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ナトリウム色の黒い毛が舞う

アウトプットができない。
できないというよりしたくないのかも知れない。

9月1日からなんだか脳の動き方が違う。回転速度はそのままに、ひらめきのなり損ないのような幻影が高速で目の前を横切る。
もったりと喋る癖があるのは前々から自覚しているが、最近は時と場合によって思考と言語としてのアウトプットの速度にあまりにも差が大きく生じている。
言語化と自覚が同時に起きることも多く、自覚への驚きで冷静さを失い言語化が疎かになる。
口を動かしている頭の隅で自分の思考に対する疑問への追求が始まり、話し相手と自分へ同時に異なる内容の感想をぶつける。

そういった混沌の中で時々、夜の高速道路を照らすブレたナトリウムランプを纏った黒猫が、脳内か視覚内かもわからない領域で幻影のように横切るのだ。

私からしてみればそれはこの2、3年渇望して止まない感性の着地地点で、掴もうと手を伸ばすと再生ボタンを押された灰のように散布してしまう。
わかるようでわからない。見えるようで見えない。
あともう少しで上のフロアへ上がれるはずなのにキョロキョロと周りを見渡し取りこぼしがないか探してしまう。

あと1ピースな様で8ピースくらい足りない気がする。

これでもかと極短期間で入力された情報は無重量空間を漂うように雑然と散らかされている。

そうか、引き出しにしまう作業が追いついていないんだ。
取り出しやすいよう項目ごとにまとめ、タグ付けされた状態で使用頻度の高い物はテーブル上か下へ、曖昧で咀嚼が必要な物は背伸びして届く高さでいい。
いつもの片付けと同じじゃないか。

しまう定位置が定まらない記憶でごった返している中、さらに新品を買い足しゴミ屋敷の様に情報が堆積していく。
簡単な事だ。インプットを一旦止めろ。しかし止めようとブレーキをかける中、速度が0へと近づく視界の中で魅惑的な細い街路路を発見してしまう。
理性や自制心が自分の中のみの世界ではまるでまともな働きをしない。
そのうち知識で足を滑らせたり、生き埋めになったりしないか心配だ。なんらかのディスクレパンシーが生じているのだろう。
自覚できたんだ。次へ役立てるのが人間がすべきことだろう?

こうして作文していることはアウトプットに含まれない。含まれているけど含んではいけない。
もっと抽象的な解釈へと繋げたいのだ。
やはり最理想はファッションクリエイション。それが駄目ならイラストレーション。最悪、料理か随筆。
比較的具体的な情報を抽象としてアウトプットしたい。脳内に山積したぐちゃぐちゃを綺麗に皺伸ばしして明るい日のもと、ロープに吊り下げ乾かしたい。

ちょっとは正確に言語化できていることがあるじゃないか。まずそこから手をつけて広げればいい。
しかし袋に複数個投げ込んだネックレスや、玉結びに失敗した糸の様に、絡まりが見つかるのだ。
解いたら綺麗にしまい、次に必要な作業をしている間に揺さぶられてまた絡まるのだ。

このままインプットし続ければ化学反応が起きて地が固まったりするのだろうか。
前はどうだった?いや、規模が小さすぎるのとあまりにも前すぎて全く参考にならない。

注射を止めるのが怖い。打ち続けているからこそ伸びる面が存在している。火柱が弱まるのを待つか?
そうするなら消えないようにそっと手で覆い護らなければならない。
それほど神経質な作業が今の私にできるか?
一旦停止しても、今にも前傾姿勢から転びそうなんだ。

常に視界がブレている。わかる様でわからない。
勘で、雰囲気で、感じとって私らしくなくなんとか進んでいる。

いや、これが本来の私なのか?

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