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掌編 共鳴 高北謙一郎

こんにちは。週に一度の掌編投稿です。ひとりの男がぐうぜん手にした石に、残るふたりの男女が所有する石が共鳴するように響き合い、それぞれの石を持つ人間たちを衝き動かしていく…そんな作品…うん、説明が難しい。

ちょっと不思議な「奇妙な物語」的な作品です。

いつものように投げ銭設定。お楽しみいただければ幸いです。


   【共鳴】               高北謙一郎

降り注ぐ陽射しの下、彼は草原に横たわり、流れゆく雲を見つめていた。
穏やかな春の昼下がり。青い空がきれいだった。
ひとつ息を吐くと、視線を右に向ける。手のひらに、小さな石。
ただの石ではない。うつくしい石だ。澄み渡る水面のような透明度。
驚くほどのひかりが集められ、そして放たれる。あまりの純度の高さに畏れすら覚える。
目を閉ざし、そっと祈りの言葉を呟く。誰に祈っているのか、そんなことは分からない。
しかしそうする以外、彼にできることはなかった。


        ***** 


石は初めから、彼の手にあったわけではない。その日の朝、手に入れたものだ。

日曜日。心地のいい風に誘われて部屋を出た。古い民家が並ぶ、坂の多い町だ。迷路のような路地裏を進みながら、今日はこれからどうしようかと思案する。都心から近いこの町は、その気になれば何処へでも出かけられる。田舎を出て二年、休日の遠征は彼のライフワークだ。いちど外に出てしまえば、日が暮れるまで帰ることはない。

と、足もとに転がる石に目が留まった。取り立てて、特別な石ではなかった。普通の人間なら見過ごしてしまっただろう。それでも彼は、その石を見つけた。どうしてだか石に呼ばれているような、そんな気がした。

泥にまみれ、埃にまみれ、白茶けた石くれでしかなかったそれを拾いあげる。中に何か潜んでいる――そんな予感とともに汚れを拭い取っていくと、やがてうつくしい貴石が現れた。思わず息を呑む。まさかこれほどのものが姿を見せるとは……呆然と立ち尽くした。

どれくらいそうしていただろうか、ふと彼は顔をあげた。微かな物音が聞こえた気がした。誰かに見られている。誰かに狙われている……にわかに不安が込みあげる。立ちあがり、周囲に視線を走らせる。手にしていた石をポケットに隠す。何かに衝き動かされるように、その場を走り去った。

坂を下る。住宅地を抜け、商店街を抜け、交通量の多い大通りへと辿り着く。次第に息があがる。疲労で足がもつれそうになる。それでも走る。地下鉄への階段を駆け下り、電車に飛び乗った。何処へ向かうのか、何処で下りるのか、それすらも分からずに。

漠然とした疑念が確信に変わったのは、ふたつ先の駅で電車を下りた時だ。日ごろはビジネス街として利用客が絶えないこの駅も、休日の今日はひと影もまばらだ。ホームにおり立つと同時に、別の車両から出てきた男と目があった。三十代の前半、見たことのない男。それでも互いの視線が交わった瞬間、互いに己の立場を理解した。すなわち、追われる側の人間と、追う側の人間。 

マズい――彼は踵を返し、一気に走り出す。これまでこの駅を利用したことはなかったものの、そちらに改札口があることは何故か分かっていた。ここに至るまで、まるで自分の意思とは関係のない何かに導かれているような、そんな気がしていた。地下鉄に飛び乗ったのも、おりたことのない駅を選んだのも……そもそも衝動的に駆け出した時も……いやそれをいうなら石を拾った時も……ポケットに右手を突っ込み、うつくしい石に触れる。

この石が導いているのか? この石が、ぼくを操っているのか? 

男が必死の形相で追い駆けてくる。身長も体重も、明らかに自分よりも大きい。鍛えられた体は服を着ていても分かる。男の指にひかる黒いダイヤも、まるで獲物を狙う獣の鋭い眼光のようだ。もしもあんな奴に捕まったら……彼は悲鳴にも似た叫び声を漏らす。

家を出た時はまだ朝の気配を残していた陽射しは、いつしか頭上へと到達していた。同時に、景色はオフィス街から商店街、住宅街、そして長閑な河川敷へと変わっていた。

相変わらず、背後には追跡者。心なしその距離は縮まっているように思える。彼は自分の体力が限界に近いことを知っていた。胸が苦しい。あごが上がる。それでもなお前に進む。ポケットの中の石に引きずられるように。
やがて広い草原が現れた。一面の緑の中に、ひと影が見える。若い女性だ。春らしい桜色のカーディガン、紺色のスカート。小さなベンチに腰をおろし、下を向いている。そのほっそりとした指には、ほんのり色づいたピンクのダイヤモンド。

あ……彼女の姿を認めた時、彼は心の底からよろこびが満ちてくるのが分かった。その女性を彼は知っていた。ずっと再会を願っていた女性だ。やっと逢えた。彼は笑みを浮かべる。なんという偶然だろう。こんな場所で彼女を見つけ出すことができるとは。

彼女が姿を消して二年――彼は失意の日々を思う。あの日以来、世界は色を失くした。彼女のいない世界を受け入れることはできなかった。絶望のままに彼女を探した。これまで住んでいた部屋を引き払った。手がかりはほとんどない。かつて盗み聴いた会話の中に出てきた土地の名を頼りに、坂の多い町に流れ着いた。安い部屋を借り、安い賃金で暮らしつつも、彼が求めたのは彼女の姿だった。週末ともなればあてもなく歩き続けた。それでもそう簡単に彼女を探し出すことはできなかった。

それがどうだ、今日この石を手にした途端、まるでそれに導かれるように彼女のもとへ辿り着けるなんて……彼の驚嘆と称賛に呼応するように、手の中の石がひかった。そしてそれに共鳴するように、彼女のくすり指にあるダイヤが、瞬きするように煌めいた。

近づいてくる足音に気づいたのか、彼女が顔をあげた。迫りくる影と視線がぶつかる。その愛らしい顔が歪む。彼の耳に届いたのは、圧倒的ともいえる恐怖の叫び。彼女はベンチから立ちあがることもできず、ただ身体を前かがみに折って叫ぶよりなかった。

「おい、早く逃げろっ!」

背後から怒鳴り声。彼は追いすがる男を確認する。けれど先ほどまでの恐怖はない。そんなものはとっくに消え失せた。代わりに芽生えたのは、男に対する怒りだ。今、こいつは彼女に向かって怒鳴り声をあげた。逃げろと命じた。一体こいつは誰なんだ?

「いや、来ないで! もういい加減にしてっ!」

立ちあがった彼女が拒絶の声を張りあげる。けれど彼には通じない。彼の認識では、その言葉は背後の男に向けられたものだ。自分がそんな言葉を投げつけられるはずがない。

そうだ、と彼は思う。ぼくがあの男から彼女を守らなければ。

名前を呼んだ。両手を広げ、彼女のもとへ。さあ、一緒に逃げましょう! 

彼女まであと少し。あと10歩、あと5歩、あと……

胸に、鋭い痛みが走った。目の前で、彼女がするりと身を翻した。彼はベンチに激突した。その勢いのまま、背もたれの向こう側に転げ落ちる。地面に背中を強く打ちつけ、低い呻き声が漏れる。同時に、自らに突き立てられたナイフが、視界の隅にチラリと見えた。

それから先はもう、彼にほとんど意識はなかった。自分に何が起こったのか、まだ理解できていなかった。ただ仰向けに横たわった彼の耳に、切れ切れの言葉だけが届いた。

大丈夫か……ええ、まさかここまで追いかけてくるなんて……こいつの写真を見せてもらっといてよかった。今朝たまたま隣町で見つけたんだ……でも、なんで今日ここにわたしがいるって……もしかするとこいつ、ずっと様子を窺ってたのかも。こいつは俺のことを知らないはずなのに、俺の顔を見た途端その場から逃げた。俺たちがこの町で知り合ったことも、結婚したことも、知っていたんだろう……知っていて、それでもまだ……それぐらいこいつならやりかねないって、そう思ってたんだろう?……ええ、ホント、護身用にナイフを持っていて助かったわ。ねぇ、これって正当防衛でしょう?


     *****


降り注ぐ陽射しの下、彼は草原に横たわり、流れゆく雲を見つめていた。
穏やかな春の昼下がり。青い空がきれいだった。
ひとつ息を吐くと、視線を右に向ける。手のひらに、小さな石。
ただの石ではない。うつくしい石だ。澄み渡る水面のような透明度。
驚くほどのひかりが集められ、そして放たれる。あまりの純度の高さに畏れすら覚える。
目を閉ざし、そっと祈りの言葉を呟く。誰に祈っているのか、そんなことは分からない。
しかしそうする以外、彼にできることはなかった。

                                      

                         【了】

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