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表現者と表現者

どうも、2回目の投稿です。
2月12日(土)試合が終わって移動の車内で書いてます。
投稿は早くて今日中、遅くて翌日かもしくは翌々日くらいになってると思う。そういえば車の中で本や漫画を読むと酔ってしまうのだけれどバスや電車の中では大丈夫。
なのに今こうやって車内でスマホをいじって文字を打っているのに酔わない。この違いはなんなのだろう? 
あ、早速連絡。
明日日曜日も午前中から午後か....
最近になってお金も大事だけれど時間が欲しいと
思うことが本当に多い。

表現者の子

ちょっとした用事で先日千葉へ選手練習後急遽行くことになった。その時相手方の知り合いで
1人の女性というより自分の年齢から言うと
女の子と呼べる年相応の子と同席することになった。言っておくけれど決して合コンなどではない。

真剣に仕事の話し中だったのでその子が少し居づらそうな雰囲気だったから何となく話しを変えて振ってみた。
「人は見た目が9割」という本がベストセラー
になったけれど見た目だけで人を判断するのは良くなかったり、でも事実であったり。
それは自分のことも言えるのだけれどさ。

その子の座り方や喋り方には品を感じさせるものが
あった。居づらそうなようであっても受け答えは
はっきりとしていた。
話しているうちに少しずつ自身のことを喋ってくれるようになったので、姿喋り方から疑問であったことをぶつけてみると口から出た言葉は
「ダンサー」だった。

互いに異なることをしていても"表現者"という
人前に立ち生き様や喜怒哀楽を表現する
同じカテゴリーに属しているという小さくも大きな点は一緒だ。
自身のことを話してくれたのでこちらも自分のこの日これまでのことを少しだけ話させてもらった。

プロレスなんて全く興味も無かった子が
この日から2日前に行われた後楽園ホールでの
自分の5年間の答えを出す挑戦者としての
タッグチャンピオン戦を見てくれた。

突然のことで驚いてしまった。
彼女が目に涙を浮かべたと思えばその涙が流れ続けたのだ。
人は涙を流す時は大きく感情が動いた時。
嬉しい、悲しい、悔しい、辛い.........

理由は聞かなかった。
でも彼女の人生と自分のこれまでがこの時の
試合終了のゴングがなった瞬間、
何か重なるものを見たらしい。


表現者から表現者に

表現者としての自分のプロレスであり生き様を
表現者が見てこんなに強く感じてくれることが
素直に嬉しかった。
映画やドラマ、本や漫画に音楽、絵と芸術。
ただ好きであるのと同時にこれらのものから
常に何かを得たいと触れてきたけれど。
そっち側から自分に触れて感じてくれるものが
あったということを想像したことが無かった。

表現する人が何かを感じ伝えられたことは嬉しい。
けれど考えてみれば表現する者とそれを
受け取る者は=喜怒哀楽と感情のある者でないと
伝わらない。つまり人だ。
見せる相手受け取る相手がこの時のように表現する
人であったとしても周りから見れば誰でも1人の人間だ。人が人に伝えるのだ。それが決して万人に響くもので無かったとしてもたった1人に響けば。

この身をかけて伝える


明日は日曜日、試合翌日でもやらなければいけないことがある。今は時間が欲しいが
かつては持つことも無かった使命というものも
出てきた。

ZERO1と栃木プロレスという2足の草鞋に
なった上での王者。
(王座とタイトル戦のことについてはまた書いてみる)

それでもいつも色んなことで突然どこか
自分の中で泣いて笑って悩んで苦しんで
もがきながらもでも真っ当に。

この身削ってでも表現者として。

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