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不登校だった頃から元気になってきた時のこと

今思うとASDの常同行動だった気がするのですが、うちの父は毎年お盆と正月に母と私を連れて自分の実家に泊りがけで帰省していた。 母方の実家は近所だったので、今回はどちらに行くかといった選択は無し。そしてそれが唯一の家族旅行の形態。他の場所への旅行は一度も無く、外出、外食もほぼ皆無。

それが普通だと思っていたので、中学生くらいの時に友達が親と旅行に行くと聞いた時、何故親と旅行に行くんだろう、キモチワルイ、と思った。口に出してしまったかも知れない。後で自分の家の方が変だと知って驚いた。

ちなみに父はきょうだいが多く、昔の話なのでお盆と正月には山あいの地方の家に親戚がたくさん集まった。常にヨメだらけだったので母が義実家で気苦労があったとは、あまり思わない。祖父の長男の奥さん(私の義理の伯母)はものすごく大変だったろうと思うけど。布団やら食事やら掃除やら。

父と母の思惑や、家族旅行がそれだけという(たぶん)異常な点はともかく、私はその親戚の家で過ごす時間がとても好きだった。 はなれで夜中までいとこと遊んだり、畑で伯母とゴミを燃やしたり(自治体のゴミ収集が多分無かった)。何と言うかとても、家庭での放置とはまた違う自由があった気がする。

祖父が亡くなると、父と母と一緒にお盆と正月に親戚の家に行くことは無くなった。ほかの伯父伯母も同様だった。でも私だけは学校の長期休暇の度にひとりで電車で泊まりに行き続けた。 今思うと自分のこれも常同行動の一種だったのかも。あとアスペ気味で空気が読めず、迷惑かもという発想がなかった。

確かそんな背景があって、不登校になってからも度々その親戚の家に通い続けた。その家の伯父も伯母も亡くなってしまったので、本当は迷惑だったのかどうか今となっては確かめることは出来ない。でも、自分の願望かもだけど、多分受け入れてくれていた気がする。

私が遊びに行くと、比較的近所に住んでいた歳の近い親戚の子が何人か集まって来て、一緒にゲームしたり漫画を読んだりして過ごした。伯父も伯母も、平日に泊りがけで遊びに来る私に対して、学校に行かなくていいのとか、遊んでばかりいないで勉強したらとも言わなかった。もちろん他の子に悪影響とも。

伯父も伯母も、性格なのか、気を使ってのことだったのか、本当に何も言わなかった。学校行け等のネガティブなことも、そのままで大丈夫的なポジティブなことも。 ただ穏やかに受け入れて、自由にさせてくれた。過剰なお世話(勝手に泊り込んでおいて失礼ですが)も無く、適度な放置が心地良かった。

何と言うか、赤毛のアンのマシューが2人いる様な家だった。マリラ的な存在がなく家は若干あれていたかもですが(マリラも好きです)。 何より伯父と伯母は仲が良かった。うちの両親は目立つDV等は無いものの不仲だったので、仲の良い夫婦というものの存在に初めて気付いた時は本当に驚いた。

不登校中にいろいろ経験した中で自分にとって一番良かったと思うのは、この親戚の家で過ごした日々。正確に言うと中学を卒業して普通だったら高校へ行っている時期の出来事ですが。 半毒親と一緒の機能不全家庭から離れ、山の中で自由に過ごし、エネルギーをもらったと言うか、充電できたと思います。

平日に鈍行電車に乗って数時間窓の外をぼんやり眺める。見える景色が街中からだんだん住宅地になり、家もまばらになり、田んぼや畑が増え、見慣れた稜線の山が近づいてくる。まるでハイジの世界。こんな贅沢な時間があるだろうか。 移動の日が雨だとがっかりしたけど、今思うとそれもまた良かった。

実家で過ごした時も、昼夜逆転でいつもだいたい明け方まで起きていた。 徐々に明るくなってくる空の不思議な色あい、薄くなっていく月や星の冷たい光、カラスか何かの鳥の声、新聞配達のバイクの音。これもまた美しい、得がたい情景でした。何をしていた訳でもありませんが、深く心に残っています。

何がきっかけで不登校だった頃から元気になったかなと思うと、やはりこの時の事が一番に思い浮かびます。

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