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冬のまつりは花火が似合う9

 電車の中で頭をフル回転させる。
…どう答えたらいいのか…正解はなんだ??

分からないまま窓ガラスに映った自分を見つめ昨夜の事を思い出していた。

バーでのライブを終えるとオーナーが手招きをして俺を呼んだ。
目線の先にはあの人のご主人がいる。1人で飲みに来ていたらしい。

「ちょっと話せる?」
柔らかい口調、スマートなスーツ姿、身につけている時計や結婚指輪はどれも高価な物だと一目で分かる。知的で優しく、誰にも好かれるタイプの男だ。

「何か飲むかな?ビールでいい?」

「あ、いえ。酒飲めなくて…」

「そう、それは失礼」
そう言うと、レモンのペリエを注文してくれた。

俺のピアノをとても楽しみにしている事、どんな音楽人生を送ってきたのか知りたいと嬉しそうに話す。

俺は話に適当に答えながら、ご主人のその手を見つめた。
彼女をどんな風に愛するのか、その指でブラウスのボタンを外し、背中を撫でるシーンを想像する。
彼女を抱く事を世界で許されてるただ1人の男に嫉妬する。

「でね…聞いてる?」
「あ、はい。すみません。聞いてます」

ふふっと微笑み、俺をまっすぐ見た。
「うちの妻が…君をとても気に入ってるんだ」

体中の血管がザワザワと音を立てる。
落ちつけ、冷静に…何度も唱える。

「昨年、母親を亡くしてね。今も少し不安定な時がある。でも君のピアノに救われているようだよ…」

男はウォッカのショットグラスを一気に飲み干す。
「もしかしたら、君に我儘を言うかもしれない。君が困るような。でも聞いてやってくれないかな、僕からのお願いだ。彼女を助けてほしい」

「大切な人なんだ」

そう言うと黙り込んでしまった。
俺には難しい事は分からない。

ただ、一つ言える事はこの男は自分の妻をとても愛している。

そして妻の気持ちが揺れている事に気づいていた。

俺は「分かりました」とだけ答えて、ペリエの礼を言うとバーを後にした。

外にはチラチラと雪が降り、遠くから真冬の足音が聞こえてくるような
真底冷えた夜だった。

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