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プロレス 記事まとめ

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note公式のプロレスマガジンです。プロレスにまつわる素敵な投稿を紹介していきます。
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プロレスが“好き”だと言い続けたら仕事をするようになった話(前編)

こんにちは、フラッグで広報を担当している薄(うすき)です。 弊社はエンタメ分野におけるデジタルマーケティングに強みを持つ会社で、特にソーシャルメディアを軸としたプロモーションを得意としているのですが、一方で自社でIPコンテンツの企画開発や映画の買付・配給も手がけるエンタメ企業でもあります。 ゆえにエンタメ好きのスタッフが多く、映画、アニメ、漫画、アイドル、舞台、音楽、お笑いなど何かしらの“好き”があり、ファンだからこそわかる微妙な空気感や心理を理解したファン目線のプロモー

プロレスが“好き”だと言い続けたら仕事をするようになった話(後編)

こんにちは、フラッグで広報を担当している薄(うすき)です。 前編に引き続き、「プロレスが“好き”だと言い続けたら仕事をするようになった話」の後編をお送りいたします。 『有田と週刊プロレスと』が支持された理由とは?『有田と週刊プロレスと』配信開始当時のプロレス界の状況はというと、2000年代の格闘技ブームが落ち着き、2010年代以降からは新日本プロレスの棚橋弘至選手、中邑真輔選手(現WWE)、そしてオカダ・カズチカ選手らの活躍もありプロレス人気が再燃。世間でもプ女子(プロレ

【貴重】スターライト・キッドのスパーリング

かつてスターダムで活躍した「元祖グラドルレスラー」ゆずポンこと愛川ゆず季のYouTubeチャンネル。 今回愛川ゆず季が自身のYouTubeチャンネルでコラボした相手が… スターライト・キッド! 団体初の生え抜き覆面レスラーです。 ハイスピードな試合展開と高度なテクニックでファンを魅了します。 現在はヒールユニット・大江戸隊に所属しており、ますますその魅力を高めています。 スターダムの広報にも尽力しており、昨今のスターダム人気の裏にはスターライト・キッドの力が大きい

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#86 力道山

全国民の支持を受けて 今回は日本のプロレスにおける始祖ともいえる力道山選手のお話です。 1952年2月、アメリカに渡り、ホノルルで日系人レスラー沖識名さんの下で猛特訓を受けた力道山選手は、翌年帰国して日本プロレスを設立します。 シャープ兄弟を招聘し、1954年2月19日から全国を14連戦した初興行は、1953年にテレビ放送が始まったことに追い風を受け、全国民の支持を受けて大ブームとなりました。 出血が止まる体質 怪我をしてもすぐ出血が止まる体質だったようで、リキパレスで

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#83 中牧昭二

ベストセラー作家!今回は、1990年代のデスマッチシーンで一世を風靡した中牧昭二選手のお話です。 1990年代のプロレス界には、変わり種がたくさんいました。その中に中牧昭二選手もいたわけです。 1977年に運動具メーカーに就職し、退社後『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』という著書を出版します。内容はプロ野球選手のタカリ体質を記述したもので、この暴露本はベストセラーを記録しました。 突然のプロレス転向その後、突然『東京スポーツ』でプロレスラーになるという宣言をし、『SWS

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#81 鷹木信悟

新人離れした体躯今回は2021年6月7日に悲願のIWGP世界ヘビー級王者になった鷹木信悟選手のお話です。 鷹木選手は、アニマル浜口ジムを経て、2004年10月にドラゴンゲートでデビューします。 鷹木選手は、旧闘龍門JAPAN勢中心の同団体からデビューした初の新人レスラーでしたが、鍛え上げられた体躯は新人離れしておりました。 デビュー1年後の2005年には望月成晃選手の持つドリームゲートに挑戦、年末のKING OF GATEでもベスト4まで勝ち上がるなど、団体のトップレス

[プロレス映画鑑賞記] 狂猿(ネタバレなしバージョン)

プロレスリングFREEDAMSの今 映画「狂猿」では、私が観に行けていない間の葛西さんを中心に、プロレスリングFREEDAMSの今が切り取られていた。正直コロナでなければ東京でも見に行きたかった。でもそれを思いとどまったのは、結局声出しができないというコロナ後の新ルールがあったからでもある。 やはりFREEDAMSにいって「DEVIL」のイントロが流れて、「か・さ・いー!」コールができないと、なんか消化不良な気分になってしまう。他団体に行っても何となく感じている物足らなさが

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#80 高木三四郎

メジャーのバックボーンがない今回は高木三四郎選手の話をしてみようと思います。 高木三四郎選手というのはメジャー団体出身のバックボーンを持たない選手の一人でもあります。ですので DDT を旗揚げした当初からメジャー団体の技術といったものに関しては非常に貪欲に吸収しようとしておりました。 DDT の歴史を振り返ってみますと最初期の頃に DDT に技術を提供してきたのは仮面シュータースーパーライダー選手、そして今は亡き宇宙パワースーパー宇宙パワー選手でこと、木村浩一郎選手でした

星の数ほどある面白い動画の中から、見てもらう動画にするには…

ハードヒットとGLEATの全面対抗戦が行われた6.9『LIDET UWF Ver.0』は、反響が大きかった。 大会直後に生放送したニコプロの『ハードヒット 死なば諸共』(以下しなもろ)でも話したが、取材に来ていたマスコミも多かった。チケットが早々に完売したこともあり、ニコプロがPPV生中継したのだが、このPPVの売上もなかなかの数字だった。 団体対抗戦っていうのはやはりプロレスの華だ。6月の頭にさいたまスーパーアリーナで開催された『CyberFight Festival 2

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#79 黒田哲広

デビュー後FMWへ今回は新生 FMW においてハヤブサ選手や田中将斗選手らとトップの座を争っていた、黒田哲弘選手についてお話をしてみたいと思います。 黒田選手は SWS から派生した PWCでデビューしております。そして PWCでは、ミスターヒトさんから直接指導を受けまして、1993年の3月に保坂秀樹戦でデビューを果たしております。 デビュー直後団体の経営行き詰まりがありまして、保坂選手らとともに、黒田選手はそのまま FMWに移籍します。 FMWでは大仁田厚選手が率いる

#今週のおすすめnote をご紹介!-生命力イラスト#42-2021年5月23日編

以前から不定期でやっていた人様のnoteを、勝手にお勧めする記事だけマガジン化してみました。マガジン化したといっても無料なのは変わらないですし、不定期更新なのも変わらないのですが(あくまで「今週のおすすめ」なんで毎週やるとはいってません)、気が向いたらご本人の許可なしで取り上げていこうと思います。 最近noteはサボり気味ですが、この「おすすめ」記事だけは続けていきますので、引き続きご愛顧いただけると嬉しく思います。 ちなみに前回のおすすめ記事はこちら↓になります。↓

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#78 アーン・アンダーソン

スパインバスターの名手今回は、アメリカではフォーフォースメンら、数多くのユニット・タッグで活躍し、スパインバスターの名手として知られるアーン・アンダーソン選手のご紹介です。 アンダーソン選手は、1982年1月にデビューし、1983年よりジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに転戦します。ここで、ブッカーのオレイ・アンダーソン選手誘われてアーン・アンダーソンに改名します。 1960年代から1970年代にかけて一世を風靡したアンダーソン兄弟の末弟となり、伝統のタッグ・ユニ

[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#77 ジョニー・スミス

ランカシャー出身の実力者今回は全日本プロレスなどで、ジョニーマジックという異名で活躍された、ジョニー・スミス選手のご紹介をしたいと思います。 ジョニー選手は、イギリスはランカシャーの出身で、1985年頃にカナダのカルガリーを主戦場に移しました。 日本では最初、新日本プロレスに上がって、武藤敬司選手ともシングルもやってます。 全日本プロレスに移籍したダイナマイト・キッド選手とデイビーボーイ・スミス選手に誘われる形で、全日本プロレスに上がるようになりました。 血縁関係はな

私なりの煽りVをつくってみた!

5月2日に何とかニコプロpresentsハードヒット「My name is HARD HIT」が開催されました。 緊急事態宣言中に都内の会場での開催ということで、主催者もいろいろ悩んでいたようですが、ニコプロでもPPVながら生中継という形で「会場で見たかったけど、事情により行けない」という方にも、何とかリアルタイムで見ていただける環境は用意させていただきました。 会場もソーシャルディスタンスモードとはいえ、用意された席はほぼ埋まるぐらいのお客さんが来てくれましたし、ニコプ