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冬のまつりは花火が似合う4


オーナーと夫は、久しぶりに会えた嬉しさとライブの高揚感にアルコールが加わり、興奮気味に音楽公論を交わし始めた。

私は隙を見て彼に話しかける。
「どうして私だと分かったの?」

「上京して初めて仕事関係以外の人と話したから。
それに…」

「それに?」

「とても綺麗だったんです、あの日。
だから覚えてた。」黒い瞳で真っ直ぐに見つめてくる。


彼がイルミネーションの話をしているのは分かった。まだ若くて言葉のチョイスが上手くないのだ。
それでも、私はまるで自分を綺麗だと言われたような錯覚に落ちていた。

動揺して揺れる感情を悟られまいと冷静を装う。

まだ上京して二週間で右も左も分からない事。ピアノの弾き語りをしながら音楽の勉強をしている事。この店のピアノを練習がてら借りながら時々ライブをしている事…少しずつ話していくうちに素朴で純粋な人だとわかる。アーティストの卵として一歩踏み出したばかりのみなぎるエネルギーが溢れていた。

「旦那さんですか?結婚してたんだね」

私の左手薬指の指輪と夫をじっと見つめる。

「ええ。夫は大学の時の同級生なの。オーナーも共通の友人だから。今日はたまたま誘われて。あなたがいるとは思わなかった。驚いちゃって…」

「ふーん…」
少しつまらそうな顔をする。小さな子どもみたいに、面白くない事は面白くないと感情を露わにする。

可愛い…私は心の中で呟く。
なあに?私達は偶然会っただけだよ。
あなたは私の事を、私はあなたの事をよく知らない。

でも、そんな顔をするんだね。そんなふうに拗ねるんだ。私はもっと彼を困らせたくなる。イジワルをしたくなる。

ピアノの椅子に座っている彼の側に近づく。
夫は私に背中を向けておしゃべりに夢中だ。

片手に持ったジントニックを持つ手が少し震えた。
その白くて長い指を見つめて、そっと触れた。

「綺麗な指だね」

触れるか触れないか。時間にすれば1秒あるかないか。それなのに私には時が止まったかのように感じた。振り払うでもなく、焦るわけでもない。
ただ、私の触れた指をピクリと動かした。瞳は私を見つめている。少しだけ口角を上げて微笑む。

「ありがとう」短く答えると、椅子を立った。
「また聴きに来てください…待ってますね」

それだけ答えると歩き始める。
私は大きな背中を見つめた。

一度だけ振り向いて何か言いたそうに口を開く。

「また会いたい」
ゆっくりとサイレントで唇を動かして、彼はバーの奥に消えた。



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