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『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」』について(2)

アントワーヌ・コンパニョン著『寝る前5分のパスカル「パンセ入門」を通読して、特に私の印象に残った回について振り返りましょう。

今回はその2回目です。


18「そのものは天使でも、獣でもなく、人間である」

以下「 」内は著者による『パンセ』からの引用です。

「人間は、自分が獣に等しいとも天使に等しいとも考えてはならない。しかし、その両方に無知であってはならず、その双方を知らねばならぬ。」
「人間の偉大さは、惨めであると自覚していることにおいて偉大なのだ。/樹木は自分が惨めであるとは思っていない。/したがって、惨めな自分を知るのは惨めであるが、自分が惨めであると知ることは偉大なのだ。」

人間としての矜持を保ち、自分と世界をよく観察して、思いあがりや卑下を排して生きるということでしょうか。

「人間は天使でもなく獣でもない。そして不幸にも、天使のふるまいをしようとすれば獣のふるまいをすることになるのだ。」

また、ちょっと知識や地位があるからといって、自分が他の人々より優れていると思う。高慢で謙虚さに欠けるという自覚もない。

なりがちなことです。皮肉なことに天使に近づけるどころか反対の獣に成り下がる。と読み取ればとしっくりとします。が、

しかし、この命題は『パンセ』においては、とりわけ神学的な意味を持っている。天使にならんとするとはつまり、諸存在のヒエラルキーのなかでより上位の性質を得たがるということだ。現在を気にかけない人間は、そのうぬぼれによってさらに神から離れ、それによっていっそう格下げされ、獣に近づく。

と著者はいいます。しかし、わたしたち日本人はキリスト神学や一神教の神様にはほぼなじみがありません。

パスカルには悪いけれど、ここは先ほどの普遍的な解釈で許していただきたいと思います。当たらずといえども遠からず。


――(3)へ続く――




※きよひこ さんの画像をお借りしました。

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