見出し画像

「応援」したい、「推したい」人がいるから。 #寄付月間

社会人1年目の頃から、いくつかのNPOに寄付をしています。
少額ではありますが、毎月クレカから自動で引き落とされるようになっているので、習慣というか、もはや特に意識することもないくらいです。

今寄付しているNPOは、
学生時代に活動に関わらせていただいたり、
仕事で関わる機会があったりする中で、
この輪がもっと広がってほしい、より活動の幅を広げてほしい、と強く感じた団体に、僅かばかりですが、お金を託させていただいています。


個人的には、「寄付する」という行為は、
応援しているサッカーチームの後援会や、アーティストのファンクラブに入っているのと、感覚としては割と似ているような気がしていて。

この人たちが活躍している未来を一緒に見たいから、
そのために自分が(無理なく)できることって何だろう、と考えると、
サッカーチームやアーティストであれば「試合やライブに行く」とか「グッズを買う」とか、様々な選択肢がありますが、
そういったものがないジャンル、それこそNPOなどとなると、
寄付という形で「お金を託す」ということは、自分の中では割と自然な選択でした。

そこには、何か目に見える対価を求めて、という感覚はなくて、
まさに「この人たちの追う夢、つくる未来を、少し近くで見ていたい」という表現がピッタリなんですよね。

エンターテイナーとして楽しみを届けてくれる人なのか、
社会課題を解決してよりよい社会を届けてくれる人なのか、
その違いはあっても、根本にあるのはどちらも「応援している」という感覚だし、
寄付先のNPOがメディアに出ていたり、何か表彰されていたりするのを見ると嬉しくなるのは、
応援しているチームが試合で勝ったり、
推しのアイドルがテレビで活躍しているのを見ると嬉しくなるのと似ているなあと思います。


誰かを「推し」にするのって、いろいろな理由があるし、
なんなら明確な理由もなく、言語化できないけどなんか惹かれた、みたいなこともあるじゃないですか。
寄付だって、そのくらいの感覚でも全然いいと思っていて、
テレビで見て気になったから、なんとなくいいな、と思ったから、
そんな理由から始まる寄付もあっていいと思うし、
推しへの愛が徐々に深まっていくように、寄付とか社会課題との距離感も、そうやって徐々に近づいていく、そんな形もアリなように感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?