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いちオタクが『セクシー田中さん』問題を考える〜中傷と批判は違います2〜

『セクシー田中さん』問題でようやく日テレが調査することを明言しましたね。第三者機関ではなくて内部調査ではあまりす期待ができないかも…と思っておりますが、問題を見て見ぬふりしてなにもしないよりは前進です。今後の調査の進展具合と報告を注視したいと思います。

私は芦原妃名子先生の自死の原因が「インターネットの誹謗中傷」などでは絶対にないと信じております。
では、何が原因だったのか?
前回、私は「『セクシー田中さん』については、メディア化におけるテレビ局や出版社の構造、作品づくりの体制など、いくつもの問題点が重なっている」と述べましたが、今回はそれについて詳しく考えていきたいと思います。

中傷をする気はありませんが、その過程で誰かへの批判を含むことはあるでしょう。
誰かを悪者にするつもりはありません。でも、悪いところが明らかにならなければ改善もされないと思うのです。問題点が改善されない限りは同じ悲劇が繰り返されます。
それを抑止するために、外野からであっても声をあげなくてはならないと思っています。
 

・脚本家相沢友子氏の問題点


私たちが『セクシー田中さん』に何やらトラブルがあったようだと知ったのは、相沢友子氏のInstagramからでした。
芦原先生のプログやXが発端であるかのような報道がされることがありますが、それは事実とは異なり、発端は相沢氏のInstagramにあります。

【相沢氏の行動】
・2023年
12月24日(ドラマ最終回直前)Instagram更新
12月28日 Instagram更新
・2024年
(1月26日 原作者がインスタで経緯説明)
1月29日(原作者訃報)Instagramに鍵掛け
2月8日 Instagramで謝罪、謝罪以外のコメントをすべて削除

2月8日のInstagramの謝罪によると、相沢氏は「原作に忠実に」という要望を原作者がコメントを出すまで知らなかった(初めて聞くことばかり)とのことですが、1月26日まで全く知らなかったということはあり得るのでしょうか?
例えば、プロデューサーを介していたとしても、原作寄りに何度も修正依頼があれば、原作寄りにして欲しいのだろうと察するのではないでしょうか?
あるいは10月10日発売の原作コミックスを読んでいれば原作者の意図は理解できたはずです。もうすでにドラマの放映はスタートしてますから仕事内容に反映することはできないでしょうが、「脚本の修正はこういう意図があったのか」と納得できなかったのでしょうか?

仮に外的要因で原作者の意図を相沢氏が知ることができなかったのだとしても、相沢氏自身は原作者の意図を知ろうとする努力はしたのでしょうか?
後述しますが、テレビドラマでは原作者と脚本家が顔を会わせて打ち合わせをするようなことはほとんどないそうです。
それでも相沢氏にはいくらでも原作者の意図を知るチャンスはあったと思うのです。
直接会いたいと要望してもいいでしょうし、それが無理ならメールで問い合わせる、脚本に質問状を添付して原作者の意図を聞くなどいくらでも手段はあります。

そもそも「原作者の意図を知る」ということは原作付きの脚本を書くうえでは大切な要素ではないのでしょうか?
もしも本当に相沢氏が原作者の意図を全く知らなかったのであれば、それこそが問題です。
こちらはテレビ局側の問題が大きいと思いますが、脚本家側からもぜひ声をあげて改善していってほしいと思います。

そしてもう一つ、相沢氏個人の大きな問題点として、「Instagramに仕事相手をあげつらうようなコメントをした」ことが挙げられます。
『セクシー田中さん』は、他の日本のドラマと同じような構造的な問題を抱えています。でも、『セクシー田中さん』だけがとりかえしのつかない悲劇に至ってしまいました。
その原因は相沢氏が仕事の不満をSNSで全世界に向けて発信したからに他なりません。
「仕事上の不満をぼかしもせずにSNSに垂れ流す」という行為は一般的に見てもアウトですが、脚本家のモラルはどうなっているのでしょうか。

事実とは違いますが、もし相沢氏が「原作者が9・10話の脚本を書きたいと突然言い出した」と信じ込んでいたとしても、その前段階で何度も脚本を修正されているのです。「原作者が満足する脚本を書けなかった。私の力不足だった」と反省を綴ったのならまだわかるのですが…。
(芦原先生の説明では、あらすじとセリフを渡して脚本家に書いてもらう予定が、あまりに改変がひどく、修正依頼するも4週間かかっても決定稿には至らず、仕方なく先生が書いたとのことです。小学館と相談の上書かれた経緯であり、日テレや相沢氏から反論はないので、これが事実として考えています)

後に日本シナリオ作家協会が「【密談.特別編】緊急対談:原作者と脚本家はどう共存できるのか編」と題した動画(現在は削除)をアップしていますが、それはよりにもよって原作者の訃報がもたらされた当日のことでした。普通ならば配信取りやめになるのが当然のことだと思います。これも動画作成者のモラルが問われる事態だと思います。

また、動画が削除されてしまったので確かめられませんが、動画の中で相沢氏が仕事の愚痴をインスタにアップしたことを、嗜めるような発言はなかったと思います。日本シナリオ作家協会の皆様は、それが当然、という考えなのでしょうか?

相沢氏の12月24日の発言も原作者のコミックスのコメントと矛盾していますが、12月28日は完全に原作者への当てこすりが含まれた内容です。
相沢氏が理解できてなかったとしても、日テレやあるいはシナリオ協会の方々は少なくとも12月28日の時点で相沢氏に対して注意するのが当然ではないのでしょうか。

例外的に相沢氏が告発をしたかったというのであれば、SNSで訴えるのもありかと思います(その前にプロデューサー等に改善を訴えたほうがいいかと思いますが)。
でも、それなら芦原先生が経緯を説明されたときに反論するなり謝罪するなり申開きをするなり、何らかの行動をとるはずなので、そんな覚悟はなかったのだと判断できます。

というか、もしも告発する気だったのなら本来の相手はプロデューサーじゃないかと思うんですよね…。直接の仕事相手であり、ドラマ制作の責任者なんですから。
脚本家の方々も大変な現場にいるのかもしれませんが、原作者の方に見当違いの不満をぶつけるのではなく、ぜひプロデューサーと戦って、より良い仕事環境を勝ち取っていただきたいと思います。
 

・日テレ及びプロデューサーの問題点


2月15日になって、日テレがようやく特別調査をする声明を出しましたが、プロデューサーからの説明は今もって何一つありません。
プロデューサーはドラマの制作現場の責任者です。真っ先に出てきて説明すべき立場ではないのでしょうか?
原作者と小学館側は「原作者の意向を伝えていた」
脚本家側は「(原作者コメントは)初めて聞くことばかり」
この齟齬はどうして生まれたのか、知っているのは間に立っていたプロデューサーです。
それこそ日テレをはじめとするマスコミがよく言う「説明責任」を果たしていただきたいと思います。

相沢氏のところの問題でも触れましたが、原作付きのドラマでは、プロデューサーが脚本家と原作者と会わせたがらない、というような話を聞きます。
最近のアニメでは原作者や編集者がシナリオ会議に参加することも珍しくありませんが、ドラマはプロデューサーと脚本家間の打ち合わせで終わってしまうことも多いそうです。
何故原作者と脚本家を会わせないようにしているのでしょう。今回のような行き違いを生まないためには、原作者と脚本の密なコミュニケーションが必要ではないでしょうか?
アニメではできていることが、ドラマではできない理由がさっぱりわかりません。早急に改善すべきことかと思います。
あるいは脚本を全部あげてから、原作者にドラマ化の承認を得るとか…。まあ、これはスケジュールや予算を考えると現実的ではないかもしれませんが、せめて全話プロットぐらいは出せるのではないかと思います。
(アニメでは基本的にシリーズ構成が全話のプロットを企画段階で出します)

また、まずキャストが決まっていて(そのキャストを目立たせてほしいというような芸能事務所からの要望などもあり)原作が改変されてしまう、というようなことが横行しているとの話もあります。

これらはセクシー田中さんとは関係ない外部のプロデューサーや脚本家や漫画家などの発言からの情報なので、すべてが田中さんの問題に当てはまるわけではないでしょうけれど、少なくとも
・原作者と脚本家のやり取りがなかった
・脚本家いわく、原作に忠実にという原作者の要望が脚本家に伝えられてなかった
・原作者が承認する前に脚本とプロットは一部しか上がっていなかった
・6月に原作者がドラマ化を承認する前に主役のキャストは決まっていた(5月に主役キャストがベリーダンスのレッスンを開始)
・10月放送スタートで9月にクランクインという、あまりに短すぎるスケジュールで作られていた
『セクシー田中さん』がこれらの問題を抱えていたのは事実です。

他にも表に出てない問題はあるでしょう。 
私が気になっているのは、ドラマは原作者に脚本修正を依頼していますが、その対価はきちんと支払われていたかということてす。
8〜10話はオリジナル展開になるので、原作者があらすじとセリフを書き下ろしていますが、そのギャラも支払われているのでしょうか?
さすがに原作者が脚本を書いたラスト2話の脚本料は払われていると思いますが、上記2点も対価が支払われるべきだと思います。
例え慣例で支払われないのが一般的であったとしても、仕事に対価が発生しないのは間違っています。
その部分は小学館と日テレできっちり契約を結んでいるでしょうか?

そもそも、ドラマ化の契約内容は問題がなかったのか、という疑問もあります。そこにトラブルの種をはらんでいたからこそ、今回のような結果を生んでいるのではないかと思うからです。
インタビューによれば『セクシー田中さん』のドラマ化を持ちかけたのは日テレのプロデューサー大井氏のようてすが、小学館側とどういったやり取りをしたのか、どういう契約でドラマ化を決めたのか、この部分が明かされない限り、本当の問題解決にはならないと思っています。

今回の件でもっとも多くの問題を抱えてるいるのはドラマ制作側だと思うので、早急に問題点を調査し、改善していってほしいと切に願います。
 

・小学館の問題点


2月6日の小学館の社内説明会で「本件について外部に発信する予定はない」と公言したとのニュースが流れましたが、その2日後の2月8日にコミック局編集者一同の名義で、声明が出されました。小学館自体も後にプレスリリースにてその声明を追認しています。
状況を見るだけでもバタバタだという印象を拭えません。
おそらく沈黙して逃げようとする上層部に対して、現場からの反発があったのではないかと推察します。一度、外部発信はしないと決めたものを覆すために、編集者たちはきっと頑張ったのだと思います。
ですが、声明を読んだときに私は強い違和感を覚えました。

『セクシー田中さん』ドラマ化においては、原作者が直接ドラマ制作サイドとやりとりしたことはなく、すべて小学館が間に挟まって行われてた、と日テレ・小学館・原作者のコメントで確認が取れています。
原作者−小学館編集あるいはメディア担当者−日テレ/プロデューサー−脚本家
という構図です。
ですから、小学館編集は直接日テレ側と交渉した当事者なのです。にも関わらず、声明では芦原先生の言葉を引用して「ドラマ制作にあたってくださっていたスタッフの皆様にはご意向が伝わっていた状況は事実かと思います」と肝心な部分をあやふやな表現に留めています。
重ねていいますが、先生の意向を伝えた当事者ですよね?
そこは「私どもは先生の意向をきちんと先方に伝えています」というべきところではないのでしょうか。断言することが憚られる理由でもあったのでしょうか?
一応、後に「そして勿論、先生のご意向をドラマ制作サイドに伝え、交渉の場に立っていたのは、弊社の担当編集者とメディア担当者です。
弊社からドラマ制作サイドに意向をお伝えし、原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、ご意向が反映された内容で放送されたものがドラマ版『セクシー田中さん』です」と書かれていますが、先生が納得されているか、ドラマに先生の意向が反映されているなどを並列で語っているため、焦点がボケてしまっています。

最初に言いましたが、このnoteは誰かを悪者に仕立てたいわけではありません。
でも、何が悪かったのかを検証すべきだとは思っておりますし、その過程で『誰か』を批判することになるのは仕方ないとも思っています。
でも、小学館の編集者の声明は「誰かを傷つけないように」と配慮されるあまりに、全体的にぼやけて具体性のないものになっているような気がします。
上層部とのギリギリの交渉の中で言えなかったこともあるのかもしれませんが、とても残念です。

契約内容や日テレとのやり取りが隠されているために、小学館の問題点を多くあげることはできません(過去の漫画家の告発などでいくつもの問題を抱えていることはわかりますが)。
表に出ている中ではっきりとわかる問題点は、小学館サイドは原作者を守れなかった、ということでしょうか。

芦原先生の経緯説明を読んだ時、どんどん疲弊して、追い詰められていく様子に胸が塞がれるようでした。
『セクシー田中さん』は月刊連載です。10月10日にコミックスが発売されていますから、先生にはその修正やカバーの仕事などもあったでしょう。
そこにさらにドラマ用の結末として、3話分のあらすじとセリフを考え、8話分の脚本の修正が何度も繰り返され、挙句の果てにはラスト2話の脚本を書かなければならなくなったのです。
小学館編集サイドも過去話の再録をするなどして、連載は実質休載し、スケジュールを緩和しようと努力した形跡はありますが、「約束したことが守られない」という精神的な疲弊は重なっていったことだろうと思います。

そもそも先生は未完の漫画をドラマ化することには消極的だったようです。実際にそれで、今回以前に持ち上がったドラマ化の話は流れているのです。
ではなぜ今回はドラマ化されたのか。そこには小学館編集の説得があったのではないでしょうか。
今は消されてしまいましたが、『セクシー田中さん』の掲載雑誌の編集長のインタビューがあり、そこにはメディア化に積極的な姿勢がうちだされていました。

ビジネスですから、もちろん小学館がメディア化に積極的なのは責められるようなことではありません。
ただ、それで作家への負担が激増し、連載が休載になるような事態となっては本末転倒ではないでしょうか。
ドラマ化を受けるならば、原作者の意向が最大に反映されるように、まず編集者側で企画を精査すべきです。
プロデューサーの口約束など信じず、そのプロデューサーが過去にどんな作品を作っているのか、脚本は、監督は、俳優陣はどういう来歴なのか、きちんと調べるべきでした。

6月に先生が承認し、9月にクランクイン、10月放送という、タイトすぎるスケジュールのドラマなんて、まず受けるべきではなかったし、受けたなら受けたで日テレ側との交渉はきっちりして、脚本が改変されていた段階で、約束が守られなかったとして原作引き上げなどの厳しい態度を取ることだってできたはずです。
それが無理ならせめて脚本家に直接会って先生の意向を伝えるとか、いくらでもやりようはあった気がします。

脚本家の相沢氏のInstagramの発言には即“小学館として”強く抗議するべきだったし、経緯説明をする際にも芦原先生を表に立たせるのではなく、編集者が発言をするべきでした。
前にも触れましたが、ドラマ化で増えた仕事に対する対価がきちんと支払われていたかも気になります。

そして何より、小学館編集者と相談のうえ掲載したはずの経緯説明を、先生はなぜ消さなければならなかったのか。
1月26日に説明をアップして28日に消すまでたった2日です。仮に中傷を気に病んだとしたなら短すぎます。それに中傷をやめさせたいのであれば、その旨を書き足せばすむことです。消すのは悪手過ぎます。
先生が消したくて消したのか、消すように追い込まれたのか、私たちにはわかりません。まあ、外部の人間に明かす必要もないことです。永遠にわからないかもしれませんが、それでも構いません。
きちんと内部で調査し、原因を追求し、再発防止に努めてくれれば、それでいい。
二度と繰り返さないようにして欲しい。そう願います。

コミック局編集者一同の声明には「二度と原作者がこのような思いをしないためにも、「著作者人格権」という著者が持つ絶対的な権利について周知徹底し、著者の意向は必ず尊重され、意見を言うことは当然のことであるという認識を拡げることこそが、再発防止において核となる部分だと考えています」
「他に原因はなかったか。私たちにもっと出来たことはなかったか。
 個人に責任を負わせるのではなく、組織として今回の検証を引き続き行って参ります。
 そして今後の映像化において、原作者をお守りすることを第一として、ドラマ制作サイドと編集部の交渉の形を具体的に是正できる部分はないか、よりよい形を提案していきます」とあります。
この言葉通りに、声明を出して終わりではなく、編集者一人ひとりがこの問題を考え、改善の道を見つけてくれるよう、いちオタクとして祈っています。
そして、その意思が上層部にも届くことを祈ります。

繰り返しますが、中傷と批判は違います。
誰かを悪者にする必要はありませんが、何が悪かったかを知らなければ、問題を改善することはできません。
批判を中傷とすり替えて口を塞ごうとするのではなく、自分たちの悪かった点から目をそらすことなく、問題を改善していってほしいと思います。

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