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建設現場でがんばる若いゼネコンマンへ 〜その24〜

【再び、現場へ】

僕は、本社調達部で、とても充実した日々を過ごしていました。

全国の専門業者さんとの交渉は電話が主でしたが、交渉を重ねていくたびに、良い信頼関係が築けていることを感じていました。

その担当の方々が出張などで東京に来た際に、僕に会いに来てくれることがありました。
初めて会った時には、"初めまして"なんだけど、"初めましてでは無い"。
何とも不思議な気分だったし、顔を見て『全然イメージと違う。声とのギャップありすぎじゃん。』など、ちょっと笑ってしまうこともありました。

お互いに顔を見た後は、もちろん更に信頼関係は深まり、より良い関係で仕事を進めることが出来ました。

自分としては正に"絶好調"の状態で、2年が過ぎました。

そんなある日、突然(いや、ある程度わかっていたのですが)、異動の打診がありました。

異動して来てから2年。
歳の近い先輩達の状況をみても、概ね2年でなんらかの異動は既定路線でした。

ただ、僕に告げられた異動先は、"現場"です。

正直、胸がザワつきました。
本音を言えば、"行きたくない"。
しかし、『また、わがまま言っていいのだろうか?』という気持ちもありました。

この時の上司がとても良い人で、僕の恩人と言っても過言で無い人です。

異動の打診は、その人からありました。

僕が調達部に来た経緯も当然ご存知でした。
それを踏まえた上で、僕の将来も考えて頂いていて、
「内勤にはいつでも戻れる。」
「もう一度、現場で頑張ってみてもいいんじゃないか?」
「あの時とは、現場もスタッフも違う。上手く回ればそれでいい。」


「ダメだったら、戻って来い!」

と。
僕の年齢的なことやこれからの会社でのポジションを考えて頂いた上でのことでした。


僕は、現場に行くことにしました。

当然、不安でいっぱいです。
一度、ドロップアウトした身です。
僕の力が役に立つのか?それ以前に使い物になるのか?
正直、後者の気持ちの方が強かったです。


そして、配属になった現場は、僕が全く未経験の"解体工事"の現場でした。

正確には、大規模再開発の現場で、そのための既存建物の解体工事からのスタートということでした。

これも、僕が"大規模現場の経験が多いこと"、"現場進捗の途中から入るより、最初からの方が他のスタッフとのコミュニケーションも取りやすいだろう"という、調達部の上司の配慮でした。
現場も選んでくれていたんですね。

この現場は、統括所長と他現場との兼務の副所長、担当所長と僕の同期、このような布陣でした。

この同期ですが、ここまであまりというか、ほとんど接点無く、ちゃんとした会話もこの現場に来て初めてするような感じでした。

僕の役割はというと、主に解体工事の計画・段取り・実施・管理でした。
まあ、解体工事の全般ということですね。

他の人達は、新築工事のための準備や計画に取り掛かっていました。

もちろん、担当所長も同期の彼も積極的に関わってくれましたが、実質現場の事は僕に任されたといった感じでした。

何しろ、新築工事の計画には、僕は役に立ちそうになかったので、目の前の工事を見るしか無い感じでした。

しかし、すぐにわかりましたが、やはり僕は"知らないことが多く、指示を受けないと仕事が出来ない"ということが多かったです。

まあ、とにかく、出来る出来ないでは無く、"知らない"んですね。

特に"解体工事"なんてやったことが無いので、ポイントがよくわからない。
わからないので担当所長などに聞くと「え?知らないの?経験無いんだ?」という感じで、迷惑をかけながら教えてもらい、それで対応するといった感じでした。

ちなみに、この現場にいた同期ですが、これが"出来る奴"だったんですよね。
とにかく優秀で、自身たっぷりで、僕とは段違いでした。
『こういう人が現場を背負っていくんだろうな』と思いましたね。

ただ、そんな彼と同期だったので、当然ですが否応無く比較される訳です。
いや、周りもわかっていたので、あからさまに表面には出さないですが、その空気感はわかりました。
もしかしたら、僕の卑屈な僻みだったかも知れませんが。

そんなこともありましたが、僕にとって、決定的に大きなプレッシャーだったのは、"統括所長"です。

先に言っておきますが、悪い人では全然ありません。

逆に、仕事人として"すごい人"でした。
社内での評価も高く、出来る人でもありましたが、体力的にもすごい人でした。
夜は遅くまで仕事をして、現場に泊まり込むのも珍しくありませんでした。

そして、"部下も自分と同じように(長時間労働が)出来る。やるべき。"と思っているところがあった気がします。
少なくとも、当時の僕にはそう感じました。

ただ、今となっては、ちょっと印象が変わっています。
リーダーとしては、現場がきちんと進むように、部下を管理・監督しなければなりません。
まして、「こいつ、大丈夫か?」と心配になるような部下なら尚更で、夜遅くなろうが成果・結果は出してもらいたくなりますよね。

まあ、そこに対するマネジメントも、今のリーダーは求められてしまうかと思いますが、そこは"時代"もあったと思います。

その当時は「出来るまで、やれ!」の空気感がありましたよね。

この言葉を直接的に言われたことは無いですが、遠回しのプレッシャーは感じました。

でも、"どういう感情が自分にあるにせよ、仕事をきっちりやる"。
これは、基本的な話してだと思うので、ここに関して、正直『僕は甘かったのでは?』と反省するところはあります。

何故なら、決してもう、若年社員ではなかったので。

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