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ツイートがよくバズるけど、ツイートはバズっても何にもならない

理由は分からないのだけど、僕のツイートは頻繁にバズる。月に1回、多いと数回、コンスタントに一万いいねを越える。同じくらいの芸歴・露出度・知名度の芸人の中だと、なんでもないツイートでバズる力だけならば完全にダントツ一位だと思う。

別にツイートの内容は強くも珍しくも有難くもない。何かを成し遂げて祝福されているでもない。物凄く辛い目に遭い切々と訴えているでもない。署名を呼びかけているだとか、政治思想や立場を押し出したツイートをしているだとかでもない。役に立つ豆知識だとか、猫の画像だとか、恋する名言だとか、そういうのでもない。ネタツイというほどでもない。ごく普通の、友達にするような世間話が唐突に、何の前触れもなくバズる。その状態が数年続いている。

バズを狙っているわけではない。僕から見たら横並びの世間話のうち、何かが急にバズるのだ。正直バズっているものとバズっていないものの違いは全くわからない。面白いと思うものはあんまり伸びて居なかったりさえする。だから僕はバズらせるためのコツとか技とかも知らない。ただただなんか急にツイートがバズるだけだ。

そして悲しいかな、この記事は「バズったところでマジで何にもならないからTwitterなんかに夢を見るな」という内容である。少し前置きが長くなってしまうのだけど、まずは最近の拙「なぜかバズった世間話ツイート」をいくつか紹介しておきたい。


12.12。この記事を書いている時点では最新のバズってしまったツイート。ごく普通の世間話。有名人の名前が出てくることで下駄を履いている形なのだろうが、話題として旬じゃない。なんでこれが今バズるんだ。マジで驚いた。もういいだろ。何周目だよと自分のツイートながら思う。誰かを見るときはその人自身を誠実に見てあげようね、みたいな優しい文脈がよかったのだろうか。誰かをいたずらに不快にしうるツイートではないし、バズって嫌だとは思わないけれど、釈然とはしない。

12.7。先週。これはちょっとエピソードトークっぽい。面白かった系の反応が多くて何より。でも、ライブで話したい系統の話ではない。芸人がするエピソードトークにしてはちょっとユル過ぎる。間抜けで程が良いけれど、マジでお茶を飲みながら友達にするような話である。

11.20。先月。これも大したツイートではない。深夜にぼんやり呟いたことに過ぎない。強いて言えば考察系サイトとかの文脈なのだろうけど、内容的には割とありふれているし、根本的にそこまでエッジも効いていない。

10.28。先々月。これもエピソード系だけど、そんなに強い内容ではない。ラジオやトークライブで喋ったとしても盛り上がりには欠けそうである。色々な人が参加しやすい話題だった可能性はある。色々な人が参加しやすいというのは、それだけ関係のない文脈に引き摺り回され揉みくちゃになりやすいと言うことでもある。リプ欄や引用欄で様々な人の自論と経験談が満員電車のごとくごった返している。

10.21。種類としてはネタツイに近いのかもしれない。時事ネタでもある。しかしそこまで大した内容ではない。僕以外の誰かも全然どこかで言ってそうである。それくらいのハードルの低さがよかったのか。

同じく10.21。これは流行りものに乗っかっているところがあるし、話題としても言及しやすいものなので、ちょっと伸びるのもわかる。漫画やアニメにおける性的描写に関する議論云々はTwitterではかなり盛んだし、書き方的に立場を問わず参入できる書き方なのが原因なのかしら。ということはリプ欄や引用欄は満員電車である。

10.6。大学生の頃に学んだことの焼き直し。個人的なメモを越えるものではない。こういう「何かを説明できる概念」系は確かに知っていると嬉しいので、「個人のメモ」が「みんなのメモ」に化けたのか。当然ながらリプ欄や引用欄は満員電車である。

10.5。流行りものの話題と友達の話をくっつけただけのもの。特に工夫もない。みんなのノスタルジーを刺激したのだろうか。

ここまでご覧頂いた通り、僕はかなり何でもないツイートで、結構よくバズる。ただツイートがこれだけ頻繁にバズってもなお、僕の生活にはいいことがほとんど起こらない。言い切ってしまうと、ツイートじゃ人生は変わらない。

この記事ではこのことを切々と訴えてみようと思う。


ツイートがバズっても

①僕個人に興味は持たれない

まず、ツイートがバズっても僕個人、特に芸人としての僕個人にスポットライトが当たることはまずない。褒められもしないし、貶されもしない。誹謗中傷とさえ無縁だ。きっと無益無害な世間話ツイートが多いため、簡単に流せてしまうためだろう。僕のツイートには、人の指を少し止めるくらいの力はあるけれど、その指はすぐ動き出してしまう。心までは引き寄せられない種類のものなのだ。

数字を出せば分かりやすいだろうか。世間話ツイートのバズなんて、僕個人の他コンテンツにはマジでそこまで波及効果がない。1バズツイートにつき、YouTubeのチャンネル登録者の増加は10-30名程度、ライブに新しく来てくれる人は1人いればいい方、という感覚である。

自分で言うのもなんだけど、僕個人の活動にはそれなりに特色がある。好んでもらえるかはさておき、多少気になったっていいはずのことはしている。九月。青森県出身・京大卒のピン芸人。根性と体力勝負の活動スタイルであり、年間1000本ペースでコントを作り、定期的に48-72時間軟禁されてコントをやり続けるライブをやっている。やや文系チックな芸風だが、特別に難解なわけでもない。きっと中学生以上なら面白さを見つけうる。好き嫌いはあるだろうが、何をどう考えても、僕のツイートよりはずっと面白いし、凝ったこともやっている。そもそもの労力が違うのでそりゃそうなのだ。

いや、仮にコントが好みじゃなかったとしても、僕は文章だってそれなりに書けるし、普通に喋れるし、年齢もジャスト30歳でド旬真っ盛り、いやいや、もっと注目されていい。ファンめっちゃ増えていい。少なくとも今よりはいていい。めっちゃ応援されたい。

しかしこれだけツイートがバズってなお、YouTubeのチャンネル登録者数は2800人程度(1万人はいてもいいのではないか)だし、700本あるコントの再生回数はどれも200回程度(1000回は見られてよいのではないか)だし、最近のライブ動員に至っては各回5人がザラである。(これは秋口に受けた最悪ストーカー被害の影響が往々にしてあり、以前は20‐30人ぐらいはコンスタントに動員していたので寂しくもある。大丈夫になったからおいでね)。とにかく、ツイートのバズは僕個人の諸々の動員に全く降りて来ない。

②仕事には繋がらない

いやいや、お客さんがすぐ増える必要はない、業界の人に発見されて仕事が増えればいいじゃないか、とも思う。ファンなんて仕事が増えるものだろうと。そりゃそうだ、ツイートのバズをきっかけに見つかって、ネタパレにだって有ジェネにだって呼ばれていい。NHK高校講座でアシスタントをするとかも全然あっていい。我ながら器用にできそうだ。深夜ラジオに呼ばれてもいい。でもそんな未来は来ない。ツイートがバズろうがなんら仕事にはならないのだ。

まずツイートがバズると、各種メディアから単発の「記事にしたいです」という依頼が来る。これは非常にありがたい。ものによっては僕への軽いインタビューが行われることもある。メディアの方との繋がりというのは、フリーで活動している僕にとって「見つけてもらうこと」でしか作れない。そういう機会があるのは非常によいことだ。運が良ければYahoo!ニュースにまでなる。でも、それで終わる。そこから他の話には進まない。

いつまで待っても、「うちで連載を持ってみませんか?」とかにならない。なってよさそうだろ。そろそろいいだろ。軽い世間話を500文字‐1500文字くらいでコンスタントに書く仕事、恐らく絶対にできるぞ。雑誌やウェブサイトの片隅で「読まなくてもいいし読めばちょっといい」くらいの役割は確実に担える。でも世間話をしているだけなのでそんなことにはならない。

あるいは「その話をテレビで話してみませんか?」「ラジオで話してみませんか?」「ライブで話してみませんか?」というのも来ない。マジで来ない。さすがにテレビはハードルが高いとして、ラジオはあっていいだろう。いやいやラジオもハードルが高いとしてだ、ライブぐらい誰か呼んでくれたっていい。でもそういうことは起こらない。世間話でバズったところで、世間話でバズっただけだからだ。

③Twitterの人にしかならない

しかしなんやかんや、世間話だろうがバズるとフォロワー数は増える。いわゆる「万バズ」ごとに100-300人ほど増える感覚だ。これは結構大きい。僕みたいな仕事、リーチできる人がいるというのは物凄く大事だ。でも、それをその数字の分だけ喜べるかというと微妙なところだ。要はみんながTwitterをどういう風に用いているかという話なのだけど、どうやらあるアカウントをフォローする際、「Twitterの人をフォローした」と認識する人が多いようなのだ。

Twitterの人。Twitterでツイートを見るための人。近況はうっすら追っているし、何を考えているどんな人なのかもなんとなく分かるのだけど、それ以上でも以下でもない人。Twitterで関わるための人。僕はツイートする割に人のツイートを読むことがないから、その感覚がわからなかった。バズり慣れていなかった頃なんかは、フォロワーが増えると「ファンが増えるかも!」と思った。でも今はもう万バズ程度で浮足立つことはない。世間話なんかでバズっても人生は変わらない。

「フォローする」と「ファンになる」は全然違う。考えてみれば、僕は好きな野球選手をTwitterでフォローしていない。グッズも持っていたし、あんなにバッティングフォームを真似した小笠原道大が、Twitterをやっているかさえ知らない。世代がバレるな。今調べたらやってなさそうだった。コーチだもんな。忙しいわな。小笠原だけじゃない。全曲歌えるくらい好きなバンドの公式アカウントも、大好きなギタリストも、新刊が出るたびチェックする小説家も、まったくフォローしていない。そしてかなり重要なことに、僕は彼らがする世間話には興味がない。Twitterをフォローするかどうかと、その対象を応援するかどうかは意外と関係ないのだ。「その人のツイートが好きだからフォローする」という人がほとんどなのだ。

結果、僕は多くのフォロワーにとって「たまにちょうどいい世間話を呟いてくれる画面の向こうのアカウント」にしかならない。僕の経歴だとか、職業だとか、生活だとか、そういうものは一枚膜を隔てた後景に追いやられ、「そういう人なのは知っているけど深入りはしない、世間話を読む上での前提リスト」くらいに見なされてしまう。だからフォロワーが増えたからといって、ファンが増えるわけでもないし、仕事が増えるわけでもないし、友達が増えるわけでもないし、モテるわけでも飯をおごられるわけでもない。当たり前のことなのだけど、「Twitterを見ている人が増える」というだけなのだ。

④Twitterでの金さえ動かない

いやいや待てと。今やTwitterは大ステマ時代を終え、あっけらかんと多くの有名アカウントが堂々と商品を紹介する大広告時代である。僕にだって企業案件が来てもいい。フォロワー数的には、企業案件っぽいツイートをしているアカウントたちとそう変わらない。しかし企業案件が僕に来ることはない。世間話を呟いてたまにバズるだけで、話題にもフォロワー層にもこれといった傾向がないからだ。

僕のツイートには傾向がない。とにかくない。いやそりゃ「少しひねくれた好奇心旺盛な奴が呟いている」くらいの基本トーンはあるだろう。でもそれしかない。内容や態度や文体に一貫性がないから、どの企業の宣伝にも貢献しづらいのだ。例えばこれが「読み手の大半がギャルで、ギャルコンテンツの流行発信地の一つと見なせるような人」だった場合はめちゃくちゃに強い。企業案件入れ食い状態になること間違いなしである。あるいは「フォロワーにバイク乗りが多い」とか「フォロワーに札幌在住の人が多い」とかでもそうだろう。

しかしそれらは、無軌道な世間話ベースの僕のTwitter運用においては無縁なものである。世間話は傾向がないから世間話である。かくして、僕にこれまでやってきた企業案件は怪しい日本語で書かれた詐欺丸出しの健康サプリメントのみだった。マジでどうにもならない。

かくして、世間話で何回バズろうがそれでは人生が変わらないという絶対的な真実だけが残る。僕自身の人生がそれを立証する。今後僕の人生が変わるとして、世間話がバズったタイミングではないだろう。何かしらもう少し僕個人に近いものがバズらないことには、僕が放ったコンテンツであることの意味がない。裏を返せば、世間話ツイートはなかなかコンテンツにはなってくれないのだ。

⑤それなのに「見つかってる感」だけ出てしまう

そして物凄く重要なこと、多分これが最も大きな問題なのだけど、別にツイートがバズったところで何にもならないのに、「既に誰かに見つかっている感」だけが物凄く強く出てしまうのである。

僕のアカウントの場合、フォロワー数は2万人以上いる。この時点で「この人、きっと誰かに見つかっているんだな」「自分が応援しなくてもいいかもしれないな」「自分が見つけたわけじゃないな」「自分が引き上げなくてもよさそう」などと思われてしまう。なんだろう、全然売れているわけじゃないのに、「もう売れてる感」が出てしまうのだ。

これはめちゃくちゃにしんどいことである。ファンが応援しようというモチベーションを持つ際、「自分が見つけた感」とか「育てていく感」ってめっちゃ重要だと思う。でもなんだろう、フォロワーが変にいるせいで、もう育っている感じが出てしまうのだ。たまにバズってるじゃん、と。いやいやいやいや、マジで仕事にも金にもならない世間話のバズなんて、本当は何にもならないのに、である。

あるいは業界の人にしたってそうだ。なんだろう、「自分がこいつに仕事を振らなくても、誰かはこいつに仕事を振りそう感」というか。なんだろう、「こいつを自分が見つけた!」と思ってもらいにくい。本当は僕一人では全然仕事が入ってこないし、もっともっともっと活動を広げていかなければいけないところ、なんだろう、単なるフォロワー数だけで「もう広がっている感じ」「もう大丈夫そうな感じ」が出てしまうのだ。

この、フォロワー数だけで「見つかってる感が出てしまう」っていうのはマジで大問題だと思う。全然見つかっておらず、マジで今から応援して頂いても古参も古参で、僕はまったく大丈夫ではないのに、なんかフォロワー数だけで「大丈夫そうな感じ」になってしまうのだ。この点については、マジでどう工夫して対応していけばいいのかが全くわからないポイントである。

おわりに

ここまで述べてきた通り、ツイートがバズっても大していいことはない。もっとツイートのバズが自分のコンテンツやら人格やらに降りてくるように設計できていない僕側のミスもあるのかもしれない。でもそれにしても降りてこない。とにかく、Twitterなんてこんなもんだ、と言いたい。とにかくバズってもいいことなんかほとんどない。

でもいいことが全くないとは言わない。ツイートのバズがあったからライブ会場に足を運んでくれるようになった方はたくさんいるし、ツイートのバズがあったからお喋りできた人もたくさんいる。1回のバズごとに何百万というインプレッションが発生することを思うと、バズツイートをきっかけに誰かと出会えたり、言葉を交わせたりする確率は物凄く小さいのだけど、だからこそ、その何百万分の1と巡り合えたときには本当に嬉しい。僕のライブ会場にはそういう人が集まっているであろうことを思うと、バズツイから厳選されに厳選された何百万分の1の人たちが一堂に会して、同じコントを見て笑うことの確率を想像せざるを得ない。それは凄く尊いことなんじゃないかと思う。画面の向こうで生きている僕に興味を持ってくれてありがとう、僕をTwitterの人に留めないでくれてありがとう、という気持ちになる。

まあ実際、「Twitterの人」としてのフォロワーが増えることにしたって、もちろん悪いことではない。僕は不定期で「DM全返信タイム」を設けて、Twitterのフォロワーから送られるDMに返信し続ける。だいたい1時間もすれば100人くらいからDMが送られてくるため、その1時間はDMのみをすることになる。大変は大変なのだが、世間話で人にリーチする能力だけはカンストしている僕にとって、それは意味のある時間だ。みんなDMで世間話をしてくれる。結果、そこには少しだけ人間的な時間が生まれる。相手から見て僕は「Twitterの人」かもしれないしが、僕から見ても相手は「Twitterの人」でしかない。それを少しでも現実的な奥行きのある、立体的な人間として認識できるのだ。やり取りは強い。その時間によって仲良くなれた人だっているし、その時間によって作れたコントだってある。

結局、Twitterなんてどこまでいっても入口でしかない、ということなのだろう。人間と人間、人間とコンテンツが遭遇するほんの入口。Twitterをきっかけに何かが始まるとして、Twitterは次の二手目をやってくれない。結局、どこかからは人力の努力である必要があるのだ。だから僕はバズるたび、このツイートを見てくれたうちの誰かには見つけられたいな、そのとき僕も誰かを見つけたいな、ああそうか、結局のところ僕は人と関わりたいんだな、というような気持ちになる。

どうか皆さんが僕のことを応援してくれたいいなと一抹の希望を抱きながら、記事の終わりにする。この記事さえも世間話ツイートのごとく刹那的にあなたの手元を流れて行ってしまったらどうしよう、とも思うけれど、noteは比較的人をキャッチできる媒体なんだよな。ここには140字以上あるから大丈夫。そういうわけでこの記事はあなたへの招待状であり、誰かしらへの仕事依頼でもあり、世間話でしかバズれない僕の苦肉の二手目でもある。気が向いたらTwitterの奥にいる生身の人間として関わろう。マジで応援してほしい。僕は今めっちゃ大変である。


YouTubeのコントもご覧ください。

同内容を話したトーク動画。


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