙飛行士のオジサンと、オジサンを慰める火星人。というキャラクターたちをどう描写するか考えるのが『人物描写』です。

これらの土台となる描写がそもそも不足している場合、いくら修辞法で強調しても『足りない』、『味気ない』という印象を解消することは出来ません。
上記の場合、火星人に対して修辞法を使おうにも、描写が『オジサンを慰める』しかないため、即興で設定や描写を追加する必要がありますし、その即興性はコントロール下にない描写のため、後に物語上で矛盾が発生し、トラブルを生む可能性があります。

〇 修辞法の種類

ここからは修辞法を7つ紹介したいと思います。

・比喩、直喩、暗喩

『まるで~~のよう』と、別の物に例えることを比喩、直喩と言います。『竹を割ったような性格』、『太陽のように明るい笑顔』といった表現です。
暗喩は『まるで~~のよう』を省略した表現です。『男はオオカミ』『サークルの姫』といった表現です。

・メトニミー(換喩)

こちらも比喩ではあるんですが、類似性のあるものに例えるタイプの修辞法です。例えば『国家の犬』は警察の蔑称ですが、忠実なペットの代表『犬』という比喩表現と合わせて、国家を人に例えた時のペットという意味が込められています。「お茶にしない?」という誘い文句の"お茶"は、実際に飲む飲み物は紅茶でもコーヒーでもどれでも良くて、喫茶店に類似する存在の"お茶"に、喫茶店に行くという行動を休憩"する"、暇つぶし"する"、お話し"する"に更に例えて"お茶にする"という比喩表現になっていると言えるでしょう。

・シネクドキ(堤喩)

こちらも比喩ですが、上位関係、または下位関係にあるものに例えるタイプの修辞法です。「ご飯食べる?」は本当に白米を食べるわけではなく、食事の下位関係にある"ご飯"に例えています。つまり、食事をするかどうかということです。
『ピョコピョコとツインテールが跳ねる』という表現は実際にツインテールのウィッグ単体がピョコピョコ飛び跳ねているのではなく、ツインテールの髪型の人物がピョコピョコ跳ねるように動いている描写ということになり、人物を構成する下位互換の"髪型"を比喩表現しているということになります。『カツンカツンとハイヒールの甲高い音が地下に響く』は、実際にハイヒールが甲高く鳴いているわけではなく、ハイヒールを履いた人物が足音を響かせているからですし、『真っ暗な客席の中でペンライトがゆらゆらと揺れている』のは、ペンライト自身が空に浮かんで揺れているのではなく、観客がペンライトを振っているからです。
ちなみに、擬音語も修辞法の一種です。

・撞着語法、形容矛盾

矛盾する言葉を合わせて使って表現する修辞法です。『嬉しい悲鳴』という慣用句は、嬉しいという言葉と悲鳴という言葉が矛盾しています。
『ダイエットという現代病』、『機械仕掛けの神』、『都会のオアシス』などなど、考えてみると結構ありますし、印象的な言葉が多い印象です。

・擬人化

事や物を人に例えるような比喩表現の修辞法です。
『痛みが襲い掛かる』、『風が頬を撫でる』、『足場が悲鳴を上げる』などなど、擬人化も非常にたくさん見かける表現です。
恐らく、かなり日常的に使われている修辞法ですので、余程狙って使い続けないと『くどい』と思われることは無いかもしれません。

・省略(列挙法)

列挙法は同じレベルの物を並べて表現する修辞法ですが、列挙法を用いつつ言葉を省略することがあります。『東京の外食は美味しいものばかり。寿司も、蕎麦も、天ぷらも、中華料理やカレーまでも。』というように、省略しても問題なく伝わる場合があるということです。

・体言止め

名詞、代名詞などで言葉を区切る修辞法。悪そうなやつらは大体友達。祭囃子、汗流し、「ねぇねぇ痩せた?私」
ほうほう、体言止め、これが修辞法。韻踏むラッパー大体大好き。列挙法、合わせよう、段々に変わるシーンチェンジ。
体言止めのスピード感、テンポ感は改変前の描写より早くなる印象があります。この小気味良さは1秒を争うアクションシーンや、カメラが次々に被写体を変化させていくようなカメラワークを表現する時にも最適です。
『振り続ける雨。ぼろいマンション。ベランダの植木。暗いワンルームの一室。明るいPCモニター。とある匿名掲示板。住人の太郎は、そのモニターに釘付けになっていた。』
『太郎の剛腕によって袈裟に振り下ろされる刀。花子は柔らかく峰で反らし、薙刀を半回転させ握り込み突く。一瞬にして胴体に空いた大穴。溢れる血液。太郎の手から刀が零れ落ちる。』

〇 まとめ

修辞法、レトリックと言われるとお堅い印象がありますが、実は世間では非常にたくさんの場面で見かけることが出来る技法です。TRPGシナリオも、情景描写と人物描写は間違いなく必要であり、そういった描写に修辞法が使われていて当たり前ではあります。
この時、その文章を読んで、世界観をくみ取り、PLに回すのはGMです。GMを通してPLが描写を聞く、または読むことになりますが、まずGMがシナリオのトーンをシナリオから読み取る上で、修辞法によって適度に強調されたシーンは必要です。GMもそのシーンの方向性を定める上で修辞法により強調されている描写は、意識的にも無意識的にも参考にしやすいポイントになるでしょう。
悩み続けて完成したシナリオ全文を一字残らず読んで欲しいという気持ちも分かりますが、TRPGシナリオ作者として優先すべきなのは『凝りに凝った描写』ではなく『伝わりやすい文章』です。
シーンの注釈やNPCたちの設定資料も同じくらい重要な文章であり、修辞法をぶち込もうとするよりも大事な文章が大量にあります。

この記事がTRPGシナリオを制作する上でお役に立てば幸いです。

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