私が”好き”な私は、あなたが好きな私
私は小さい頃、絵本を読む時間が好きだった。絵本の中では私の好きな私が自由に走り回れるから。 小学校に上がる頃には自分で自分の好きな世界を作ってみたいと思い始めていた。
16歳の夏、私は小説を書き始めた。 誰かに読んで欲しいわけでも認めて欲しいわけでもなかった。だけど周りの子は私の”好き”に寛容ではなかった。
私は小説を書くことをやめた。好きなことをしている自分が好きではなくなったからだ。
「ナオちゃん、新しいお話書かないの?」
従兄弟のスミちゃんは私の”好き”を唯一肯定してくれていた。
「自分のやりたいことはやりたいって言わないと!ナオちゃんは、思ったことをもっと口に出して言ったほうがいいよ」
内気な性格の私は、自分の気持ちを押し殺して生活していた。スミちゃんの言葉は私の心に深く刺さった。まずは小さなことから、自分の気持ちを伝えるようにした。
「朝はパンじゃなくて、ご飯がいいな」
「ごめん、今日は観たいテレビがあるからカラオケには行けない」
勇気を出して言葉にすると、心がスーッと軽くなったような気がした。
「私はそのアーティスト好きじゃないかな」
「部活に入るより、放課後に遊んでいたほうが楽しいよね」
自分の気持ちを伝えたらこんなに楽なんだ。絵本の中で自由に走り回る感覚を思い出した。
「スミちゃん、いつもピアノばかり弾いてるけど、それって将来役に立つの?」
「ナオちゃん、私は好きでピアノを弾いてるの」
スミちゃんとは徐々に疎遠になっていった。私の周りにはたくさんの友達がいたから、特に気にしなかった。
「私、今日はここの店のケーキが食べたいから一緒に行こうよ」
「でも、私はこっちの店がいいかな。ほら、ナオちゃんも好きそうな‥」
「そっか。じゃあ他の人と行くから、またね」
その子とはそれ以来遊ぶことはなくなった。なぜだかわからないが、私は少しずつ孤立していった。
それから私は、自分の素直な気持ちを伝えることをやめた。私の”好き”は、どこへ行っても認められないんだなぁ。
私は久しぶりにスミちゃんに電話をかけてみた。スミちゃんはうちにおいでと言ってくれた。
「スミちゃんが前に言ってくれたように、素直な気持ちを口にすることは大事なんだよね?」
「うん。でもね、その時の自分を好きになれなかったら、それはナオちゃんが”嫌い”なナオちゃんだよ」
思い返してみれば、私の”好き”な私はどこにもいなかった。
「ナオちゃん、私はピアノが好きだけど、もしギターを弾くのが好きな人がいたらその人の”好き”の理由を知ってみたいと思う。自分の好きを追い求めることは、誰かの好きを否定することじゃないんだよ。」
私はスミちゃんにごめんねとありがとうを伝えた。
「ナオちゃんの”好き”が見つかったら、私に教えてね」
たぶん、そんなに時間はかからないかな。
私の人生を変えるのは、いつだってスミちゃんだね。
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