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補論──(相対性)精神学についての試論
精神とは何か
『日本的霊性』において、鈴木大拙は「精神」という語について次のような指摘をしている。精神という語は、一般に心と同義とされるが、たびたび多義的な扱われ方もする。そのために、それが真に意味するところをめぐってわれわれは迷わされるかのようですらある。
精神は意志、注意力を意味する文脈で使われる。その一方で、「日本精神」とか「日本的精神」においては使われ方が異なっている。意志や注意力と
相対性精神学入門講義
レイテンシー博士、あの『燕石博物誌』でおなじみの正体不明のアクティヴィスト、幻想の語り手が、例によって巧みな想像力と幅広い知見を駆使して、相対性精神学概論と題して講演を行った。教授の説明によれば、相対性精神学とは「経験」という直接的所与を人間存在の真実として描き出す試みである。「何を相対性精神学として認めるか」という主張のもとに、「主観」を再定義する作業が始まる。
Latency
INTRODU
日記1a ベケット小説三部作を読んだ
いつもと同じように始めよう。つまづくことはない。他愛もない話を始めるのに、せっかくだ、どの語り口を選ぼうか、などといって、新しく始めるようなことはない。語り始めたときには、すでに選択してるものだ。そんなことを考えてるうちに、ベケットのような語り口になってしまった。喋ることにしよう。サミュエル・ベケットは、アイルランドの劇作家、小説家。一九六九年にノーベル文学賞を受賞している。彼を最初に読んだのが二
もっとみる宇佐見蓮子はなぜ遅刻するのか
このnoteの目的は秘封倶楽部の風景でお馴染みな「宇佐見蓮子はなぜ遅刻するのか」を、ベルクソン哲学に則って解明するというものである。このnoteを読むのに、ベルクソンも、哲学も知っておく必要はない。できるかぎり丁寧に書いたつもりだ。
「宇佐見蓮子はなぜ遅刻するのか」を問題にするにあたって、ベルクソン哲学を素地にするということを、筆者は書いた。ベルクソンとは、一九二九年にノーベル文学賞を受賞したフ
科学世紀を哲学史から読み解く
このnoteでは、秘封倶楽部の舞台として知られる「科学世紀」を、哲学史を片手に読み解いていく。筆者が今までTwitterで書き散らしてきた、要領を得ない考察の数々を、ここにまとめてみる。各々に厳密な考証は行っていないため、眉唾程度のものとして読んでいたたげれば幸いである。
なお、相対性精神学を哲学史や思想史から読み解く企ては、すでに試みているので、そちらを参照されたい。
夢を現実に変えるアリスト
相対性精神学とはなにか
再録によせて
本稿は『幻想茶房合同2』所収の「相対性精神学とは何か」を再録したものです。頒布からちょうど一年がたった現在、今考えるとひどい内容と稚拙で乱雑な文章ではあるにしても、公開することにしました。この度は少々の細かい訂正を施しながらも、中心的な主張もひどい構成も変わってはいません。眉唾程度に読んでいただければと思います。
二〇二三年九月一一日
はじめに
本稿の本題に入る前に、読者の皆
レイテンシーと「差延」について
「Dr.レイテンシー」というハンドルネームが登場したのは『燕石博物誌』でのことだ。メリーの思いつきで始まった、幻想の奇譚を扱う博物誌の執筆。その著者、蓮子とメリーというユニットのハンドルネームとして、蓮子が提案したものであるらしい。レイテンシー(latency)とは、
など、一貫して通信におけるデータ転送の「遅延」を意味している。遅延という時間的なずれ、時間的差異である。ここではレイテンシーが意
ハルトマン『無意識の哲学』についてのルポルタージュ
追伸幻想郷学講談所に「ハルトマン『無意識の哲学』に挑む」を掲載させていただいた。元が東方発表会の原稿なので、スライドと併用して読んでいただくこともできる。今回ほとんど深堀りすることができなかったハルトマンの思想内容についても、初歩的な段階ではあるが、具体的に論じているので、参照されたい。(2024年1月19日)
「ハルトマンの妖怪少女」
古明地こいしのテーマ曲であるこのタイトルが意図しているこ