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視聴記録『麒麟がくる』第12回「十兵衛の嫁」2020.4.5放送

織田と今川は和議を結ぶが、三河の拠点を制圧され、もはや今川の勢力は尾張の目前まで迫っていた。自分の命がもう短いことを悟った信秀(高橋克典)は、信長(染谷将太)らを集めて織田家のこれからを話し合う会議を開く。そこで待っていたのは、重要拠点の末盛城を、有力家臣と共に信長の弟・信勝(木村 了)に委ねるという言葉だった。失望で怒り狂う信長。その姿を見て、帰蝶(川口春奈)は病床の信秀を訪ね、今回の判断の真意を聞き出そうとする。
一方、美濃では、光秀(長谷川博己)が熙子(木村文乃)を妻に迎え、祝福ムードに包まれていた。

<トリセツ>

東庵が抱えていた借金はいくら?
東庵が抱えていた借金40貫は、現代の価値で換算すると、1貫=約15万円、40貫だと約600万円になります。
ちなみに、伊呂波太夫が東庵に依頼した駿河国へ立ち寄る案件の報酬は、100貫=約1500万円になります。

女性の立て膝は、当たり前?
劇中で女性たちが立て膝をついたりあぐらをかいて座っている姿に違和感を覚えている方もいらっしゃると思いますが、『麒麟がくる』がめざす当時のリアリティーのある表現の一つとして、今回は女性の立て膝やあぐらを取り入れています。
畳はとても高価だったので、当時の家の床はたとえ武士の家でも“板の間”でした。戦国時代に描かれた女性の絵を見ても、立て膝をついている絵が残っていますし、畳文化が普及する前は、女性でも立て膝やあぐらが普通だったと考えられます。また、いつ敵が襲ってくるかわからない戦国の世では、すぐに立ち上がれる姿勢でいることは男女ともに当然のことだったかもしれません。
しかし、リアリティーにこだわったとしても、それが絵的に美しくなくては意味がありません。立てる膝の角度を含め、立て膝がいいのか、それとも正座がいいのか。身分やシーンによって、衣装スタッフは着付け方も工夫しながら、スタッフみんなで模索しながら撮影しています。とはいえ、女優さんたちが立て膝やあぐらからきれいに立ったり座ったりするのは、いつもと違った筋肉を使うので大変だと思います。

織田信秀や東庵が愛した「双六(すごろく)」
信秀や東庵が愛した双六は、現代でも楽しまれている世界最古のボードゲーム「バックギャモン」を起源とし、日本でもほぼ同様のルールで「盤双六(ばんすごろく)」と呼ばれ楽しまれていました。
国内で最初に双六の文字が確認できるのは歴史書『日本書紀』で、「689年に双六の禁止令が出た」というもの。ゲームの勝敗がサイコロの偶然によることから賭博として流行し、時代を超えてたびたび禁止令が出されていることからも、東庵のようにやめられない人がいつの時代にもたくさんいることがわかります。
現代でなじみのある「すごろく」は、「盤双六」の影響を受け「絵双六(えすごろく)」という別の遊びとして発展し、今につながっています。


1.有名なエピソード

戦国マニアたちは、「有名なエピソードが『麒麟がくる』でどう描かれるか」と期待していましたが、どれも描かれず、がっかりしたようです。

(1)帰蝶の結婚
帰蝶が織田信長に嫁ぐ時、斎藤利政は、「関の孫六」の短刀を渡してこう言った。
「織田信長がうつけであったら、これで刺せ」
帰蝶は言い返した。
「この短刀で父上様を刺すことになるかもしれません」
さすがマムシの娘である。

(2)煕子の結婚
明智光秀は妻木煕子と婚約した。しかし、煕子は天然痘(疱瘡)にかかり、左頬に痘痕が残って醜い顔になった。どうしても明智家と繋がりたい妻木家は、煕子にそっくりな妹・芳子を差し出した。ほくろの有無で芳子と見破った明智光秀は、「煕子殿と結婚したいのは、顔が美しいからではなく、心が美しいからだ」という手紙を芳子に持たせて妻木家へ送り返し、煕子と結婚した。

(3)織田信秀の葬式
織田信秀の葬式の時、喪主・織田信長は遅れてやってきて、父の位牌に抹香を投げつけると去っていったという。

2.織田信秀は帰蝶になんと言ったか?


死期の迫った織田信秀は、織田信長、織田信勝、重臣(平手、佐久間)を呼んで、「遺言と思え」と前置きして、「織田信長に那古野城、織田信勝に末盛城を与える」と言った。織田信長は、「なぜ自分に末盛城が与えられないのだ? 理解できない」と言って部屋を出た。織田信長には、明智光秀のように理論的に説明すれば納得してもらえるが、感情的に言っても理解してもらえない。
帰蝶が織田信長に声をかけると、「父の隣に母がいた。父は何でも母の言う通りに動く。今回も母が愛している信勝に末盛城が与えられた」と子供のように泣きじゃくった。

ここで普通の妻なら、織田信長を慰めるのであるが、帰蝶は「それは奇妙だ」と言って、織田信秀の元へ理由を確かめに行った。

(帰蝶、織田信秀の足元に座り、)
「父上様の胸の内をお聞かせ願いたいのです。この織田家を継ぐのは、信長様と信勝様のどちらでございますか?」
(織田信秀、「そなたには教えない」と首を振る。)
「お教え下さい。お教えけ出されば、東庵先生を京から呼んで差し上げます。誰よりも早くお呼び致します」
(織田信秀が無視すると、帰蝶、織田信秀の耳元へ移り、)
「私は、尾張に命を預けに参った女子でございます。父上様にとって信長様がどれ程のお方かお教え願いとうございます」
(織田信秀、帰蝶の情熱に敗けて答える。)
「信長は・・・・。帰蝶、信長をよろしゅう頼むぞ」
(泣き崩れる帰蝶。織田信秀、「下がれ」と手を振る。)

帰蝶の質問は2つ。
①織田家を継がせるのは、信長と信勝のどちらか?
②織田信秀にとって、信長は、どれ程の人物か?

織田信秀が帰蝶に何と言ったか、織田信秀と帰蝶しか分からない。
考えられるのは、
①信長はうつけじゃ(家を継がせられない)信長をよろしく。→悲し泣き
①信長は麒麟児じゃ(家を継がせる)信長をよろしく。→嬉し泣き
の2つ。正解はどちらか? 帰蝶が織田信長に言うには、

「父上様はこう申されました。『信長は、儂の若い頃に瓜二つじゃ。まるで己を見ているようじゃ』と。『良い所も、悪い所も。それ故、可愛い』と。『そう伝えよ』と。・・・最後にこう仰せられました。『尾張を任せる。強くなれ』と」

ということだが、「信長は、儂の若い頃に瓜二つじゃ。まるで己を見ているようじゃ。良い所も、悪い所も。それ故、可愛い。そう伝えよ。尾張を任せる。強くなれ」なんて長い言葉じゃないぞ。帰蝶は話を盛っているのか、嘘をついているか。

視聴者は、最後に付け足した言葉が「尾張を任せる。強くなれ」ではなく、「帰蝶、信長をよろしゅう頼むぞ」だったことを知っているので、嘘だと分かる。短時間でよく考えられたと思う。そもそも織田信秀は茶の湯や連歌で有名な文化人であり、織田信長とは似ていない。織田信長にそっくりなのは、斎藤道三である。「父・斎藤道三の若い頃に瓜二つじゃ。まるで父・斎藤道三を見ているようじゃ。良い所も、悪い所も。それ故、可愛い」は、帰蝶の織田信長についての思いであろう。思い出したかのように付け加えた「尾張を任せる。強くなれ」は、帰蝶の機転で付け加えた言葉である。「いつまでも泣いているな」という良妻賢妻である帰蝶の言葉である。「帰蝶、信長をよろしゅう頼むぞ」と言われ、「どう信長を支えようか? とりあえず、今、どんな言葉をかけようか」と自分なりに考えてひねり出した言葉である。

繰り返すが、帰蝶の質問は2つ。
①織田家を継ぐのは、信長様と信勝様のどちらか?
②織田信秀にとって、織田信長は、どれ程の人物か?

であり、「儂の若い頃に瓜二つじゃ。まるで己を見ているようじゃ。良い所も、悪い所も。それ故、可愛い」は②の答えであり、①の答えを言い忘れていたことに気づいて咄嗟に話したのであるが、帰蝶はミスをした。織田信秀であれば、「尾張を任せる。強くなれ」とは言わない。「織田弾正忠家を任せる。強くなれ」である。織田信秀が尾張国を統一して支配者となっていたのであれば「尾張を任せる」でもいいと思うが、尾張国を織田弾正忠信秀の後継者・織田弾正忠信長が統一するのはこの8年後である。(織田弾正忠信秀が亡くなって、織田信長は、織田上野介信長と名乗った。弾正忠を名乗らなかったのは、織田武蔵守信勝に名乗らせるためとも言われる。また、那古野城主・信長が領地の西半分を、末盛城主・信勝が領地の東半分を分割統治したとする説もある。)
最後の一言を聞いて「これは嘘だ」と見破った織田信長は、「良い妻じゃ。帰蝶ためにも泣いてなぞいられない」と、振り返って笑った。

さて、明智光秀の妻・煕子は、癒やし系メンヘラーで、

 ──本当に澄んでいて、静かな音がします。(by 妻木煕子)

「空が泣いている」(「雨が降っている」という意味)や、「空気の匂い」「風の匂い」は聞いたことがあるけれど、
「耳を傾けると空の静かな音がする」
というのは初めて聞いた。耳鳴りの音ではないよね?
綿矢りささんの芥川賞最年少受賞作『蹴りたい背中』 の冒頭「さびしさは鳴る。」以来の衝撃です。

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