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60歳から始める青春グラフィティ。NYから発信を続ける、ジャズピアニスト・大江千里さんが見ている景色

noteで活躍するクリエイターを紹介する #noteクリエイターファイル 。今回は、ジャズピアニストの大江千里さんの登場です。

「60歳を超えた今、青春の真っ只中なんですよ」

ニューヨーク(NY)から繋いだ画面越しに、そう晴れ晴れと笑う大江さん。

23歳でデビューして以来、日本を代表するポップアーティストとして名曲を送り出し、47歳ですべてのキャリアを手放し渡米。ジャズ専門のニュースクール大学で学び、52歳で卒業と同時にひとりでレーベルを起業。6枚目のジャズアルバム『Hmmm』をリリースするほか、60歳を超えてなお、NYを拠点にジャズピアニストとして精力的に活動しています。

noteでは、有料マガジン「senri garden ブルックリンでジャズを耕す」をほぼ毎日更新。

3月31日、noteのエッセイと「ニューズウィーク日本版」の連載コラムに加筆修正した書籍『マンハッタンに陽はまた昇る 60歳から始まる青春グラフィティ』が発売されました。


音楽に戻っていくために、書くことで心を解放する

大江さんは2016年、NYから日本へ「メッセージを伝えるキーステーション」としてnoteをはじめました。

届けるコンテンツは、ジャズを切り拓く日々をつづるエッセイから、「大江屋レシピ」、愛犬「ぴ」との散歩動画にラジオドラマまで、バラエティに富んでいます。

「noteをはじめて、手紙を書くように、テーマを決めて、と自分で課して書くことのたのしさを発見しました。いろいろトライアルして、毎回学ばせてもらっています。

心が自由になってたのしく続けていたら、朝日新聞やニューズウィーク日本版での連載コラム執筆の機会もいただいた。noteを書いているから声をかけてくれるひとたちがいる。noteというマザーシップがあるから広がっていく冒険の数々です」

読者のリアクションを毎回たのしみにしているという大江さん。新しい土地でひとりジャズを耕す中で、その存在は励みになったそう。

「2012年に『Boys Mature Slow』というアルバムを出しジャズピアニストとしてデビューしたわけですが、 自分から発信しないと最初は誰も聞いてくれないので、自分でブルーノートやライブハウスに手紙を出して、演奏できる場所を探しました。でもアメリカのジャズの扉はなかなか開かなくて、種を蒔いて芽が出るのを延々と待つ日々で。いざライブができても、お客さんがゼロだったりすることも普通にあるわけで不安だらけだった。そういうゼロからのスタートを切ってひとりで乗り越えなきゃいけない中で、noteを通じて自分の現在地を確認できる、応援してくれるひとたちとつながっていられたことは、勇気になったしありがたかったです」

音楽に軸足を置く大江さんにとって、書くこととは?

「備忘録にもなるし、自分の考えが整理整頓されて混沌としたものを紐解くこともできる。贅沢な悩みなんだけれど、自分の好きなことを仕事にしていると、そこから逃れたいと思うこともあって、自分の心をリラックスさせて解放する場所が必要なんですね。

noteは僕にとって『知的な遊び場』であり『即興の実験場』、『修練の寺子屋』でもあり『心を清める教会』のような場所でもあります。文章を書くことで、自分の気持ちが自然と落ち着いて、また音楽にすんなり戻っていけるんです」

パンデミック中のNYで“Senri JAZZ”を切り拓く、現在進行形の物語

そうして書き記したnoteから生まれたのが、新刊『マンハッタンに陽はまた昇る』。『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』、『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』につづく、渡米エッセイ第三弾です。

「1冊目は音大を卒業してジャズをつくりはじめた頃の回想録で、2冊目はジャズデビューして本当に受け入れられるのだろうかと不安を抱きながら進んでいた、心の葛藤の記録。3冊目になって、やっとアメリカが僕を迎え入れはじめてくれて、僕自身にしかできない“Senri JAZZ”にようやく気づくことができた。そのプロセスでパンデミックが起きて、せっかく決まっていたライブという旅には出られなくなったけれど、ある意味noteでつづることにより『心の旅』をしたんです。過去や未来の自分にも想いを馳せた。起きたこと、起きていること、延々と続くStay Homeの時間で気づけたことを即座に書き留めた『ING』の物語なんですね」

父の死から、ロックダウン生活、還暦、ワクチン接種まで。まとまった原稿を見たときに出てきた言葉は『マンハッタンに陽はまた昇る』──

「漠然と本のタイトルを考えていたとき、NYマンハッタンの丘から、ぼわーっとハレーションが起きて、神々しく陽が昇る絵面が頭に浮かんだんです。パンデミックによって僕も、すべてが止まってしまったことによる喪失感、未来が見えないトンネルの中にいる不安な感覚を体験しました。それでも心の歩みを止めなければ必ず陽はまた昇り続ける。自分自身を鼓舞するためにもこのタイトルをつけました」

過去も現在も、全肯定することで訪れた60歳からの青春

本のサブタイトルは「60歳から始める青春グラフィティ」。どうして今が「青春」なのか。

「僕自身の青春時代、10代、20代は戻りたいかと聞かれたら、二度と戻りたくないと思うほど、ネガティブな闇を抱えていました。ずっと置き忘れたような感覚を抱えながら30代、40代はまだ素直に自分と向き合うことに照れ臭さがあって、50代くらいから少しずつ心が柔らかくなって、60代の今、人生で初めて心にある青春を受け入れられるようになった。それは青臭くて純粋で素直なエネルギーにあふれている。そんな自分を全肯定してありのままエンジョイしちゃおうと。実際の60歳の体は油を差さないとギコギコ音を立てるけれど、心はストレートでたのしいんです」

それができるのは、NYという土地の力を存分に受け取って、過去の自分と出会い直すことができたから。

「NYで暮らすひとたちは、いくつも仕事を持っていたりして、年を取っても目を輝かせて、夢や希望を失っていないひとが多い。見ず知らずのひととすれ違うだけでもエネルギーを感じる。街角に、20歳、30歳、40歳だったときの戦う自分がいるような気がするんです」

大江さんは30歳の頃、オリコンで1位を獲得し、3日間連続で武道館が埋まるコンサートを開くほど、人気の絶頂にいました。

「あの頃の僕は成功はしていたけれど、幸せとはいえなかった。どんなに疲弊していても、スポットライトの中に向かっていく。もっともっとと求めるようになって、自分の心は満たされない。

でも本当に僕が求めていたのは、心のままに生きていても自分が愛される場所で、もっと穏やかでピースフルな瞬間を味わうこと。ものすごい時間と経験を重ねやっと今、そういうところにようやくたどり着いたんだなあ、と思えるんです」

今を肯定できたとき、過去の捉え方も変わっていったと言います。

「すべてを捨ててアメリカに来て、ゼロからひとりでジャズを始めているんだと思っていたけれど、実はそうではなかった。好きなものはまったく今も変わってないし、僕がポップスを書いて、同時代に音楽でつながったひとの想いはそんなに簡単に消えるものじゃない。捨てたんじゃなくて引き出しが増えてさらにアップデートされたんだ。あの頃の自分が今の自分につながっている。60歳になってやっと、そう気づいたんです」

世界中のひとが口ずさむジャズを届ける旅の記録をnoteで

60歳を超えて青春を謳歌する大江さんは、"置いてきたもの"とも地続きにある、10年先、20年先も見据えています。

「40歳を超えたとき、憧れ目線でキラキラした短い物語を描くポップスが難しくなっていったんです。人生の経験を積んで、憧憬がリアルになっていったから。だから、喜怒哀楽が混じり合うジャズを始めたことに後悔はありません。でも最近、70歳、80歳になってさらに心に経験の襞を重ねていくとどんな音楽にたどり着けるのだろう、と考える瞬間があるんですよ。遠い未来のどこかに、ジャズの先にある熟成したポップスを表現できるときが来るかもしれない。そのためにも今がんばれることを淡々とがんばりたい」

NYを踏みしめて、ジャズを切り拓く大江さんは若さとエネルギーに満ち満ちています。

決定レタッチ済み_大江千里さま

「美空ひばりさんが亡くなられた歳をはるかに超えて自分が歳を刻んでいることがすごいなあって。まだまだ未熟で人生100年、はじまったばかりなんですよ。僕は今、自分にしかできない“Senri JAZZ”を追求する日々がたのしくてしょうがない。毎日まったく違う1日をひめくりカレンダーのようにめくってははじめる、人生をワクワクしながらアップデートしています。

世界中のひとが口ずさむジャズをこの場所から届けていきたい。60歳からはじまるこの青春グラフィティがこれからどうなっていくのか。その旅の記録をnoteに書きつづっていきますよ」


noteクリエイターファイル
SENRI OE 大江千里

47歳, NYへジャズ留学。ニュースクール卒。PND RECORDS経営。JAZZ PIANIST。2019年9月、SonyMasterWorksと提携。 『マンハッタンに陽はまた昇る』3/31発売。
note:@senrigarden
Twitter: @1000hometown

text by 徳 瑠里香


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