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休職23日目

今朝もいつも通りに子どもを保育園へ送っていく。
いつもと違うのは、
最近ハマっている「古畑任三郎」の音声だけを耳にしながら送っていったこと。
それ自体に特別な意味はなかったのだが、
ふと一つ、また疑問が解消された。

というのも、私は嘘がつけない。
人として、嘘をつかないのは当たり前だが、
嘘の中にも「優しい嘘」というのがある。
私はそれすらつけないのだ。
すべてを白日のもとに晒したい性分なのである。
清廉潔白を常に証明したいのかもしれない。

なぜ?と言われると、答えはいつもと同じ。
嘘がバレて怒られるのが怖いから。

と、ここまではいつも通り。
この休職期間で得た大切な理である。
それはさておき、
なぜ「嘘がバレる」という前提に私の脳内があるのか。

古畑任三郎を聞いていてそれがすっと納得した。
古畑任三郎含め、私はミステリー作品が好きである。
漫画にはなるが、金田一少年の事件簿も全巻揃っている。
小説、映画を見るときは「人が死ぬかどうか」が選ぶ基準の一つになっている。
それは今に始まった事ではない。

古畑任三郎に関しては
小学生の時から親の影響でビデオを何度も見ていた。
金田一少年の事件簿もドラマから始まり、漫画も集めるようになっていった。
そこで刷り込まれたのはミステリーの鉄則
嘘はバレる。
探偵が些細な点に気がついて矛盾点をひたすら指摘してくる。

思い返してみると
現実世界で仕事で嘘をついたとする。
そこに関する矛盾があった場合、
私は別に指摘されているわけでもないのに
その矛盾点を指摘された気分になる。
それはきっと、脳内の古畑任三郎、金田一一が私を追求しているのだろう。

いままでこれが不思議だった。
なんでみんな平気で嘘をつけるのだろう。
なんで恥ずかしげもなく矛盾することを堂々と言えるのだろう。
と。
答えは古畑任三郎にあったのだ。
物語の終盤、犯人が古畑任三郎と対峙するシーン。
決まって犯人は古畑任三郎からの指摘に苦しい言い訳をしている。
そしてそれを見事に論破される。
そのシーンを小学生ながらに
「犯人のやつ、恥ずかしいなぁ」と思って見ていた。
きっとそれを現実世界でもメタ認識で思ってしまっているのだろう。
言い訳する自分が、古畑任三郎に追い詰められた犯人みたいで滑稽だと。

私の脳内任三郎が私の現実での行動に対して
ネチネチと指摘してくる。
それが私を困らせる。
現実では誰も何も言っていないのに、言われた気分がして責められている気分になる。
きっとこの繰り返しなんだろう。

冷静になって振り返ると
いままでピンチになった時にとっさに出ていた言い訳を指摘されたことがあるか、
言い逃れできなかったことがあるのか、
そう考え直すとそんなことはなかった。

現実世界は古畑任三郎や金田一一のような名探偵はそうそういない。
もっというと、彼らはフィクションで台本の中で生きている存在である。
現実の謎を少ないヒントで解決できるはずもなかろう。
ましては犯人(私)の脳内を全て知っている人間もいないのに。

前職の同僚に言われたことを思い出す。
「世の中は、綾小路みたいに賢い人ばかりではない。バカがたくさんいるよ。」
これもまた脳内任三郎とリンクする。

自分が好きだからという理由で
その世界観を現実世界に持ってこないようにしよう。
これでまたひとつ、心の謎が一つ解決した気がする。

解決した=それに悩まされない、ということではないから
その点も注意していこう。

これを機に古畑任三郎のコンプリートボックスを買おうかな。
でもコンプリートボックスを買っても
スマホやタブレットで見れないのが残念極まりない。
サブスクに慣れてしまった現代病にかかってしまったようだ。
うーん、コンプリートボックス買ったら
webでも見放題になればいいのにな。


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