私の半生
4歳で両親が離婚し、母子家庭の生活保護世帯で育ちました。母に脅され、小1の3学期から小6の終わりまで学校に通わせてもらえず、家に閉じ込められていました。近所の人と口を聞くことを禁止され、外出もほとんど禁止されていました。
ネグレクトも酷く、母は朝から夕方まで布団で寝ており、朝食と昼食は抜きでした。お腹が減って母を起こそうとすると、甲高い声で怒鳴られました。母はほとんど家事をせず、洗濯をしていないので、何日も同じ服を着せられました。夕飯は出来合いの食べ物を、私が買い出しに行かされました。
中学から学校に通えるようになったのですが、せっかく入った野球部への参加を母に禁止され、ユニフォームをカビまみれにする嫌がらせをされました。
また、楽しみにしていたキャンプ合宿も、当日になって母に脅しをかけられ、休まされました。
高校に入るとさらに母の生活態度は荒れ、「大阪ガスが不正請求をしている」という主張をしてガス代の支払いを拒否し、ガスを止められました。
私や弟は風呂に入れなくなり、週2回放課後にスーパー銭湯に通わされました。
母はそこから一年半、全く風呂に入らない生活を始めました。
大学受験では、母は私に関関同立に入ることを望んでいたのですが、全て落ち、龍谷大学だけ合格しました。しかし母は全く喜ばず、「関関同立にもよう入らんのカアアー!」と怒鳴られました。またその腹いせに、龍谷大学付近での下宿探しを拒否されたため、私は大学に通えなくなりました。(実家と大学は約100キロ離れており、物理的に通学は不可能でした)
半年して、私が根負けし、大学を中退しました。
それから短時間のアルバイトを始めたのですが、母はだんだん私が疎ましくなっていったようで、とにかく早く家から出て行けと言うようになりました。
また、弟の精神状態もおかしくなり、「兄貴が高校と親戚と役所と結託して、俺を陥れようとしている」と主張して家で暴れるようになりました。私は弟にボールペンで頭部を刺され、救急車で運ばれました。しかし母は弟の肩を持ち、「お前が悪いから刺されたんや。警察沙汰にしたくないから転んだと言え」と命じられました。
アルバイトを始めてから3年目、私は強制的にも実家から追い出され、路上生活に追い込まれました。親戚の家を転々としては追い出され、三週間ほど飲まず食わずで実家近くの公園などで寝泊まりした後、都市部の福祉法人を頼って施設に入りました。
施設には一年滞在し、就職してお金をため、やっと自分でアパートを借りることが出来ました。母には何度か手紙を書いたり、電話をかけたりしましたが、全て無視されました。
以降10年ほど音信不通だったのですが、一昨年、私は母に過去の虐待行為を謝罪してほしいと思い、手紙を送りました。すると母と弟は私の追及から逃れるため、住んでいたアパートの備品をボコボコに壊して夜逃げし、路上生活を始めたと、管轄の役所から連絡がありました。
連絡によると、母と弟は未だに生活保護を受けており、担当のケースワーカーに言いがかりをつけて対話を拒否しているとのことでした。
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